そのはち
「では、少し話をしましょうか」
宿の食堂の片隅を借りて着席すると、ハルはパン屋で買ったタルトをひと口齧り、おもむろに口を開いた。
いつも通り少し眠たげに見える目でじっと見つめるハルに、レーネは思わずごくりと喉を鳴らす。
「あ、ええと……」
「レーネさんは自分がどうしたいかについて、考えてみましたか?」
「え、その……」
「まだ決めかねてるならそれでかまいません。今のところ……そうですね、迷っているなら、レーネさんが選びかねてる選択肢が何かを教えてください」
「選択肢、ですか?」
「はい」
レーネはじっと口を噤み、あちこちと目を泳がせる。
もじもじと指を擦り合わせ、話し出そうとして口を閉じるのを何度か繰り返し、何度も繰り返してからようやく言葉を出せた。
「……魔法使いを続けるか、続けないかは」
レーネが逡巡すると、ハルは先を促すように黙って頷く。
「続けたい、と思うんです」
それだけをぽつりと言って、レーネはやはり黙り込んでしまう。
「続けたいが、何か問題があると考えている……といったところでしょうか」
やっぱり黙り込んだままのレーネに、ハルはひとつ息を吐いた。
「……では、ひとつずつ確認していきましょうか」
「ひとつずつ?」
「ひとつずつです。まず俺の意見を述べてみましょうか」
じっと見つめるハルの目を、レーネは見返すことができない。いったい何が問題だと言われるのかが怖い。
「端的に言って、君はすでに魔法使いです。なので、君が続けたいと考える限り、君は魔法使いです」
「そう、ですか?」
ところが、ハルの言葉はレーネが予想していたものとはまるで違っていた。
「もちろん、これは客観的な事実ですよ。
君はすでに魔術師団に所属しているんです。誰が何と言おうと、君は学院を卒業して師団への入団を許された立派な魔法使いです」
「でも、私は落ちこぼれで……」
「誰がそう決めましたか? 第4に配属されたからそう考えているんですか? だとしたら、浅はかですね」
「え?」
「知ってますか? 第4の長の魔法使いエディト殿の師も、実は魔族なんだそうです。俺の見た限り、彼女の魔力量は人間の平均並でしかありません。
君から見て、彼女は魔法使いとしてどうですか?」
「……え? そんな、まさか。だって、エディト殿はほとんど全部の中級に、幾つかの系統の上級も使いこなせる高位の魔法使いで……」
「俺の見立てでは、君とエディト殿の魔法の素養にたいした差異はありません。訓練次第ですが、君にもあの程度はできます。
それに、俺は無駄が嫌いなんですよ。ですから、君には無理だと判断していたら、そもそも鍛えようなんてことを考えすらしません。前にも告げたとおり、使い魔召喚なんて提案せず、今ごろ閑職ラッキーで余生を過ごしてもらってます」
ぽかんと目を見開くレーネに、ハルは肩を竦めた。ハルは何を言いたいのか、呆然と目を瞠るだけで何も言葉が出てこない。
不意にレーネの膝の上に重みが乗り、手にふわふわとした和毛が触れた。視線をちらりと下にやると、テーブルの下から膝に乗ったアルティが覗いていた。
「ただ、ひとつ、大きな阻害要因だと考えているのは、君の自信のなさです。
君はとにかく自信がない。おそらく、これまで君自身が満足できる成果を出せたことがないからでしょうね。
ですから、使い魔の召喚は、必ず成功してもらいます」
「でも……」
「大丈夫ですよ。グラウシャッツの森には必ず君の使い魔召喚に応えてくれる獣はいると、俺は見込んでます」
どうにも解消できない不安を湛えて、レーネの目が揺れる。
「もうひとつは、もちろん彼のことですね」
「……カルナート、ですか?」
「そうです。俺が見る限り、彼は君からやる気と自信を削ぎ落としています。お互いを高め合うのなら歓迎しますが、相手を萎縮させ気力を削ぐだけの存在なら、いっそいっさいの関わりを断ってしまったほうが君のためでしょう」
「関わりを、断つ……」
「君が十分な自信を得るまで、一時的に距離を置くという方法もあります」
ショックを受けたかのような表情を浮かべて、レーネはハルを凝視する。
「そうは言っても、これは俺個人の見解ですから、君に強制はできません。それに、今すぐそうしなければならないというわけでもありませんし」
忙しなくアルティの背を撫でながら、レーネは小さく頷いた。
何しろ、カルナートとは物心ついた頃からずっと一緒だったのだ。学院と騎士学校に別れていた頃さえ、10日に1回はなんやかやと顔を合わせていたくらいで……彼と距離を置くなんて、考えたこともなかった。
「ですから、今のところ、ふたつめの要因については置いときます。まず、使い魔の召喚に全力を注ぎましょう。
体調もほぼ問題ないようですし、早ければ明日の昼過ぎには森に入るつもりです。君はそれまでに、君の使い魔に望むことを考えておいてください」
「望むことですか?」
「はい。なんでも構いません。君が一生の相棒とする生き物がどんなものであって欲しいか。単純に、護衛となってほしいでも、賢く落ち着いた獣がいいでも、君がこうあって欲しいというものを考えておいてください」
「あの……」
「はい?」
「ハル殿は、どんな使い魔を望んだんですか?」
「ああ……」
ハルはテーブルに目を落とし、指でトントンと叩いた。アルティが「にゃあ」と鳴いてレーネの膝を降り、ハルの肩へとよじ登る。
「俺は、順当に行けばとにかく長く生きるはずなので、その間、お互いが気楽にいられるような相棒が来ればいいと考えました」
アルティはもういちど「にゃあ」と鳴く。ハルの差し出した手に頭をすり寄せ、指先で耳の後ろを掻いてもらうと、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「そんな望みで、いいんですね」
「格好をつけようとしたって、使い魔にはすべて筒抜けですしね」
ハルの指をガリガリ齧るアルティを見つめながら、レーネは、「使い魔に望むこと」と呟いた。
* * *
「君は、視野がとても狭い」
座り込んだままムッと見上げるカルナートに、ターシスは肩を竦める。
「君は銀槍騎士団しか知らないだろう?」
「そうだけど……」
「しかも、騎士団以外の戦い方をほとんど知らない」
「それに、何か問題があるのかよ」
眉を顰めて目を眇め、明らかな敵意を浮かべてじっとターシスを睨んだ。
「大有りだ。ついこの前も、ハル殿にこてんぱんにやられたというじゃないか。低級魔法しか使わないという縛りにも関わらず」
「そ、それは……」
「それに、僕のような魔法剣士と戦った経験もほとんどないだろう。魔法剣士だけじゃない、傭兵と剣を合わせた経験もない」
とたんに目を逸らし、視線を泳がせ始め……口を噤んだまま言葉が出てこないカルナートに、ターシスはふっと笑った。
「だから、視野が狭いと言ったんだ。
剣士でも騎士でも、強いものがどうして強いか知ってるか? 剣技はもちろん、いろいろな戦い方を知っていて、相手が次に何をするか読むことに長けてるからだ。相手の手を読み、それを上回る一手を出せるから、強い」
「そんなの」
「判り切ったことだと思っても、それができない者のほうが多いよ」
カルナートには、やはり反論すべき言葉が見つからない。
ただ悔しさに顔を歪めるだけだ。
「例えば……僕のような魔族の魔法剣士が、本来ならどう戦うかを知ってるか? 強化魔法がどのくらい身体能力を底上げできるか、それに、魔法剣士がどんな魔法を使うものか知ってるか? 魔法を使わない傭兵だって、得物も戦い方もさまざまだ。君の知らない戦い方なんていくらでもある」
じっとりと自分を見つめるカルナートに、ターシスはついつい噴き出してしまう。カルナートの眉間の皺が深くなるが、笑いが止まらない。
「まあ、言葉で言ったって理解しづらいところだろう……そうだね、僕と本気でやってみようか。魔法での直接攻撃以外、なんでもありで」
「……ああ」
「実戦に近い形で……そうだな。僕の強化魔法は、戦いが始まってから、君の隙を見てかけることにしようか」
レーネとハルが宿に戻ると、中庭の井戸でターシスとカルナートが頭から水をかぶっていた。ふたりとも、ずいぶんと疲れているように見える。
「何してるんですか?」
「ああ、さっきまでカルナートと手合わせをしてたんですよ」
「へえ? それで、結果はどうなんですか?」
目を丸くするレーネの横で、ハルは興味深そうにふたりを見比べる。
「体力だけならカルナートだけど、それ以外は僕ですね」
「なるほど。なら、強化で体力を底上げしたら、彼はまるで敵いませんね」
「そういうことです」
カルナートはターシスに悔しげな目を向ける。ターシスはおもしろそうな顔でそれを受け、「間違ってないだろう?」と笑う。
「まあ、これで君は僕の戦い方を知ったことになる。次は僕をよく観察して、僕がどう来るかを読みとることだね」
「くそ!」
カルナートが腹立たしげに地面を殴り付けると、ターシスは肩を竦めた。
癇癪を起こしたように何度も何度も地面を叩くカルナートを見かねてか、レーネは駆け寄ると小さく「落ち着いて」と囁く。
「最初にも言ったけど、フォルが言ってたとおり、君は筋がいい。目も悪くない。あとは、もっと周りをよく見ることだね」
「……次は、絶対負けない」
「期待しているよ」
濡れた上着を絞って肩に引っ掛けると、ターシスは歩き出した。カルナートはぐっと唇を噛み締めてその背中を睨み付ける。
その後に付くように、ハルも歩き出した。
「ずいぶん親切なんですね」
ハルの言葉に、ターシスは眉を上げた。少し考えて、それからにっこりと笑う。
「カルナートみたいな子、僕は結構好きですよ。わかりやすいですし」
「意外です」
「そうですか? ふてくされてる時のデールみたいでかわいいですよ」
ターシスは何を思い出したのか、くつくつ笑い始める。ハルは呆れたように小さく吐息を漏らした。
「これだから、子持ちは」
「結婚には失敗しましたけど、息子ができたことには感謝してますから」
渋面を作るハルに、やっぱりターシスは笑い……ちらりと肩越しに後ろを見やると、すっかり不機嫌になったカルナートを、レーネが一生懸命に宥めているようだった。
「で、ハル殿のほうはどうなんですか? 話をしたんでしょう?」
「どう転ぶかなんてわかりませんよ。使い魔の召喚に成功した後、どう変わってくれるか次第ですね」
「なるほど」
返答に何か含むようなものを感じて、ハルは訝しげに見上げた。
「ハル殿も、なんだかんだ言いつつ、しっかり師匠をしてますね」
「面倒臭くて仕方ないですよ。せめて、デールのような弟子なら、もう少し面倒も減ってよかったんですが」
「デールも相当面倒だと思いますよ。あの子は未だに、魔法使いになったことを不本意だと思ってますし」
「そうですか? なら、そういうカルナートはどうですか」
「さあ?」
肩を竦めるだけのターシスに、ハルは眉を寄せて大きな溜息を吐く。
「人間は俺たちよりもずっと変化が早いことが取り柄なんです。とっとと認識を改めて変わって欲しいものですね」
ターシスはやっぱりくっくっと笑うだけだった。