罹患
「ぐううう、そこを押して下さい。そこ、そこ」
作業で痛めた腰を押してもらう。これは病気では無いと思いたい。
死体の処理をして3日が経つ。筋肉痛を除けば、今のところ都にも俺たちにも変化はない。
「遥晃様の処置のお陰で何事もなく済みそうですね」
女声のおっさんが話しかけてくる。弥平次という名前らしい。
この声のお陰か弥平次さんの気配りのお陰か、病気の恐怖が幾分和らいでるように感じる。
「はい。この分なら大丈夫そうです。皆さんは体調にお変わりありませんか?」
「体調ですか。いや、ここに入ってから変わった気がします」
……え? ま、まずい! 症状が出始めたか!
「弥平次さん、どう変わりました! だるかったり、熱っぽかったりしますか? 」
「いえ。遥晃の用意した食事を頂くようになり、快活になった気がします」
「それは大変だ! どうしよう、隔離……え?」
「私もそうですね。心なしか気力までみなぎるようです」
「あそこまで美味しいものを食べたことは1度もありませんでしたよ。それを毎食頂けるなんて」
口々に言われる。
滋養を付けるために食事にも指示を出していた。
逆に優れているのならいいのかな。
閉鎖的な空間に閉じ込められているけど精神的に参っている人もいないようだ。
「病が起こる前に預言をして、対処した。兼家様の屋敷に結界も張って、さらにお前が待機しているんだ。こちらにしてみれば安心だよ」
正宣が口添えする。
あまり不安にさせたくないから言えないが、気付いてから動くまでに時間が経っている。
死体もまだ都に残っている。
まだ気を抜けない状況ではあるのだが。
「お前達、変わりはないか?」
屏風の外から兼家の声が聞こえる。
「兼家様! まだお近づきになってはいけないと申したではございませんか」
「す、すみません。心配でつい。遥晃様、この度はありがとうございます。石川正宣にお前達も礼を言う」
「は、ははっ。あっありありありあり……有り難きお言葉!」
「兼家様も遥晃様がいてくれて安心しておるのでしょう」
「『油断』……えっと、弛んでいると大事になりますよ。あと少しですからお待ち下さい」
緊迫感が薄れている。下手に不安を煽ってはいけないけど、油断していい時期じゃない。
「こうして戸を隔てると恋慕する姫君に会う心持ちですな」
「兼家様、歌も無しに会おうなど到底無理ですよ」
「おぉ、そうだな。不粋な事を。待っておれ……」
「もう、いい加減にしてください!」
こちらの心配をよそに冗談で笑い合っている。
そこへ、空気を壊すように危惧していた報せが届いた。
「兼家様! 遥晃様の言う通り血屎に倒れる者が出ています!」
「なっ……」
兼家の絶句と共に場が静まる。
えっと、ちくそってなんだ?
「あの、ちくそって何ですか? 症状と発生場所を教えてくれますか」
やはり手遅れだったか。状況を把握する。
発生場所は右京の火災現場を中心に200戸程。左京の南の方にも広がり始めている。
症状は嘔吐と血の下痢。顔色から熱もありそう。
赤痢、か……? 赤痢はウイルス? 細菌?
対処の仕方が分からない。
考えろ。隔離しなきゃいけないのか? 伝染するのか?
嘔吐と下痢なら腸内……食中毒になるよな。
食中毒の場合、やらなきゃいけないのは汚物を触らないこと、近寄らないこと。
赤痢がわからないからノロウイルスで考える。
あとは、脱水するから水を飲ませる……下手すると水も汚染されているな。
やることが膨大だ。感染も始まっているから近寄ることも危険だ。この人達を連れていけばリスクは更に高まる。
でも、放置すると拡大してしまう……
なんとかしないと。
「遥晃様、外に天台の僧が来ております」
新しい伝令が入る。あの寺の坊さんか?
兼家に許可をもらい、裏から出た。
「遥晃様、お探し致しました」
門を隔てて会話をする。寺まで案内してくれた僧侶だった。
「都で血屎が流行り、祓いをすべきか迷ったのですが、遥晃様に伺うのが正しいと思いこちらへ来ました」
「ありがとうございます。療法はあるのですが、施術中に感染するかも知れないのですが、手伝っていただけますか」
見知った人なら助けようとして、関わりの薄い人なら利用しようとする。自分の汚さに辟易する。
広めたらいけない、罹患者を治療しないといけないと自分に言い訳をした。
「はい、民を導くのが私達の務めですから」
「病人の糞便に触れないこと。汚物に灰をかけること。水を沸騰させ、冷ましてから飲ませること。病室を作ってできるだけ近寄らないこと。これをできるだけ広めたいのです。できるだけ患者と接触せずに伝えてもらえますか。」
「都に何人か来ていますので皆で広めようと思います。やはり祓いの他にすべきことがあるのですね」
「あと、口と鼻を布で覆って下さい。少しは防げると思いますので」
実際に病気が出てると怖くて近寄れない。
知らないことをいいことに僧侶に丸投げする。
これ以上はよくないよな。梨花さん達がいるのにわざわざ病気にかかりに行くなんて。
健康保険もないんだ。いや、治療法すらない。死体に近付いただけでも十分やったんだ。
でも、その中に僧侶は飛び込んでいった。感染することも知ってて……
ええい! 出来ないものは出来ないんだ。やってしまったことだ。開き直れ!
心に違和感が起きつつも、必死に自分を説得して屋敷に戻った。
「兼家様、僧に対処を任せました。あとは天に委ねます」
戻り、まだ残っていた兼家に報告する。
「遥晃様、古書には血屎で数多の死者が出たとあるのですが、都は大丈夫でしょうか」
わからない。薬も無いんだ。対処だって水を飲ませることしか考え付かない。
「田坂村の者共の罰が当たったのではないですか?」
「え? たさか? どこですか?」
「この度襲ってきた者です。彼等が都を呪っているのではないですか?」
襲ってきたって、あの鬼の事か? 都で流行った盗賊じゃないの?
「あの、村人って。彼らは盗賊では……」
「遥晃様! 外に大監物の者が来ています!」
話の途中で横やりが入る。今日は謹慎中というのに来客が多い。
「大監物が病に倒れられたとの事です!」
「ひぇう?」
正宣が呼応して鳴いた。あの屋敷には梨花さん達がいる! 僧侶を病巣に送り出してしまった。俺にバチが当たったのかもしれない。