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樋殿

「ただ今戻りました」


 正宣の家に帰ってきた。既に陽は落ち、辺りは暗くなっている。


「遅かったな、遥晃」


 燈台とうだいに灯を点け、正宣が迎えてくれる。

 もう、平昌は寝てしまったらしい。


 梨花さんに一言断りを入れて正宣の部屋へ行く。





「右京について聞きたいんだけど」


 漠然と、右京には家が少なく、活気が弱い気はしていた。

 そこまで周りを気にする余裕も無かったし、そもそも雨が少なかったせいで分からなかった。

 雨が降り、建物がなくなり見渡せるようになって気づく。右京は水捌けが悪く、湿地帯になっている。




「確かに水捌けが悪いな」


 正宣が地図を書きながら説明してくれる。


「こっちが大内裏で、遥晃の家がこの辺なのは分かるな」


 トントンと筆で指し示しながら言葉を続ける。


「大まかにしか知らないが、四条辺りからぬかるむようになって、南西に行くに従って酷い状態だ」


 平安京ができた頃から問題になっていたらしい。

 砂を運んできてかさ上げをしたりと対策を取っていたが、いい成果を上げられず直ぐに断念。

 結果、荒廃した土地に貧乏人が追いやられ、放置されているという現状らしい。





 右京にやられる人間はあまり重用されていないのだろう。

 きっと遥晃も期待はされていなかった。


 案の定、今回に限らず毎年と言っていいほど右京では病気が発生しているらしい。


 沼地のような所で、汚物も死体も放置していたらそりゃ病気も蔓延するよ。


 かといって汲み取り式便所を作ったところで、排水の悪い土地だと水が溜まって溢れてしまう。


 政府も整備を諦めるほどの劣悪な土地。住むには適さないよな。

 その近くに住んでいたら病気が家にも広がる恐れがある。今までが幸運だっただけだ。

 トイレを作るだけじゃ解決しないぞ。


「理解したよ。夜遅くまで悪かったな」


 都の事だ。正宣にどうこうできる問題じゃない。今度兼家に相談しよう。





 *  *  *


「右京の改善、ですか」


 後日、兼家に会う。もう病気はこりごりなんだ。家の周りを改善できても近隣に病気の温床があったら気が気でない。


「ここに遷都されて、右京の問題が現れ、色々と施政なされたようですが改善はできなかったようです」


 正宣と同じ事を言われる。


「この湿地が病気の原因になっているのですが、昔から右京は鬼が住むと言われたり、住民が蔑まれていたりとかありませんでしたか?」


「……はい。その通りですね」


 行政は完全に放置している。かといって何か手があるわけでもないし……。


「遥晃様は何か策をお持ちなのですか?」


「いえ……思い付きません。ただ、このままにしておくことは出来ないとも思ってはいるのですが」


「……左京に移られるというのはどうでしょう」


「その様な事が可能なのですか?」


 なんだ、盲点だったけど簡単な方法があるんじゃないか。無理に環境に手を入れる必要は無いんだ。


「ええ。遥晃様のご家族程度なら話を付ければ直ぐにでも移り住むことはできるでしょう」


「え? うちだけ? 右京の他の人達は?」


「それは、難しいと思います。人が少ないとは言っても左京に収まりきるほどではありませんし、その……」


 言葉を濁しつつ説明を受ける。被差別部落の人間が流入してくるといざこざが増えるおそれもあるらしい。


 足りない家を作っていくのにも政府の財源を充てられない。京職の改訂にも労力がかかるから現実的では無い、との事らしい。





 自分達だけ左京に逃げる、か。いや、家族を少しでも安全な場所に置かなきゃ行けないんだ。現状は改善できない。家族を避難させるのが最優先だ。


「申し訳ありません。移転の件はよろしくお願いします」


 それでも、畑を手伝ってくれた隣人や、大豆を普及させるために近付いた集金屋。

 彼等を放っておくのも気が引ける。


「すみません、用を足したいのですが少し退席させて下さい」


 話の途中だが尿意を感じ席を立つ。


「あ、はい。では樋殿ひどのに案内させます。おい、誰か!」


 ひどの? 外に出て立ちションしようと思っていたんだけど。


 矢平次が飛んできてひどのと言うところに案内してもらう。

 使用人の詰所を抜け、すだれで覆った個室に着く。

 あぁ、トイレじゃん。道端で排泄してるわけではないのね。庶民はそうでも貴族の屋敷にはちゃんとトイレが常備されているらしい。




 むぐっ!



 簾を上げると個室の中は臭気に満ちていた。トイレの中には木で作られたおまる。

 臭い立つおまるがそこに存在していた。


 いや、既に臭いには慣れてるじゃないか。気を取り直し穴に目掛けて用を足す。





 屋敷がお香のいい香りに満ちていたから面を食らった。

 あのおまるがこの時代の便器らしい。トイレを樋殿ひどの、おまるを樋箱ひばこと呼ぶらしい。

 中身が溜まると樋洗ひすましという人が川に流しに行く。

 さっきのは使用人の物で、兼家他、家の人間にはそれぞれ専用のおまるがあり、用を足したら中を確認させ、体調管理をするらしい。





 何度かここに来ていたけど、知らないことも多いもんだな。


「すみません、お借りいたしました」


 兼家の部屋に戻る。


「先程使わせて貰った樋箱ひばこですが、簡素なものを作って右京の庶民に配ることはできますか?」


「はい。直ぐにとはいきませんが、簡単な物なら費用もかからないでしょう」


 湿地に住まわせるのは危険だけど、少しでも改善しないと。

 トイレを普及させて病気を減らす。


「都の問題になるかもしれないので、できれば支援を頂きたいと思っております」


「はい、畏まりました。父にも相談させて頂きます」


 右京を離れることになるんだ。せめてもの置き土産を残さないとね。




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