そのなな
「ええと、その長衣って、魔術師団の制服だっけ?」
にこにこと首を傾げる金色の男に、呆気にとられたままハルは頷いた。彼から漂ってくる気配に呑み込まれるような気がして、自然と背筋が伸びる。
レーネも慌てたように膝を払って立ち上がり、軽く会釈を返した。
「第4隊に客員として所属している魔法使いハルです。彼女は助手のレーネ」
「ハルくんとレーネちゃんですか。わたしは森に住んでる魔法使いソーニャで、彼はウルスです。今は神様の御使い業もしてるんですよ」
ふふ、と笑ってそう答えるソーニャに、ハルは微妙な表情を向ける。
「その、御使い業というのは何ですか?」
軽く眉間に皺を寄せながらの質問に、ソーニャとウルスは顔を見合わせ、またくすくすくす笑う。
「最初にこの町に来た時、なぜか人間たちが僕のことを御使いだって言ったんだよ。たぶん、僕の鱗が太陽と同じ色だったからだと思うんだけど。
だから、そういうことにしてるんだ。そのほうがいろいろうるさくないし」
ね、と頷き合うふたりに、ハルは確かに、と思う。明らかな脅威である竜も、神の使いだと納得すれば怖くないのだろう。
「いえ、おふたりは紛うことなき神の御使いですよ」
が、即座に断言され、その自信に満ちた声をハルは不思議に感じてレナトゥスへと視線を移した。
ハルの見る限り、彼らはただの姿を変えた竜と魔族の番でしかないのに、なぜそう断言できるのか。
「レナトゥス殿、根拠をお聞きしてよいですか?」
「それはもちろん、私がおふたりの中に神の姿を見たからです」
「……は?」
「私は、おふたりを通して確かに神の姿を見ましたから」
今ひとつ理解が及ばず、ハルは考え込むように顔を顰める。
「……宗教論は苦手なんですよね。あまりに観念的過ぎて」
「ハル殿も、神を信じたくなったらわかります」
「はあ」
にっこりと返されるが、やっぱり今ひとつピンとこない。だが、まあ、たぶん彼の言うとおり、彼には神が見えたのだろうし、信仰とはそういうものなのだろう。
確かに証明はされてない。だがそれでも神は世界のどこかからか自分たちを見ている……というのが常識だと思っていたのに。ハルは何が引っかかるのだろう。
そんなことを考えながら、レーネは話を聞いていた。
急に起き上がった大きいリヒトにぺろりと手を舐められて視線を落とす。きれいに手入れをされた、けれど年をとって少し白っぽくなってしまった黄金色の毛を撫でて……ふと、ウルスに尋ねてみた。
「あの、では、この犬の先祖を教会に預けたのは、あなたなんですか?」
「迷い犬だったんだよ。うちじゃ飼えないし、迷い犬なら返さなきゃって町に連れてきたら、ちょうど教会のひとがいたから渡したんだ。だいじに飼ってもらえてよかった」
にっこりと返されて、レーネは戸惑ったように小さく首を捻る。
「え……」
「ウルスは犬があんまり好きじゃないみたいなんですよ。こんなにもふもふでかわいいのに。ね、リヒト」
リヒト・ジュニアの首を撫で回すソーニャに、ウルスは軽く顔を顰めた。ソーニャはウルスにふふっと笑って、それから今度はハルの頭の上に張り付いたままのアルティに目を止める。
「ところで、ハルくんの頭の上の猫ちゃんはなんですか? 翼がある猫は初めて見ました。すごく懐いてるんですね」
「ああ、こいつは翼猫で、俺の使い魔のアルティです」
使い魔、と首を傾げるソーニャの後ろで、ウルスがむむっと目を細める。
「ええ、魔法使いの相棒です。俺と運命共同体になるという契約を交わしてここにいるんですよ」
「最近、町に住む魔法使いの間で流行ってるっていう、使い魔ですか?」
目を輝かせるソーニャに、ウルスが「使い魔はいらないよ。僕がいるでしょ」と慌てたように言い募る。
「でもウルス、こんなにもふもふなんですよ」
「もふもふがいいなら、僕が毛を生やすから」
ちゃっかりとアルティを抱いて、もふもふ撫で回すソーニャと、なんとか使い魔はなしだと押しとどめようとするウルスを見ながら、レナトゥスが「今日も仲が良くて、たいへん微笑ましいですね」と笑った。
足元では、ふたりがじゃれあってると思ってか、リヒト・ジュニアが嬉しそうにぐるぐると走り回っている。
「レーネさんは神を信じていますか?」
教会を辞して町を歩きながら、急にハルが尋ねてきた。
「はい、普通には。カルナートの家は太陽と正義の神の教会の信徒ですし、私もよく教会の礼拝には参加していました」
「……西の人間は一般的に神を信じている。死んだらその魂は神々のいる天上へと昇り、そこで転生を待つと考えている……でしたっけ」
「はい」
今さら何かと、不思議そうにレーネはハルを見やる。
「東では、信仰はともかく、魂が天に昇ることも生まれ変わることもあまり一般的な考え方ではないんですよ。どちらかといえば西独特の考え方なので、いったいどこから出てきたのかには少し興味があります。
それに、魔族は基本的に神を信じていません。たいていの魔族は、死んだら身体は土に、意識は風に、魔力は世界に還り、次の新しい生命の糧になるのだと考えています」
怪訝そうに、それでも「そうなんですか」と頷くレーネに、ハルは「話が少々横にずれましたね」と呟く。
「それで、レーネさんはウルスが太陽神の御使いと聞いてどうでした?」
「……正直なところ、信じられません。その、なんていうか……突拍子もないように思えて」
「なるほど」
信徒だから即座に信じてしまうというわけでもないのか、とハルは考える。レナトゥスはあのふたりの何を見て神を感じたんだろう。
「レーネさんは、もともとカルナートの家の使用人なんでしたっけ」
「はい、代々。今は父が家令として仕えています」
「だから太陽神の教会なんですね」
「……あの、ハル殿」
「はい?」
不意に呼ばれ、ハルは立ち止まり、レーネを振り返る。
「どうしましたか?」
「あの……私に、使い魔は、呼べるでしょうか」
ぱちくりと瞬きをして、「ああ」とハルは頷く。
「気にしてたんですか。もちろん、呼べますよ。呼べますが、来るかどうかはレーネさん次第です」
「──私次第?」
とたんにありありとした不安が浮かんで、レーネの顔は曇る。
「はい。君がどんな生き物を呼びたいと考えるか、君の希望に応えられるような生き物が呼びかける範囲に存在するか、そのふたつがうまく合えば、君の使い魔が現れます」
「合えば、ですか」
眉を寄せてごくりと唾を飲み込むレーネに、ハルは首肯する。
「呼び掛けられる範囲はかなり広いですから、相当運が悪くない限り、レーネさんに合う生き物が何かしら現れるはずです」
「で、でも、運が悪かったら……」
「その時は場所を変えてやり直しますよ。多少危険でも、魔の森へ行ってみるのも手ですね」
「魔の森ですか」
心なしか沈んだ声で繰り返すレーネに、ハルは肩を竦める。
「以前、西の魔王と呼ばれる魔族が住んでいたらしいですね。ターシスさんの話では、今はもういないようですが。
魔物も多いようですが、俺が同行しますから心配はありませんよ」
「どうして魔物の心配はないんですか?」
「……魔物は魔族を厭うんですよ。単純に、身の内の魔力量を感じて圧倒されるからだと言われてますが」
「そうなんですか?」
目を瞠るレーネに、ハルはまた肩を竦めた。
「俺たちがこの国に来て5年になるんですが、この程度も知られてないんですね。5年は、人間にとってそこまで短い期間ではなかったと思うんですが」
「あ……すみません」
「いえ、いいんですけど」
肩を落とすレーネに、ハルはやれやれと首を振る。
「……少し、きちんと話をしたほうがよさそうですね」
「え、話ですか?」
「君がどう考えているかと、俺がどう考えているかの擦り合わせが必要だと思うんですよ。君がどうしたいかも含めて」
「どう考えて?」
レーネは困ったように首を捻る。
「ああ、ちょうどいい。あそこで何か甘いものでも買って行きましょう」
パンと一緒に焼き菓子を売る店を指差して、ハルはそっちに向かった。
カン、と高い音がして、また剣が弧を描いて飛んでいく。
「くそ!」
ぜいぜいと息を切らしながら袖で乱暴に汗を拭い、カルナートは悪態を吐く。どちらかといえばターシスの体つきは細く、力では絶対に自分のほうが勝っているはずなのに、どうしても一本が取れない。
「なんで勝てないんだよ!」
「フォルに聞いてるとおり、君の筋はいいと思うよ」
大きく深呼吸して、ターシスはくすりと笑う。
「けど、言わせてもらえば、剣を握ってたかだか10年ちょい程度の若僧に負けるようじゃ、僕の立場のほうがないんだよ」
くっきりと眉間に皺を刻んだカルナートが、じろりとターシスを睨む。その顔を見たターシスは、つい、また笑ってしまった。
「これでも僕は150年以上、剣で生計を立ててるんだ。君程度に負ける腕なら、とっくの昔に死んでるさ」
悔しそうに唇を噛むカルナートに、「そうは言っても」と肩を竦める。
「年数だけが全てじゃないけどね。僕も、アロイスや今のフォルには敵わないと思ったし、たぶん、王国の英雄にだって遥か届かないことも間違いない」
じゃあ、どうして自分はだめなのか。こんな魔族ひとりにいいようにされる程度では、レーネを守ることなんてできないのに。
そんな気持ちが透けて見えるようだ。
ターシスは「少し休憩しよう」と声を掛け、中庭の端に座る。遅れて、のろのろと少し間を空けた場所に腰を下ろしたカルナートをちらりと一瞥して、は、と息を吐いた。
「……僕が考える人間の長所は、体力と力としぶとさだと思う。それに、魔族なら途中で面倒くさくなって、数十年程度塩漬けにして置いておくようなことも、相当な短期間で工夫して解決してしまうこともある。
他の種族に比べてすんなり他のやり方を受け入れたりもできるね」
いったい何が言いたいのかと、ターシスを怪訝な目付きで見やる。
「正面からに拘るのは、騎士らしさから言えば好ましいとは思うよ。
けれど……鷲獅子もそうだけど、それは時と場合を選んだほうがいい」
「だから、お前は何が言いたいんだ」
「正面からいくだけが能じゃないということさ」
何を魔族の傭兵風情が偉そうに、という表情のカルナートに、ターシスはつい苦笑を漏らしてしまう。
「僕のお師さんがよく言っていた。相手をよく見ろと。相手は一定じゃない。だから相手をよく見て、有効な戦い方を考えろとね」
目を眇め、胡乱げに見つめるカルナートに、もういちど笑ってみせる。
「僕の友人のアロイスは正統な騎士の剣術を学んでいたけど、戦い方は実に臨機応変なんだ。一撃が重たいのは当然だし、とてもよくひとを見ていてね……ここぞというタイミングで的確にどかんと来るんだよ。わかってても受け切れないんだ」
思い出すようにくつくつ笑いながらターシスは続ける。
「君は力もあるし、戦い方もアロイスに似ている。もっと観察眼を磨けば、上に登れるんじゃないかな」
「観察眼?」
カルナートは考え込むように、さらに顔を顰めた。