伝授
兎に角仕事には向かわなければならない。
「保憲様、朝餉は摂られましたか? 一緒にいかがですか?」
「は、はい。すみません馳走になります」
平昌を起こして朝食。ちょっと狭いが5人で食卓を囲んだ。
残しておいた枝豆を入れた豆御飯、魚の干物をそのまま入れたすまし汁。
「な、何ですかこの味は!」
大層気に入ってもらえたようだった。
保憲と知り合えた事で気持ちの整理がつく。
俺が隠したかったのは平穏な生活を送りたかっただけだ。この時代にそぐわない知識を持ってることは自覚している。それが独り歩きを始めた事に危惧しているんだ。
耳に入ってくる俺への評価は膨らみすぎてるし、出来ることと出来ないことの境界が曖昧になっている。
無茶な要求が出てくるかもしれないし、逆恨みされるかもしれない。
強力な術師だと誤解されたら畏怖されて攻撃されるかもしれない。決死の覚悟で攻め込まれたら助かる見込みはない。
出来れば目立たずひっそりと暮らしたい。でももうその段階に戻れない事も薄々分かっている。
ならば、保憲を利用させてもらおう。幸いにも彼は術に疑問を抱いている。洗脳に近い形になるが、現代の知識を受け渡そう。
バケツの水を移すように教え込んで保憲を一流の術師にしてやる。
あ、水飴だけは教えないようにしないとな。
表に立たせればいくらでも言い訳が作れる。
術を継承して使えなくなったって事にすればいずれ忘れ去られるだろう。
職場でも案の定流星群の話で盛り上がったが、いずれ平穏が訪れると思えれば聞き流すことができた。
* * *
休みの日に保憲を呼んだ。まずやるべきは口の軽さを変えることだな。
「保憲様、要望通り術を教えようと思います」
「はて、遥晃様。以前あなたは術は存在しないとおっしゃっていませんでしたか?」
「はい。術と言うものはありません。ですが、私の知り得てる知識はこの日本では術の様に扱われているのです。ですからそれを保憲様にお教え致します。それが言うなれば術の真髄となるのです」
「ふ、ふむ。なるほど、分かったような分からないような……」
「まず、病です。これは人の目に見えない生き物が体の中で悪さをして引き起こしているものなのです。決して呪いではありません」
「なんと。それはどうやって知り得たのですか。見えない生き物なのにどうやって存在を把握できるのですか?」
「え、えっと。海外では小さいものを拡大して見ることの出来る鏡が発明されて見つけることができたのです」
適当に誤魔化していいだろう。俺は唐に修行に行ったことになってるし、ここで変に未来視できると言ってもややこしくなる。
遣唐使を廃止してすぐに唐は滅亡したはずだけど、それを知らないってことは海外との交流も無いだろうし確かめようが無いはずだ。
「いきなりですが常識を覆すような理論で眉唾物に聞こえますね」
「はい。この時代の常識からすればずれてると思います。ですが、この新しい理論を身につければ有事にも的確な対処が出来ます」
40過ぎのおっさんに教育してどれだけ理解できるか分からないけど、できるだけやっていこう。
「ですが、いろいろと教える前に保憲様に試練を与えようと思います」
「はい? 試練ですか?」
「ここで私としていること。内容や、会っている事を口外しないでください。都ではすぐに噂が広まりますし、私は兼家様とも繋がっています。保憲様しか知り得ない事が私の耳に入って来たら、術を教えるという話は無かったことにさせて頂きます」
「は、はい。わかりました! 決して外では話さないようにします!」
「保憲様には失礼ですが前科がございますので半月は待たせて頂きます。それまでは当たり障りの無いことしかお伝えするつもりはございません」
「畏まりました。よろしくお願い致します」
きっと口の軽ささえ無くなれば、保憲は俺の一番の理解者になってくれる。
俺の盾にもなってくれるだろう。期待が膨らんでくる。
「ところで保憲様、寺より届いた食べ物があるのですが、味見してみませんか?」
今朝、塩辛が届いた。乾燥の行程の無いみずみずしいイカが机に出される。
臭いも無い。夏に輸送しても腐らずに都まで届いた。
「これは魚醤ですか?それにしては魚がそのまま残っていますが」
「塩辛と言います。これはイカですが、鮮度を保ちながら食べることができるのです。お先に召し上がってください」
促すと、おそるおそる口に運ぶ。頬張ると目を見開き感嘆の言葉を並べる。
「これは美味しい! 水でふやかしたものとは違う柔らかくも弾力のある肉ですね! 以前頂いた物といい、遥晃様に勧められる食べ物はどれも美味しいです!」
そうでしょうそうでしょう。この時代にできる最高の食卓を目指していますから。味、栄養、全てを追求した食べ物を共に楽しもう。
言いふらしたらこれも食べれなくなるよ。食の感動はきっと自制も促すだろう。保憲が変わることを期待しながら俺も塩辛に手を伸ばす。
「むぐ!」
口に含んだ瞬間、頭に血が昇った。全身の血圧が上がったかと思った。
「げほげほ! かはっ! か、辛い!」
吐き出し、流しに行って口をゆすぐ。塩辛い! 目が飛び出るかと思った。まだ舌がひりひりする。
「遥晃様、どうしました?」
「はるさん?」
保憲と梨花さんは不思議な物を見るかのようにこちらに目を向け塩辛を頬張っている。
なんで平気なんだ。
勧めておきながら、食べるのをやめさせた。塩気を薄めて食べれるようにしないと血管切れちゃう。
俺も保憲もいい歳だから健康には気を付けないとね。




