大監物の屋敷
正宣の父さんが赤痢にかかった……
梨花さんも平昌も同じ屋敷にいる。感染力も致死率も分からない病気だけど、同じ空間にいさせるのは危険だ。
正宣の父さんを助けられるかどうかは分からないが、梨花さん達を隔離する必要がある。
「兼家様、私は大監物の家へ向かおうと思います」
「あ、はい。少々不安ですが行かれて下さい」
「遥晃! お、俺も行く!」
「正宣は残ってくれ。まだ俺達も安心できる訳では無いんだ。もし、ここの人達が発症したり、病気がここまで広がってきたときに対処してくれ」
「で、でも……いや、わかった。遥晃の事を信じる。父を、頼む」
名残惜しそうにする正宣に病気の対処を説明する。
「あと7日程はここにいてください。体調が悪くなったらすぐに知らせる事。兼家様もこちらに来ることを避けてください」
「はい! わかりました」
「田坂の村について、聞きたいこともあります。戻ってきたら教えてください」
「分かりました。遥晃様、どうかご無事で」
意を決して正宣の家に向かった。
まだ、病気は大きく広がっていないが、きっと事は大きくなる。
日本で赤痢が出るとニュースで報道されるほどの病気なんだ。
排泄物も死体も放置するこの時代なら、これから一気に広まってもおかしくない。
薬で治るか分からないけど、薬も無いから水を飲ませることしかできない。
正宣には任せろと言ったけど……
正直放置して隔離する方が最善だとも思っている。
他の人間がどうなっても、梨花さんと子供達だけでも守りたい。
世界が破滅しても、家族が無事ならそれでいい。
本音は薄汚い思考で満ちていた。
正宣の家に着く。家の前に灰を撒くことを忘れていたけど、門前には兼家の屋敷と同じように灰が敷かれていた。
吉平か吉昌がやったのだろう。
灰を踏んで中に入る。
病気の温床になってるかもしれない。梨花さん、平昌。無事でいてくれ。
「は、はるざんっ!」
戸を開けると梨花さんが胸に飛び込んできた。
「り、梨花さん! まだ俺も危険だからあまり近づかないで!」
「よ、よじ……よじひらが! 吉平も病にかかって……」
梨花さんを離そうとする手から力が抜けた。
な、なんで……。吉平まで……。
家に入ると風下に屏風で仕切った部屋がある。どれも吉平が用意したのだろう。
あの先に大監物と吉平が倒れている。
床のいくつかに灰が盛られている所がある。平昌が的確に指示を出していた事が伺える。
吉平に、もっと感染の怖さを教えてやればよかった。下痢は、幼い子供ほど危険な病気だ。
真っ先に逃げるように言うべきだった。いや、逃げるも何も大監物が吐いてかかってしまったのかもしれない。吉昌は端の方で家の人たちと固まっている。
家の状況を確認する。
「梨花さん、落ち着いて。俺が出てってからの事を教えて」
「は、はい。はるさんが出てからは吉平が場を仕切って対処をしていました。はるさんが病気が広がることを懸念しているからと言って、門前に灰を撒くよう支持を出しました」
吉平の奮闘が頭に浮かぶ。
「常に皆の体調を気遣っていたのですが、昨日、仕事から帰ってきた大監物様が倒れて嘔吐してしまったのです」
「え? 昨日?」
俺はさっき聞いたばかりだった。昨日のうちに正宣の父さんは倒れたらしい。
「吉平は皆に離れるよう伝えて、吐瀉物に灰をかけ、部屋を作り看病を始めました」
盛ってある灰を指差し、梨花さんが続ける。
「子供はかかると危ないからと、吉昌は近寄らせないようにして、自分はっ、物書きを、教えてっ、もらったって……!」
耐えきれず梨花さんが顔を覆う。
吉平はこの家で1人で頑張っていた。4歳の子供が。危険と知って病に立ち向かっていた。
「何かあっだら中がら伝えるからっで、あの屏風のながにはいっでがんびょうじでだんでずげど……よじひらもびょうぎがうづっだんではるさんを……ううぅ」
看病して、1日遅れで感染したから俺を呼んできたと言うわけか。
「梨花、ありがとう。心配かけたね。大監物様も吉平も大丈夫。俺が治すから安心して」
「は……はひ」
見上げてくる梨花さんの目から大粒の涙が零れる。家の人を3人呼んで屏風の先へ向かった。
3人を外で待たせ、屏風の中へ入る。もう、病気に対する恐怖は消えていた。
いや、怖いことには変わり無いな。それよりも、今までの自分に対する怒りが上回っている。
――いいのですか? あ、いえ、以前申しました通り病を患う危険がございます。
それも理解しております。私共、遥晃様の為に動きます――
――施術中に感染するかも知れないのですが、手伝って頂けますか?
はい、民を導くのが私達の務めですから――
――子供はかかると危ないからと、吉昌は近寄らせないようにして、自分はっ、物書きを、教えてっ、もらったって……!――
病気の怖さも仕組みも分からないからって、そこを利用して手伝って貰おうと考えていた。
そんなわけ無いじゃないか。分からないからこそ、俺なんかよりも病気は怖い筈だ。
それなのに。恐怖を抱いているのに自分から向かっていっている。
俺だけが逃げていた。
頼られているのに、逃げていた。
思い出せよ! ここの人達は皆着いてきてくれる! 生前の上司のように逃げ出す人なんていない!
いつの間にか俺があいつのようになっていた。面倒事から逃げて、波風を立てないように。責任を取らないように……
もう、逃げるのはやめだ。そして、皆を助ける。
こんな状況になるまで気付かなかった自分に苛立ちを覚えた。
異臭に満ちた空間に座る。横になる大監物と吉平は苦しそうに呻いていた。
「遅くなったな、吉平」
「と、父ちゃん、ごめん……」
「大丈夫だ。楽にしな。父ちゃんが看病してやる。新しい水と灰を用意してください!」
吉平が用意した水は温くなっていたので新しいものを持ってこさせる。お湯を冷ましたものは飲み水に。冷たいたものは額と首筋を冷やすために使う。
「大監物様、ご無事ですか?」
「は、はい。苦しいですが、吉平のお陰で生き長らえています。まだ怨霊は締め付けて来ますが、負けたくございません」
汚物に灰をかけながら、話しかける。的確に処置をしたのだろう。大監物も容態は落ち着いている。
「ほら、ゆっくり飲みな」
吉平を抱え起こし、水を飲ませる。汚物も気にならなかった。
「甘い……」
ずっと張り詰めていたのだろう。水を飲み終えると、吉平はゆっくりと眠りについた。
「父ちゃん」
夜、吉平に声をかけられる。水を変え、敷物を変え、寝る気が起きなかった。
「どうした?」
「みやこは、だいじょうぶ? ちょうしさまはげんき?」
こんな状況になっても周りを心配できる吉平が眩しく感じる。
「あぁ。大丈夫だ。吉平はゆっくり休んでいいんだぞ」
「うん。何かあったら俺がたすける……」
「よし。じゃあそれまでにしっかり治さないとな」
「うん」
夜を徹して看病を続けた。吉平も大監物も顔色を良くしていき、俺は知らぬ間に意識を底に沈めた。




