平安時代
トラックがスローモーションで向かってくる。寝起きの運転手が驚いた形相でハンドルを動かそうとしているが、この距離ではもはやどうしようもない。
味気ない人生だったな。
妙に達観してる自分が可笑しかった。
いよいよ終わりが来るようだ。トラックはもう目と鼻の先にある。
せめて痛い思いせずに逝きたいな。
38年か。貞操を守ってきたんだから魔法使えればいいのに。
願いが叶ったのだろうか。痛みを感じることなく意識が潰えた。
* * *
――後頭部に衝撃を受けてうつ伏せに滑り込んだ。
「いってえ……」
鼻を擦りむいた。それより頭が痛い。石がぶつかったような痛みに頭をさすり、不思議に思った。
あれ? 俺、確かトラックにはねられたんじゃ……
起き上がろうとすると体に合わないダボダボの服に引っ掛かる。
もしかして……
周りを見渡すと舗装されてない道路、茅葺きの家、甚平をもこもこさせたような服を着てる人、そこらを歩いている牛。
……て、転生?!
辺りを見渡し、頭の痛みも忘れ、喜びを感じていた。
ネットでよく見る異世界転生ってやつか! まじか! 本来死ぬはずが無かったけど手違いで死んでしまいましたってやつか!
まさか自分が、こんな経験をするとは。
確かに車に轢かれる確率ってのは宝くじの一等に当選するよりも低いって言うし、それ以上の恩恵を受けれたのかな。魔法のお陰かな。日頃の行いが良かったからかな。
俺はこの境遇に歓喜した。
剣と魔法の世界で卓越した力を貰って凶悪なモンスターをなんなく倒し世界を救う物語。
何もない森を開拓し、現代の知識を活用して帝国を築く物語。
そんな漫画や小説の主人公と自分を重ねていた。
でもこれ……日本だよなあ。
建ち並ぶ木造建築、麻の着物を身に纏った醤油顔の人達……
なるほど、過去トリップの歴史改変タイプか!
小学生の頃、何気なしに見た伊達政宗の大河ドラマ。それ以来戦国時代にはまって歴史の知識は備わっている。某歴史シミュレーションゲームも新作が出る度に棚に揃えてた。
よし、バッチ来い。どんな弱小大名でも天下人に。いや、そこまでは行かなくても筆頭家老で100万石の大大名にしてやるぜ!
まずは、自分の出自なんだけど……
あ、でも言葉とか大丈夫かな。
昔の人間は、特にお偉い方はどこにプッチンスイッチがあるかわからんからな。言葉遣いとか分からんぞ、まず相手の言葉理解できるか?
江戸時代の言葉は地方でなければ通じるらしいけど、そんな近代的な雰囲気でもないし……
そんな思案を続けているとそこらの庶民、らしき人らよりもいい成りをした男が駆けてきた。
「はるあきら、大丈夫か?」
おお、分かる、分かるぞ。後はこっちの言葉だけど
「あぁ、ちょっと頭を強く打ったみたいだけど」
相手の言葉を現代語に翻訳して理解する。自分の言いたいことを頭の中にあるこの時代の言葉に変換して声に出す。
少し大変だけどなんとかコミュニケーションが可能だ。
はるあきらというのか、この人の遺産のお陰か言葉だけは分かった。
それ以外の記憶は全く無いが。
はるあきらさん、石か何かに当たって死んでしまったのかな。そこに前世の俺の魂がタイムスリップして……
起こして貰い、服に付いた土をはらってもらう。
湧き水が出るというところに連れてってもらう。
「ところでさ、さっき頭に石かなんかがぶつかったみたいでさ、記憶が無くなったみたいなんだけど」
「は、冗談だろ? ほらそこで顔を洗え。鼻も擦りむいてるな。薬、はいいか。唾つければ治るだろ」
「ここ、都みたいだけど名前は?」
「おい、冗談はよせって。はは、ここは平安の都だろ」
ぞわっとする。
「こ、この都に遷都されて、な、何年になる?!」
「おい、本気で言ってるのか? 何年か前に160年の式典やっただろ。お前も参加したよな?」
へ、平安時代……知ってても源平合戦だぞ。
えっと、なくよ(794)うぐいすに、160を足して……
954年……と少し……
何か分かること分かること……
「ま、枕草子って知って……!」
水に反射するはるあきらの顔に失望する。
会話してる男の「なにそれ?」を聞き流し、水面を凝視する。
そこには、前世と変わらない小じわの見える、どうみても中年のおっさんの顔が映っていた。