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夏感冒

 危なかった。オカルト好きな人達だから怨霊をネタにすれば近寄らないと思っていた。まさか車を降りて兼通自身が踏み荒そうとしてくるとは。

 保憲のお陰で信じてくれた様だが、頭に血が昇ると兼通は何をしてくるか分からないな。


 何はともあれ、これで兼通達がここを荒らす心配は無くなったけど……。


「は、遥晃様。わ、私達の家の前は呪われているのでしょうか……」


 保憲の一言は兼通だけではなく、集金屋達にも打撃を与えた。





「遥晃様。今年の大豆は死者の怨念が具現した物と伺いましたが、召し上がってもよろしいのでしょうか」


 兼家もビクついている。


「はい。大豆が実れば邪気は昇華されます。豆は食べれるようになりますし、右京も浄化されますよ」


 適当に理由を作る。何だか嘘に嘘を重ねて詐欺師になった気分だ。


 呪われていると広めてしまったけど大丈夫だろうか。怖がって誰も手を付けなくなったらどうしよう。

 ま、その時に考えればいいか。食べて見せれば安心するでしょ。




 *  *  *


 夏風邪は馬鹿しか引かないと言うが、兼家が引いてしまった。仕事を休み、屋敷へ見舞いに行く。


「これは右京の呪いでしょうか」


 症状をあらかた診終えると、心配そうに兼家が聞いてくる。


「いえ、そう言った類いではございません。『風邪』ですので、安静にしていれば良くなりますよ」


「かぜ? ですか?」


 この時代では風邪を何と呼んでいたのだろう。全て怨霊のせいにして病と一纏めにしていたのだろうか。


 でも、赤痢は血屎ちくそと言っていたし、何かしら呼び名はあるのかもしれない。


「少しでも楽になるように薬を用意しますね」


 葛と生姜は用意できるはずだ。祈祷で気休めをするよりは効果があるだろう。


「助かります。いつもは浄蔵じょうぞうに薬を手配してもらっていましたが、遥晃様ならより安心です」


 ん? あ、そうだ。高価だけど薬はあるんだった。貴族なら薬を買うこともできるんだ。


「あ、えっと。その薬師にお願いできますでしょうか。私のそれは独学ですので、後学の為に知っておきたいのです」


 余りにも突拍子な事をしてきたら指摘することもできる。そう言って兼家を渋々納得させた。


 しばらくしてやって来たのはかの寺の和尚だった。





「遥晃様に見られていると過ちが浮き彫りにされそうで怖いですね」


 和尚に言われる。浄蔵というのか。薬学にも精通していることを初めて知った。

 いや、水飴も作っているから相当の知識は持っているのか。


「症状を伺いましたが、感冒でしょうね」


 かんぼう、風邪はかんぼうと言うのか。


葛根湯かっこんとうをご用意致しましょう」


 そう言って浄蔵は準備を始めた。葛の根は俺も使おうと思っていた。

 しかし、浄蔵はそれ以上にまともそうな薬を調合していく。


葛根かっこん生姜しょうきょう桂皮けいひを合わせます」


 葛粉に生姜とシナモンを混ぜる。そこまでなら変わらない。こちらに確認を取るよう、説明しながら調合していく。


「後は芍薬しゃくやく麻黄まおう甘草かんぞう大棗たいそうを加えます。これで宜しいでしょうか。遥晃様」


「あ、あぁ。はい。問題ございません」


 次々と配合される薬に付いていけない。現代でも聞いていた葛根湯ですら素人知識の自分には分からなかった。これが正しいかどうかも分からない。


「下薬は毒にもなりかねませんからね。配合を変えれば効能も変わりますし。これを期に再確認できて良かったです」


 げやく? 分からない言葉が続く。





 平安時代を舐めていた。病気は祈祷にすがるものと思っていたが、ちゃんと漢方の知識は伝わっていたのだ。


 でも、漢方の知識も薬もあるのになんで祈祷にすがるのだろう。高価な薬を買えない庶民なら怨霊に怯えるのも分からなくもないが、薬の当たる貴族なら医療に信頼を置いてもいいものなんだが。


 浄蔵が数日分の薬を用意し帰っていった。俺には疑問だけが残る。




 *  *  *


 兼家の感冒は酷くならず快方に向かっていった。

 話を聞き、医学事情を知る。


 元々、隋や唐から医学は入ってきていたらしい。

 かの鑑真も医学に詳しく、来日してからは布教と共に医療も広めていたらしい。


 しかし、いくら薬で予防していても病気はかかる。

 薬を服用しても治らない病気もある。

 そのせいで薬や医療に対する評価は著しく低い物になっていた。


 薬での予防は気休めで、本格的な治療こそ祈祷と信じているらしい。

 怨霊に取り憑かれているので祈祷こそ呪詛を祓う最も有効な手段と考えられている。


 災害や疫病が頻繁に起こるから、全ての疫災を誰かの呪いと言うことにして納得してしまったのだろう。


 この時代の庶民は病気になれば天にすがるのみ。貴族は初期に薬を服用するが、良くならなければ病床の身を押して冷水を浴びみそぎをする。それでも治らない大病を祈祷で祓うという治療法を実施していた。


 こんな間違った知識がまかり通っていれば治る病気も治らない。無駄に人死にを増やすだけだ。


「宮中には医学書がありますよね」


「ええ」


 兼家に確認する。


「大量にある医学書を要約して編纂することは可能ですか? 薬は祈祷よりも強い力を持っています。万人に医学を広めれば病を減らすことができます」


 薬が庶民に回る事はあまり期待できないが、にんにくや生姜も自生している。術師のレッテルのお陰で成り立ってる今の地位を捨てる可能性もあるが、医学の地位を高める事がこの時代では必要なはずだ。


「分かりました。位を売った者に医博士がいます。その者に命じましょう」


 いずれ、術師の地位は下がってしまう事になるだろうが、俺みたいなペテン師が蔓延るよりはこの国はましになるだろう。





「兼家様! 右大臣が右京の荘園の件で糾弾されています!」


 話の途中で右大臣の使いがやって来た。荘園で浮浪者達と懇意にしていることを他の貴族達が問題にしているらしい。


 兼通が手を打って来たのだろう。どこまでも邪魔をするやつだ。

 勇吉達はよくやっている。身分だけを見て悪く言いやがって。


 どこまでも嫌がらせをしてくる。兼通に腹が立った。



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