墾田永年私財法
「えっ! 引っ越しの話は無しに?」
数日後、申し訳なさそうに兼家が謝る。
「すみません。話を通そうとしたのですが、兄の兼通に遮られてしまいました」
兼通といえば保憲が雇われている所だよな。
保憲が漏らしてしまった事だが、兼家の家に呪いをかけようとしていた、右大臣家の次男である。
なぜ俺に嫌がらせを?
兼家に対する当て付けか? 保憲が何かを喋ったか?
理由は見つからないが、結局俺は右京に残ることになってしまった。
もう一度、復旧中の右京に戻る。
小路をふたつ挟んだ先に湿地が広がっている。
そんなところにも家が点在しているんだからどうしようもない。結局住むことになる右京。トイレを造るだけでは問題は解決しない。
平安京に来て160年以上経っているんだから経験則で危険だとわかると思うんだけど。
国が決めて住まわせているから従わなければいけないのだろう。
これじゃ田んぼの中に家を建ててるようなものじゃ……
ん? 田んぼ?
田んぼにしちゃえばいいのか? 家を立ち退かせて開墾すれば……。いや、都の中をどうこうできるわけがないか。
それでも、湿地から人を離れさせ、少しでもリスクを減らさないと。
何か策が無いか考えを巡らせる。
考えようにも平安時代の知識なんて中学の授業でやった程度だし、いくら兼家が付いてくれたと言っても国を動かせるほどの力は俺には無い……。
その時、歴史の授業で習ったことを思い出す。
右京の整備を国は投げ出している。もし右京を見捨てているのなら、うまくいくかもしれない。
当時は嫌々やっていた勉強だけど、学校で習うことも役に立つことがあるんだね。
* * *
「右京に荘園を造る、ですか?」
兼家に思い付いた事を相談する。
「はい。墾田永年私財法という法律があるはずです。右京の湿地、国が放置した一帯を荘園として管理したいと思っているのですが」
「そんな無茶苦茶な。都を私有地にするなんてとんでもない話です」
「それでも右京は見捨てられ、人ならざる者が住み着いているでしょう」
「それは、そうですが……」
「湿地は宅地には向きませんが稲作には適しています。政府の介入していない場所で病気を増やし、都に広がる危険を考えれば、誰かが手を入れる方が良いと思うのですが」
都で農業は禁止されていると後から知ったが、去年畑を作っても見て見ぬふりをされたんだ。それだけ右京は放置されている。
きっかけが無いだけで、荘園造りはやろうと思えばできるはずだ。
「そうは言いましても……。いや、聞くだけ聞いてみましょう。遥晃様の事ですし、余程重要な事なのでしょう」
渋々だが、兼家も乗ってくれた。
墾田永年私財法。
新しく開墾した土地を永久に私有地にできる法律だ。なじみ(743)ある墾田永年私財法。743年に制定している。
元々、親子3代まで私有地として認められ、それ以降国が没収する三世一身法があった。しかしそれだと農民がやる気を出さず田畑が荒廃してしまう。
それに見かねて作り直した法律だ。
この法律のせいで荘園ができ、貴族が力を持つようになり、いずれ武士が台頭していく……が、それは今問題ではない。
この法律を振りかざせばきっと右京をいじれる。田畑で収益をあげれば、それで左京に住む場所を作れるかもしれない。
荘園造りは開墾を始める際に国に申請をしないといけない。
駄目かも知れないと一言断りを入れて、兼家は動いてくれた。
* * *
住宅の建て直しが始まる前に気付けてよかった。
無駄な区画整理も無く、春から直ぐに農業を始められる。
兼家の私有地になれば収益も彼に還元できるし、これまで動いてくれた礼も返せる。
浮浪者達の生活も向上できる。
無い無いで動かないんじゃなく、考えれば抜け道はいくらでもあるんだ。困窮している住民を、知識を駆使して向上させる。何でもできると思い込んでいた。
考えは荘園の発展に向かっていた。
なんで突発的に考えたものが上手く行くと思ったんだろう。
兼家を申請に向かわせて数日。正宣の家でくつろいでいるとバタバタと屈強な男達が入ってきた。
「えっ? はるさん?」
「父ちゃん!」
考える暇もなく後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされる。
されるがまま運ばれる。大内裏の近く、一際大きな屋敷に着く。
何人か男達のいる広間に連れていかれ、伏せさせられた。
都を私有地にするなんて、少し考えれば駄目だってわかるじゃないか。
兼家に頼めば何でもできると浮かれていた。なんとか言い訳をしてこの場を……。
あ、猿轡を付けられている。
どうやら最悪の状況に陥ってしまったらしい。




