兼家の決意
兼通! 藤原家で決めたことを反故にして、訴えて来るとは許せない!
兼家の名義でやっている荘園だ。非難される謂れはない。
それを他の貴族に告げ口してくるとは小狡い。
兼通がその気ならもう遠慮する必要はない。どちらかが潰れるまでデスマッチと行こうじゃないか。
俺にもカードはある。兼通なぞひとひねりの……
「……晃様」
俺はどんな手を使ってでも兼家を国のトップに……
「遥晃!」
兼家の怒声に我に返った。兼通のやって来たことに苛立ち、体を強張らせていた事に気付く。
「もう、良いのです。遥晃様は落ち着いてください」
兼家が努めて優しく語りかけてくる。
あ……。
あの荘園は兼家が責任者になっている。俺が貧民を残すことを押し通してしまったせいで、兼家に非難が来てしまう事に気付いた。
それだけではない。右大臣に問いただしてくる貴族が出ているんだ。兼家の家系を窮地に立たせている。
兼通じゃない。攻撃される隙を作ってしまったのはこの俺だ……。
「あ……か、兼家様。も、申し訳ございません……。私の独断で藤原家にご迷惑を……」
最初、兼家は渋っていた。伊尹も兼家も貧民を遠ざけようとしていた。
こうなる可能性を考慮していたんだ。
荘園は私有地だから何でもできると思っていた。
都の目に晒されるんだから蹴落とす材料にされるかも知れなかったんだ。
「遥晃様は気に病むことはございません。彼らと共に仕事をできて、貧民の気持ちも遥晃様の慈悲も感じることが出来ました。遥晃様のしてきた事は間違っていません。次こそ私が彼らを守ります」
「し、しかし……」
「あの荘園は私が責任を負っています。私が解決します」
兼家と目が合うと、瞳の奥に強い決意を感じた。
俺の失敗も、失態も全て包んでくれる。それだけ兼家を大きく感じた。
* * *
『兼通兄ー! 危ないですから降りてきてくださいー』
『兼家か。そこに梯子があるだろう。お前も上がってこい』
『えー、怖いですよー』
幼き日を思い出す。兄弟で誰より国を考えていた兼通兄。
『良い眺めですね兼通兄ー』
『ここから都が見渡せるだろう。兼家、祖父様も叔父様たちも民を見ていない。上に立ったら民を幸せにするぞ』
『すごいですね! 頑張ってください』
『阿呆、俺たちでやるんだよ。お前も一緒だ』
民を思う兼通兄が変わってしまったのはいつからだろうか。
しかし、それは今はどうでもいい。
私が動かねば遥晃様を守れない。うろたえている時間はない。
『父様! 何故兼家だけが昇殿を許されるのですか!』
『兼通兄。私が……』
『煩い! 俺の気を知っていながら父にすり寄るまねをして! 俺を排除しようとしてるのは分かっているのだ!』
『そんな! 私は以前兼通兄と約束した……』
車を引かせ、大内裏へ向かう。朝堂院へ向かうと父が言葉責めに合っている。
「あぁ、兼家、病は去ったのか?」
「ええ。安静にせよと言われてますが、大事と聞いて馳せ参じました」
「では、言わせてもらおう。乞食と懇意にし、あまつさえ田に入り農奴の真似事をしていると聞いておる」
叔父の、中納言藤原師尹が捲し立てる。
「荘園は決まってしまったから言えなかったが、元々反対だったのだ。兼家の行いは藤原家の品位を貶めている。師輔兄には責を問わねばなりません」
杜撰な論理だ。
「中納言、場をわきまえてください」
「何を言うか。お主の私的な問題であろう」
顕忠も在衡も口を閉ざしている。意識すれば皆の魂胆が透けて見える。特に師尹。父を落とさんとしているのが分かる。
しかし、遥晃様の執ったことは正しい事なのだ。
間違っているのは叔父達なのだ。
「右京は開拓も滞り、浮浪者達を追いやっている場所でした。しかし、この度田を興し、彼らを救済させようとしているのです。民と同じ視点に立ち、民を救う事は正しいことだと存じております」
「愚民にまで落ちる事は我々をも貶めていると知れ! 兼家!」
「民を思うことは上に立つ者の使命にございます」
私は、もう引かない。批難する者に媚びていては大切な人を苦しめてしまう。私が皆を守らねばならないのだ。
「聞かせてもらったぞ」
「み、帝!」
その時、殿上にお帝がおわしなさる。いきり立つ師尹叔父も体を翻し、平伏する。
「帝、どうしてこちらにお戻りに」
「なに、議を終えてもそなたらが残っていると聞いてな。歌でも合わせているのなら朕もご披露しようと思ってな」
「こ、これはそのようなものではなく……」
「中納言。先の帝も朕も民を救えぬことに憂慮していた。兼家のしておることは理念その物なのだ」
「は、はい!」
「この者を否定することは朕を否定することと知れ」
「はい!」
「兼家。民を思う気持ち、嬉しく思うぞ。引き続き励め」
「はい」
帝に赦しをいただく。もはや反論する声は無くなった。責を負う意味を理解する。私は強くならねばならない。
* * *
『父に媚を売るような真似をして、私を出し抜こうとするなぞ舐めた真似を』
『兼通兄! 私はそのような事はしておりません』
『聞かぬ! 俺が立たねばならぬのだ。貴様の計略には乗らん!』
いつから兄は固執するようになったのだろう。兄の誤解を解くために常に身を引いていた。
「すまぬ。屋敷に帰る前に兼通兄の所へ寄ってくれ」
兼通兄の屋敷へ向かい、会わせてもらう。
「なんだ兼家。餉が固くなるではないか」
「兼通兄、一言申し上げたく参上致しました」
決意を固める。
「私はこの国の上に立ちます。どのような策にも屈するつもりはございません」
幼き日の思いを断ち切る。私はもう逃げない。
* * *
兼家に諭され、気を取り直した。
暫くして戻ってきた兼家は何処と無く雰囲気が変わっている。
「宮中の件は済みました。帝にも赦しを戴きました。右京を復興させましょう」
澄んだ頭で考えると1つの懸念が浮かび上がる。
兼通が策した事だと決めつけていたが、妙な引っ掛かりを覚えていた。
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