加茂光栄
水色の、大舎人の装束は返納した。これからは、黒の陰陽寮の装束に袖を通す。
「格好がいいね、父ちゃん!」
平昌にも受けは良かった。
新しい服装で大路を歩く。浮いていないか心配で少し恥ずかしい。
保憲の推挙で天文得業生になった。きっと、兼通の家での事を伝えんが為にこの様な形を取ったのだろう。
陰陽寮に属している天文道には、天文博士が1人。天文博士になるための、言わば大学院生に当たる天文得業生が2人。そして、大学生と言える天文生が10人の、計13人で構成されている。
39歳で他の天文生よりも歳上だが、それをすっ飛ばしていきなり得業生に任命された。
とてつもない飛び級だが……。
「お初にお目にかかります。大舎人より、こちらに配属されました。天文得業生の吉備津遥晃です。ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」
「はは。そう畏まらなくてもいいぞ。陰陽頭、加茂忠行だ。前にも会った事はあるが覚えてはいないのかい?」
「は、はい……すみません」
「まぁ、よい。天文への知識は聞き及んでおるよ。息子の保憲が博士であるから教えて貰うがよい」
逆に教えを乞うことになるかもしれんが、と付け加える。去年の流星群のお陰で、皆もこの人事に不服は無いようだった。
天文道と言っても、中身は占いだ。
やっている事と言えば、夜中観測した星がどのような吉兆を示しているのか、書を開き解読する程度だ。
占いって、適当に言われたことを相手がいかに信じ込むかが大事だと思っていたけど、占いをする側は膨大な統計の元に判断を下すのか。
占いの事は全く分からないけど、12星座で適当に今日の占いでもやってればなんとかなるかな。
* * *
保憲が急を要してでも伝えたかったのだから、これまでの事は兼通の仕業なのだろう。
結論として、兼通は頭に血が昇ると見境の無い危険な奴と言うことになる。
兼家も覚醒して、政権を意識するようになった。
これからは今以上に2人の衝突が増えることになる。
兼通が上手く行かなくなったとき、何をしでかすか分からない。もう、早い段階で奴の力を削いでおかねば、兼家の家系全体が傾いてしまうことになる。
何とか兼通にも干渉して……。
あ、忠行! そうだ。確か、荘園の件で悶着があったときに、あの場所にいた。
荘園の経営に賛成してくれたんだ。
陰陽師は、この占いの蔓延る時代では絶大な信頼を持っている。
保憲を陰陽頭に昇進させて、こちらの意向に沿わせれば兼通の動きを封じれる。
2人の確執を解消させる事もできるかもしれない。
今でも保憲は兼通の屋敷に通っているが……。
少しずつなら動けるか? あちらに道秦が付いている以上、俺の動きも注視しているだろう。
俺が陰陽寮に入った途端保憲が動き出せば、怪しまれる危険がある。
あまり大きくは動けないが、少しずつなら兼通を操れるかもしれない。
「保憲様」
人のいない所を見計らって話し掛ける。
「あぁ、なんだ? 遥晃」
煙たそうに保憲が答える。おっ、いいぞ。人がいないとしても、新入社員と上司の関係は装わなければならない。
「兼通様の事なのですが……」
「すまんが、それについては少し離れさせてくれ」
……え?
ぶっきらぼうに告げられ、去っていった。
いや、大事な話なんだけど。聞いても貰えないのか?
不自然になるといけないので、追うこともできなかった。
* * *
それから、保憲から何か話をされる事もない。同じ職場でも目を合わせることも少なくなった。突然、保憲がよそよそしくなる。
何があった? 俺との繋がりが兼通にばれてしまったのか?
いや、保憲は今でも兼通の屋敷に通っている。ばれてしまったのならあそこにはいられない筈だ。
もしや、道秦に何かを吹き込まれて保憲まで騙されてしまっている?
時間が空いても、人がいなくなっても話す事ができない。
いつの間にか、保憲との繋がりを失ってしまった。
どうしたらいい。兼通に手を加えなければ藤原家全体が堕ちてしまう。
兼家に1度引いてもらうか? いや、そうなればそれをチャンスと兼通が2度と上がれなくなるほど潰しにかかってくるだろう。
やる気になった兼家の気も削ぐことは出来ない。
手が無くなってしまった……? 花さんをこちらの陣営に入れようとしたことは失敗だったのか……。
保憲もいなければ、うまく行かない。
次の手を失ってしまった。
「あー、雨乞いとかかったるい。おい、何で俺を呼んだんだよ」
思案に耽っていると、気だるそうに青年が入ってきた。装束をずぼらに纏った、二十歳前後の男だ。
「面倒臭いんだよ。俺に押し付けるなよ」
真っ直ぐ保憲に向かって来て、不満を口にしている。おいおい、ちょっと調子に乗ってるんじゃないのか。
「あ、いや……。すまぬ」
保憲も何故かたじろいでいる。何様なんだ、こいつは。
「ったく。忙しいところを無理矢理呼び寄せやがって。勝手にやってろよ。じゃあな」
青年が踵を返す。いくらなんでもその態度は無いだろう。
「待ちなさい」
いてもたっても居られず、注意する。年輩を敬わないとは、なんて若者だ。
「あ? なんだお前。ふざけてるのか?」
「ふざけているのはそちらだろう。この方は陰陽助。もう少し言動に気を付けなさい」
「遥晃さ……遥晃。待つのだ」
保憲に止められる。いや、ダメだ。調子に乗ったガキに引いてはいけない。ここは大人の俺達がガツンと言ってやらなければいけないのだ。
「遥晃? 貴様が遥晃か。下っ端の貴様がどんな口を聞いてやがる」
「遥晃。この者は私の息子、加茂光栄だ」
えっ? む、息子? 何? 陰陽権助で保憲と同等の地位?
「……た、大変失礼を致しました!」
青くなり、平伏する。
* * *
光栄は俺の失言で更に機嫌を悪くした。
「こいつは名前だけの陰陽助で使い物にならないんだ。祖父様もこいつじゃなく俺に術を継承した。家で出た屑をどう扱おうが俺の勝手だろう」
光栄は続ける。保憲は何も言い返せず、ただ俯いていた。
言わんとしていることも分かる。位も高いことも分かった。
しかし、実の父親をクズ呼ばわりすることに怒りが込み上げる。
「貴様、少し都でチヤホヤされたからと言って少し舐めてるんじゃ無いのか? 身の程を弁えろ」
「先程は大変失礼致しました。しかし、保憲様が力の無い者とは思っておりません。光栄様と違い、雨乞いも見事成し遂げる事が出来るでしょう」
挑発をする。
「貴様は来たばかりで何も分かってないんだよ。こいつは何も出来ない名前だけの男だ。話に入ってくるな。黙ってろ」
「陰陽権助様のように出来ぬ事から逃げるような方ではございませんよ」
「は、遥晃……」
「貴様、言わせておけば」
保憲との関係は悪くなっているようだが、今はそれどころでは無かった。
いくら地位が高いと言っても、実の父親に取っていい態度ではない。他の陰陽師のいる前では尚更だ。調子に乗ったバカ息子を改心させる。そう決心した。
こうして、光栄との雨乞い勝負が決まった。




