保憲の決断
光栄はうつむき、何やら呪文を唱え始める。
用意された木組みに松明を投げ入れ、炎を上げさせた。
盛り土をしていた所に、貴金属を備えていく。
「これが、雨乞い……」
「遥晃は術の理は知らなんだな」
保憲が横で説明してくれた。
陰陽道は陰陽五行より成り立っている。
月と日の陰陽、木火土金水の五行である。
五行は相互に関与しあい、働きを補ったり打ち消したりする。
そのうちの補い合う力を使い、雨を引き寄せるらしい。
木を燃やすと火が起きる。火が起きれば木が灰に変わり土になる。土が重なれば山となり鉱石が取れる。その鉱山によって雲ができ雨を降らせる。降った雨は木を育む。
この五行相生のミニチュアを眼前の儀式で作っているらしい。
木火土金を作り出し、五行相生を再現する。その中で、水だけが不足している。それを天に頼み、五行を線で繋いだ5角形を完成させたいと願うのである。
まやかしには十分な理論だろう。
火を焚く事は上昇気流を発生させ、煙は雲の核になり、雨を誘発する。
都の一角だけで行うから効果の程は知れているだろうが、雨を起こす形にはなっている。
「遥晃、戻るぞ」
保憲に促され、内裏を後にした。
光栄も戻り、事務を始めている。これから雨が降るまで陰陽師を交代しながら術を輪唱し続ける。
火と術を絶やさないようにして祈祷するのだ。
俺も保憲も始終天候を気にしていた。
屋内にいたが、雨がいつ屋根を叩くかと怯えていた。
しかし俺の願いが通じたのか、その日は雨は降らなかった。
2日目も始終曇っていたが、雨は降らない。この時ばかりは天に感謝した。
しかし、光栄が雨乞いをしていなけければ自分達がやっていた。
そう考えると、湿度計の曖昧さも露見する。現代の天気予報ですら精度は高くないのだ。
雨乞いは自信を以てできることではなかった。
では、雨を降らせることができるならば本当の術師と言えるのだろうか。
3日目。この日は先日よりも厚い雲に覆われていた。
「行くか」
「……はい」
この日は光栄も自信があったのだろう。再び内裏に呼ばれ、広場に立ち尽くす。
赤々と燃える炎の底は、3日薪を燃やし続けているせいで灰が堆く積もっていた。
今日ばかりは交替をせず、光栄が詠唱を続ける。
そして……。
ヒトッ
正午に差し掛かる頃、鼻先に敗北の報せが届いた。
空から降ってきた雨は数を増やし、さらさらと音を奏でる。
何も手を打てず、負けが決まった瞬間だった。
* * *
雨の滴る中、お帝が息子をお誉めなさる。
「陰陽権助加茂光栄。見事我が都に雨を呼び寄せた。大儀である」
「はっ。有り難きお言葉にございます」
お言葉を頂き、祭具を片付けた後、光栄は項垂れる遥晃の元へ歩み寄る。
「はぁっ、はぁっ、ど、どうだ。これでもう文句は言えまい」
息を切らし、遥晃を詰る。私は、見ているしかできない。
「お前の沙汰は俺がじきに下す。俺は心が広いからな。荷を纏める時間はくれてやる」
このままでは、遥晃は都を去ることになってしまう。
『父親は息子に慕われるべきです。威厳を取り戻して光栄を見返してやりましょう』
揺れ動く私の心の中で、遥晃の言葉が蘇った。
* * *
呪も使えず、父に見放され、陰陽師にも疎まれた。
父の権威の為、形だけでも陰陽助の地位を与えられ、陰陽博士と暦博士の箔を授かった。
陰陽師の不満は光栄の耳にも届いたのだろう。いつしか私を嫌悪するようになった。
息子は父の手解きを受け、瞬く間に寮内の信頼を獲る。
最早皆の心は光栄に向かい、私は父の重荷となっていた。
兼通様の屋敷へ向かう事になったが、信を得ることはできない。
そんな状況を救ってくれたのは遥晃ではないか。
職場でも家庭でも除け者にされていた私を導いてくれたのだ。お陰で天文生の評価を得た。天文博士も実力で認められた。
何故、道秦を見て遥晃を疑ってしまったのか。何故、遥晃から避けようとしていたのか。
道秦の術を見破れまいがどうでもいいことじゃないか。
今までの教えはなんだったのだ。会えずにいた期間が長くて恩が薄れてしまったのか? より強力な術を見せつけられて、術に憧れていた心を呼び起こされてしまったのか?
屁理屈などいくらでも出てくるが、執るべき行動は間違っていただろう。
「待て、光栄」
「あ? なんだよ」
「私はまだ祈雨をしておらぬ」
「……は? ははは。もう終わった事だろう。見えないのか? 今まさに雨が降っているだろう。勝負はついただろうが」
「お前が成功しただけに過ぎん。こちらの術を見てから優劣を決めろ」
「雨は降った。もう都は雨を必要としていない。おかしな事を言うなクソ親父」
「お帝! お願いがございます! 実はこの度陰陽権助と祈雨の比べを行おうとしていました! 願わくば私に今ひとたび術を披露する機会をお授け願います!」
このままでは遥晃は都を去ってしまう。恩を仇で返したまま終わらせてはいけない。
「なっ、何を馬鹿なことを言い出すんだよ! ふざけ……」
「た、保憲様……」
「遥晃、できるな?」
「あ、あ……はい!」
お帝がお許しを下さらなくても、無理にでも見せつける。遥晃がいなければ今の私の立場は無かったのだ。
「ほう、法力比べか。面白い。陰陽助、加茂保憲! お前の儀を許す!」
お帝にお許しを頂戴する。今なすべき事は遥晃を救うことだ。
「遥晃、よろしく頼む。そう言うことだ、光栄。沙汰はまだ預からせてもらう」
助ける相手に力を借りるとは滑稽な話だ。つい笑みがこぼれた。光栄が呼び寄せた雨は小雨の後、夕刻には晴れ上がってしまった。
* * *
翌日、気を取り戻した遥晃が駆け足で寄ってくる。
「保憲様、昨日の今日ですが早速取り掛かりましょう!」
え? き、今日か? 昨日までと違い雲一つ見当たらない。朝から暑く、雨の降る気配などまるで無いが……。
いや、信じよう。どんな事があってももう遥晃を疑うことは私に許されない。
「あと、面白いことを思い付きました。陰陽道は……ですよね?」
「あ、ああ」
「では……しましょう」
「何!」
遥晃は良からぬ事を企んでいる。……本当に遥晃を信じても良いのだろうか。




