沙耶と耶枝と勇吉2
動きやすい服に着替え、兼家の屋敷に向かう。
兼家に任された手前、手を借りずに済ませようとしてたけど、手伝って貰おう。
荘園の状況を説明してまた矢平次達にお願いする。
「よし、私も行きましょう」
一通り話が済むと、兼家が手伝うと言い出した。
「いえ、兼家様は残っていてください。矢平次様達と済ませてしまいますから」
「手が足りないと仰ったのは遥晃様では無いですか。病が広がったときも、荘園の話があったときも助けることできず、心の靄が晴れないのです」
今回は引き下がらなかった。
「病の心配も無いのでしょう? 今回は手伝わせて下さい」
説得を続けたが、兼家は聞かなかった。諦めて、兼家にも手伝ってもらうことになった。
「田の先の方を見ながら植えていくんです! 手元ばかり見ているとまっすぐ植えれませんよ!」
慣らされた所から苗を植えていく。機械も無いから手作業だ。始めてすぐ腰が疼き出した。
農家の血が騒ぐのか、梨花さんが人一倍声を張り上げ皆を指導している。
「これを見てください! 手元ばかりを見ているとこのようになってしまうのです! この列は誰が植えているんですか!」
「わ、私だ。すまない」
「か、兼家様! あ、た、あの…申し訳ございません!」
「こちらこそすまない。今まで見ているだけだったが、自分でやってみると大変さが見に染みるな」
梨花さんが顔を真っ赤にして謝っている。皆、田坂の人達と打ち解け、和気あいあいと作業を続けた。
兼家も身分の隔てなく接している。やはり兼家は他の貴族と違う。
「それにしても、このような事までできる方を正室に迎えられるとは、遥晃様はお目が敵っていますね」
「時の少納言、藤原兼家様にご指導に当たれるとは胆が据わっておられる」
矢平次が茶化す。
「自慢の妻です」
「梨花様、引き続きのご指導、何卒よろしくお願い致します」
「う、うわー! 兼家様! 申し訳ございません!」
「はっはっは!」
和やかに田植えが進んでいく。腰の痛みも忘れて作業が続けられた。
きっと、全部の田んぼは間に合わないが、少しでも多く植えよう。休みもとって、できるところまでやっていこう。
* * *
耶枝さんの看病をしながら、頭の中でぐるぐると回るものがある。
ここに逃げて来た時の事。遥晃の事。お坊様や沙耶が言っていた事。
父ちゃんが仕事を失って、住むところを追われてここに住むようになった。暮らしは苦しかったけど、皆優しかった。
だから、遥晃が来た時はまた俺達を追い出そうとしてるのだと思った。
けど、遥晃は食べ物だってくれるし、仕事を拒否してる俺達を追い出そうとしない。
田んぼが進まなくても、俺をここに残そうとしている。
「さ、沙耶さん? やることは済ませたよね? ちょっと気になる事があるから後は任せていいかな」
何をしようとしてるのか。遥晃の事が気になる。
沙耶に任せて田んぼに帰った。
「な、なんだこれ……」
田んぼでは田植えが始まっていた。中にいるのは遥晃と、前に一緒にいた貴族みたいな人。
遥晃が田植えをしている。俺達にやらせるでなく自分で……
思わず駆け出した。
遥晃は自分で田植えを始めた。ずっと反発してたけど、遥晃は俺達を見捨てなかった。
本当は気付いていたんじゃないか。
遥晃は俺達の名前を呼んでくれる。
乞食だって蔑まれてた俺達の名前を呼んでくれている。
家も食べ物も着るものだってくれていた。
気付いていたのに悪いように捉えていた。間違っていたのは俺達なんだ。
「はぁっ、はぁっ、み、みんな……」
部落に戻り、皆を呼ぶ。
「勇吉、どうしたそんなに慌てて」
「はぁ、は、遥晃を助けようと思うんだ。一緒に田植えをしてくれないか?」
「はぁ? 何を言っているんだ。なんであいつを助けなきゃいけねえんだ」
やはり、反発を食らう。
「お前が一番に反対してただろう。何か吹き込まれたんか?」
「目を覚ませ勇吉。お前、騙されてるんだぞ」
「ち、違う。遥晃は……」
「おら達を利用したいんだべ。聞くことねえ。家も取られたんだ。おらは絶対に許さねえ」
ぞろぞろと皆が集まってくる。皆に伝えたいのに言葉が見つからない。
「でもあいつは食べ物を……」
「食べ物で釣って俺達を騙くらかそうとしてるんだ。お前もそう言ってたじゃねえか」
説得したいのに、俺が否定してきた事しか出てこない。どう伝えても、皆の気持ちは変わらない。
俺1人じゃ足りないんだ。少しでも人が欲しい。
「……」
言葉を失う。沈黙が訪れた。
言い返せない悔しさに涙が出てくる。
「勇吉、何を吹き込まれたんだ。俺が言い返してきてやるから少し休んで……」
「……おらは行くぞ」
えっ? 聞こえた言葉に顔を上げると安則がいた。
「おらは行く。皆に合わせて黙っていたけど、遥晃は悪く無い奴だと思う。勇吉、何をしたらいいか教えてくれ」
「あ、えっと、田植えが始まってるからそれを手伝いたいんだ」
「分かった。準備して……」
「待て安則! 行くこと無いだろ! 皆で遥晃を追い出そうって決めたじゃねえか!」
「そうだ。何をとち狂ったことを」
「遥晃はおら達を見てくれている。仕事も探してくれるし、飯もくれた。おら達が何を言ってものけ者にはしてねえだろ」
安則は反発にめげなかった。
「でもお前、遥晃は……」
「おらはここに来る前、貴族の所に仕えていた。でも、辞めさせられてここに追いやられた。都の誰もが俺を蔑んで来たけど、遥晃だけは俺を1人の人間として扱ってくれている」
皆が黙る。
「物乞いをしながら食うものも食えずに生きてきたけど、遥晃はおら達の事を思ってくれてる。田んぼも、おら達の食い扶持を作ってくれてるんだ」
「お、俺も……」
佐知が声をかける。
「名前を覚えてもらってちょっと嬉しかったり。俺も行こうかな、なんて」
少しずつ賛同してくれる人が出てくれる。俺は、なんで遥晃を拒んでいたんだろう。
「確かに、俺の名前を覚えてくれていた」
「体調も気遣ってたし、よく見に来ていたな」
「遥晃って悪いやつじゃないんじゃない?」
「俺も行く!」
「俺も俺も」
「じゃあ俺も!」
「皆が行くならおらも付いてくわ」
「……分かったよ。言われればそうかもしれない。俺も行くよ。準備してくる」
ありがとう。安則のお陰で皆が動いてくれた。俺も遥晃に貰った鍬を持って田んぼに戻った。
* * *
「ちょ、ちょっと休憩!」
限界が来る。腰が悲鳴をあげていた。
「はるさんは畔に上がって休んでいてください! 私はもう少しやってますから」
お言葉に甘えて休ませてもらう。
梨花さんも語気は強いけどきつそうだ。梨花さんにも無理をさせている。
広大な湿地を皆が田んぼに変えてくれる。無理を強いてしまっている。自分はすぐにへばるのに。
もう少しこの体が使い物になればいいのに。
「遥晃」
腰を伸ばしていると貧民達に囲まれていた。手には鍬を持っている。
やばい! 襲われる! 逃げ、痛たた。腰が。動けない。
「お前の言うことを無視してすまなかった。俺達にも田植えを手伝わせてくれ」
はえ?
言うなり田んぼに飛び込んでいった。勇吉が照れ臭そうに謝ってくる。
涙腺が緩む。僧の言っていた事を思い出した。長かったけど、皆に気持ちが伝わってくれた。
* * *
それからはあっと言う間だった。開墾と田植えが数日の内に終わった。
30町の湿地に稲の苗が揺れている。
「遥晃ー」
勇吉はいつの間にかなつくようになっていた。荘園に足を運ぶ度、声をかけてくる。
まだ開拓は始まったばかりだけど、なんでもできそうな気がして俺の心は晴れていた。




