広まる
「おはようございまーす」
「……」
ん?
「……あ、今日も早いな。遥晃」
仕事に就いた時からなんか変な感じだった。
皆の態度が微妙におかしい。
なんて説明していいか分からないけど。
なんだろう、妙に品定めされてるような、距離を置かれてるような。
掃除をしているときも、配膳をしているときも視線を感じる。
死角から覗かれてるような変な雰囲気が続く。
会話も殆ど無かった。
「何か顔に付いてる?」
「……ん? あ、い、いや、何もないぞ」
気になって聞いてみてもはぐらかされるだけだった。
「もー! なんなんだよー!」
家に帰って梨花さんに愚痴る。今日は一日中宮中が変だった。
「まぁ、正宣さんには聞かなかったのですか?」
「今日は休みだったんだよ。なんだよもう。他の舎人に聞いてみたけどなんも教えてくれないし」
「んー、何なんですかね。はるさん、法力で相手の心とか読めないんですか?」
「そんな事できるわけないでしょ。法力とかじゃないから。第一自分はそんな力持ってません」
息苦しい。職場で自分だけ浮いてるような、いや、水の入った大きな風船に押し潰されるような苦痛、霧の中をさまようような不安感が支配していた。
「うわーん! 梨花さーん!」
膝に飛び込む。腰に手を回す。あ、柔らかい。そのまま膝枕をしてもらう。
「あっ……もぅ、はるさんったら」
頭を撫でてくれる。指で髪を鋤いてもらう。
「ふふ……よしよし……うふ」
梨花さんに撫でられて少し落ち着いた。あぁ、夢心地だ。でも、皆のあの態度は一体なんだったんだろう。なにか自分がやらかした……
「わー! ぼくもー!」
「父ちゃんずるいー!」
平と昌が梨花さんに群がる。ぐえ! 踏むな! 乗っかるな!
あー、もういい。また今度考えよう。梨花さん、ありがとう。
答えは直ぐに知ることになる。それは次の夜勤の時だった。
宿直は会話が多くなる。見回りを待機してる時間が長いからだろう。
「なぁ、遥晃。お前……」
「あっ、おい!」
喋りたい誘惑に駆られた一人が我慢できずに話しかけてくる。正宣が止めようとしてきた。
「なに?」
やっと今までの原因を聞き出せる。
しかし、それはとても陳腐な事だった。
「お前、すごい術を使えるんだって?」
「へ?」
「噂だ聞いたんだけど、家に憑いた怨霊を見つけ出して法力で撃退したって」
い、いやいや、なんか大袈裟なことに……
「俺はその辺の石を宝玉に変えたって聞いたぞ」
横から痺れを切らした者達が口々に異聞を教えてくれる。
「内裏にいた女の霊を成仏させたらしいな」
「若い頃に唐に渡って秘術を伝承されたって」
「飴を自在に作り出せるらしい」
「空を自在に飛ぶとか」
「鬼をこらしめて術を継承したって聞いたぞ」
「……ちょっ、ちょっと待って!」
よし、まずは整理しよう。この時代、新聞もテレビもないから情報はほぼ口伝だ。
娯楽も少ないから男でも噂話は好きなんだろう。で、伝言ゲームを続けるうちにもっと面白くしようとして脚色が濃くなっていったと。
後半はもうただの作り話として、話を始めたのは……
「お前だろ、正宣」
「い、いや。俺はそこまでの事は……」
風邪を引いたときも、水飴を持っていったときも驚いてた。と言うかそれ知ってるのこいつだけだし。
原理も知らない、怨霊と呪術が社会の基盤だからそう思われてもしょうがないけどさ。
皆には説明してただの噂だと理解して貰えた。
変に怖がって距離を取ってたらしい。モヤモヤしてた自分がバカみたいだ。
噂は広がってるけど、人の噂もなんとやら。暫くしたら何もなかったように噂も消えるでしょ。
でも、悪い気はしなかった。やっぱちょっとニヤニヤしてしまう。
いずれ忘れられるでしょ。
そう思っていたが、この噂が直ぐに問題を持ってきてしまう。
「遥晃か、今日はもういい。給与は今度でいいか?今すぐこの者に着いていってほしい」
あれから数日後の事だった。天皇の食事を持っていき、大舎人寮に戻ると助に言われた。
「私は少納言兼家様に仕える与助と申します。吉備津遥晃様でお間違いございませんか」
いえ、え?あ、はい。
言われるまま少納言の屋敷に連れていかれる。
いやいや、なんで?
ひれ伏し、床に擦り付けている頭を必死に整理する。
少納言は従五位下。位だけなら正宣の父さんと同格だ。
しかし、太政官。少納言は国政に参加できる。まぁ、やることは議事録作るのと書類に印鑑を押す程度の雑用らしいが、鍵の当番と国会議員くらいの差がある。
それだけじゃない。
少納言は右大臣の息子らしい。
いや、それってどう考えてもーー
衣のすれる音が聞こえる。頭の先に人の気配がする。左大臣と右大臣は藤原氏。と言うことは、その人はどう考えても、この時代の権力を掌握している一族、藤原家の一人だった。