順風
5月2日。旧暦だから太陽暦の日にちは分からないが、今日は端午の節句らしい。
いつもと違い、仕事が多かった。
陰陽師の祈祷の準備、宮廷の軒に菖蒲と蓬の葉を挿して回る。
大内裏が菖蒲の匂いで満たされている。
5月は午月と呼ばれ、その端の午の日は邪気が最も溜まると考えられてるらしい。匂いの強い菖蒲の葉で邪気を払う。
貴族も舎人も烏帽子や髪に菖蒲を刺している。
5月5日と言うわけでは無いようだ。
この時代には鯉のぼりも、甲冑を飾る風習もまだ無かった。
午後は宴の準備。貴族は何か集まるにつけ宴会をしている。現代ではこどもの日なのに、おっさんたちがはしゃいでいる。
ホテルのウェイターみたいに雑用だけで、中に入って楽しむ事はできないが、目の前で名前も知らない歴史上の人達が生きている事に感慨深くなる。
意味は分からなかったが、貴族の詠み合う和歌が耳に心地よかった。
仕事も家庭も順調だ。この時代に来たときからまとわりついてた憂いが一掃された。
こういった行事を除いて、今は正宣の助けを借りずに1人で仕事をしている。
給料も正規の額に戻った。
家賃を払っても食いっぱぐれることもない。
順風満帆と言うやつだ。
水飴は1束の米が何十倍にも化ける打出の小槌だった。
でも、あれから新しく作ることはない。
え? なんでって?
確かに作った飴で交換した米をまた飴に変えれば理論上は億万長者になれるだろう。永久機関だ。
けど、現実には無理なんだよね。作り続けると色々問題が出てくる。
まずは経済の基本。飴の価格が高い理由は決まってる。
流通量が少ないから。
希少価値があるからとてつもない値段で取引される。限定品のフィギュアと同じ原理だ。
だから、それを量産して飴を流通させてしまうと価格が下がることになる。
これがひとつ。
そして、量産して販売するときに、売り先がないというのもある。高価な物だから貴族といえどもポンポンと買うようなものでもない。
希少品は希少品なりの使い方しかしないからね。
これがふたつめ。
そして、今まで売っていた人から目を付けられるというのもある。
それまでほぼ専売で売ってた人にとって、作り方を知ってる人がいることは脅威になるだろう。
単純な作り方。米と麦があればできちゃう事が世間に知れると皆が真似をして一気に価格が暴落する。
米をお粥にして芽の出た麦を混ぜて1日置くっていうのは、一般の人から見たら想像も付かない手法なんだ。
気付かないけど簡単。だから今まで売っていた勢力も製法を秘匿している。
だから、作り方を知っている自分は最悪命を狙われるかもしれない。
だから、あまりこの事は広げてまわれない。
これがみっつめ。
で、それらよりももっと重要な事がある。
……作るのがしんどい。
1束が約3キロ。だから、現代の度量衡で2升になるだろう。
それを稲から取り、脱穀し、お粥にする。
これがとてつもない重労働だった。現代のような機械もないし、脱穀機も江戸時代に発明される。
3キロの米のモミガラを外す行程は苦行以外の何物でも無かった。
よっぽどの事が無い限り作らないと思う。
おっさんはね、きつい事を続けられないんですよ。
若い子はね、どうか俺みたいにならないで。歳をとっても高い志を忘れないでほしい。
だからそうやって家の外で一日中座ってるのかって?
違う違う。さっきから調べものをしてるんですよ。ほら、正宣に借りた墨と筆で色々書いてるでしょ。
ちゃんと新しいことも考えてるんですよ。