ろうそく
「ここからは泥濘が酷いので、牛車から降りて歩きでお願いします」
荘園の進展具合を伊尹が見に来た。
兼家も連れて案内する。
「田坂の村民を連れてきたらしいな。……ん? どうした?」
「……いや、まぁ」
田植えの済んでいない現状を説明する。
ここに住んでいた貧民およそ100人。田坂から連れてきた20人。それだけいれば上手くいくと思っていた。
田坂の人間は女性と子供ばかりで力不足だ。貧民に指導をして田植えを始めてくれることを願った。
しかし、貧民は動いてくれなかった。田坂の人達とも距離を置き、軋轢のようなものが生じている。
「やい、いい加減にしろよ遥晃!」
敵対心を剥き出しにして貧民の少年が噛みついてくる。
「勇吉。どうしても手伝ってくれないのか?」
荘園の人間を把握するため、名簿を作った。それで大体の名前は把握している。こいつは勇吉。荘園の改革を始めたときに真っ先に反抗してきた少年だ。俺の姿を見るや一目散に駆け寄って罵声を張り上げる。
「俺たちはな! ここに追いやられたあと皆で必死に生きてきたんだ! お前は俺達を捨てておいて家を移れだの風呂に入れだのほざきやがる! 放っておいてくれ! 俺たち自由に生きたいんだ! 後からやって来てあれこれ命令するんじゃねえ!」
食べ物で釣って、仕事を与えれば動いてくれると思っていた。今後の食料を自給できるようになれば自立心が芽生えて貧民もやる気を取り戻すと。
少し不思議なものを見せて驚かせば盲信して俺の言うことに素直に従ってくれると思っていた。
俺は貧民の事を考えていなかった。勝手に動いてくれる道具のように考えていたのかもしれない。
彼らの気持ちを無視してあれこれと指図してしまった事で、俺との相性は最悪にまで落ちていた。
「もう来るんじゃねーよ! ここに入ってくるな!」
捨て台詞を吐いて勇吉が去っていく。
「このような状況なのです」
黙って見てくれていた伊尹と兼家に説明する。
「酷い状況だな」
伊尹がポツリと呟く。
「やはり、人夫を入れた方が宜しいのではないですか?」
兼家にも諭される。
「私達の前でやると決まった以上、失敗は許されないぞ。大丈夫か? 遥晃」
分かっている。失敗することは兼家に責任が降りかかってしまう。兼通もここぞとばかりに追求してくるだろう。
『あれほど止めろと言ったではないか』
そう言って高笑いをする兼通が絵に浮かぶ。
それでも。
「すみません。何とかしますからもう少しだけ時間を下さい」
どうしても貧民を放っておけなかった。
* * *
休みを作り、寺へ向かう。
何度か通った道だが、それでも距離が遠くて辟易する。
「すみません、突然ですが」
「遥晃様! 久しく思います。いかがなされました?」
「この前は病の広がる中動き回ってくださりありがとうございました」
庭を掃除していた僧侶と軽く挨拶を済ませ、お堂に入れてもらった。
貧民街を歩いて回り、救いを与える僧侶。彼等なら貧民の事を少しは分かってくれるかもと思い、相談する。
「そうですか。あの区域を荘園にして貧民をお救いなさると」
「できればそうしたかったのですが、なかなか手懐ける事ができなくて」
「それでも素晴らしい事だと思いますよ。都に見捨てられた民ですから。冤罪で地獄に落とされた者を引き上げる閻魔のような所業です」
「最初は住むのに適さない場所から移しました。健康を管理しようと食べ物を与え、お風呂にも入るよう指示をしました。貧民の状況を把握するために戸籍のようなものも作ろうとしたのですがそれが彼等の癪に触ったらしく、反発されるようになったのです」
「そうですか。皆に見捨てられて彼らも荒んでいるのでしょう。それでも遥晃様は彼等の事を思って下さっています。きっと心を開いてくれますよ」
そうだといいんだけど、それでも早くしないと田植えの時期を過ぎてしまう。人心を掌握するコツなんかを教えてもらいたかったんだけど、どうにもら埒があかなかった。
このまま自堕落に生活させるわけにはいかない。何とか彼等が動ける仕事を作らないと……
「あの、以前ろうそくの製法をお教えすると言っていましたが」
ダメ元で聞いてみる。
「申し訳ないのですが、貧民の仕事として彼等にやらせては頂けないでしょうか」
* * *
冬のうちに僧侶達に木蝋を作って貰っていた。
都が燃えてゴタゴタしていたせいで蝋燭を作れないまま今日まで来てしまっていた。
貧民にも仕事として作らせることを了承してもらったが、僧侶にも教えておく。
ウルシの実を蒸して押し潰すと油が搾り取られる。
温めて液状にし、水に注ぐと不純物は水に溶けて、油だけが浮く。
浮いた油を掬い、温め直して水に注ぐことを繰返し、不純物を取り除く。
これで生蝋ができる。集めた油を一月程天日で干すと木蝋が出来上がる。そこまでは僧侶達に作ってもらっていた。
木蝋を集める。温めて溶かし、紙撚にい草の髄を巻き付けた芯に塗り付けて、冷ます。
冷えて固まったらまた上塗りをし、それを繰り返し厚くすることで蝋燭が出来上がる。
試しに火を点けてみる。明々と光が灯り、火が風に揺れる。
「正しく蝋燭です! 日本でも作れるなんて!」
「せ、製法を伝授していただきありがとうございます」
国産の蝋燭が完成した。僧侶に感動される。
「こちらこそ、お教えすると言ったのに遅くなってしまい申し訳ございません。兼家様の荘園で作ることになることをお許し下さい」
帰りは馬を宛がってもらった。作るのに大分手間がかかり、すっかり遅くなってしまった。
日が暮れないうちに帰らないと。
田坂の人達は住みかを無くしてしまっている。貧民を追い出し、都の人間が入ってくると、今以上に風当たりが悪くなる。米作りの知識を持った彼等はこの荘園に必要だ。
何とかして貧民と和解させ、共存してくれる事を願う。
懐に仕舞った蝋燭に一縷の望みをかけた。




