そのよん
カポカポと馬の背に揺られながら、レーネはちらりと横に並んだカルナートに目をやった。ハルは少し前方でターシスと轡を並べ、これから向かう場所についてあれこれと質問しているようだ。
「……どうして、来たんですか」
「悪いか?」
レーネの小さな呟きに、カルナートも呟きで返す。
「理由がわかりません。
それに、あの後、あなたの申し出はちゃんとお断りしました」
「断ったんだから来るなってことか。これは仕事で、俺は銀槍騎士なんだぞ。」
不機嫌に吐き捨てるように述べるカルナートに、レーネは溜息を吐く。
「あなた以外の騎士に任せればいいじゃないですか」
「ばっ……、そんなこと、できるか」
カルナートはそれきりむっつりと押し黙ってしまう。レーネはその横顔を見て、また小さく吐息を漏らした。
カルナートは、いつも自分に対して怒ってばかりだ。そして、自分はいつまでも彼を苛立たせてばかりいる。
彼の屋敷にいた頃からそうだった。
父は家令という役職を預かり、重要な仕事を難なくこなしている。父のようにもっといろんなことができる、器用な人間だったらよかったのに……自分は何ひとつうまくできない。
それでも、魔法の素養が現れた時は嬉しかった。ようやく自分にしかできないことが見つかったんだと思ったのだ。
そこまで強く、危険な素養ではなかったけれど、カルナートが賛成してくれたおかげで学院に入れたし、どうにか師団の魔法使いにもなれた。
だから、彼にはとても感謝している。
このまま師団で経験を積んで、ゆくゆくはお屋敷付きの魔法使いになって、皆の役に立って、恩返しもできれば……。
けれど、そう考えていたのに、そこまでだった。
結局、期待されたような魔法使いになることもできず、ついには“第4”行きとなってしまったのだ。
第4の長である魔法使いエディトからは悪い話じゃないと言われた。だが、カルナートが、同情のあまりに、魔法使いなんて辞めて自分と結婚すればいいなんて言いだすくらいなのだ。本当は、自分は駄目だということなんだろう。
……自分は魔法の素養があるだけの、魔法使いには向かない人間だったのか。
ハルは自分次第だと言うが、もし、使い魔を呼べなかったらどうすればいい?
皆の後について馬を歩かせながら悶々とするうちに、レーネの気持ちは沈んでいった。ちらりと前を行くハルの背中を見て、どうせ、彼もすぐに自分を見限るのではないかと考えてしまう。
果たして、自分はちゃんとした使い魔を呼べるのだろうか。
「鷲獅子だ!」
突然の声に我に返り、あたふたと周りを見回して、レーネはヒュッと喉を鳴らした。空の向こうから鷲獅子が2頭、みるみるうちに急降下してくるのが目に入る。
「え、そんな、どうし……あっ」
レーネの馬が鷲獅子に気づいてパニックを起こし、いきなり竿立ちになった。
「レーネ!」
手綱を握り直す暇もなく馬上から投げ出されたレーネは、したたかに背を打ってそのまま動けなくなってしまう。カルナートは焦って馬を飛び降り、レーネに駆け寄った。
「しっかりしろ、レーネ!」
振り向いて後ろの様子を確認したターシスは、軽く舌打ちをして馬を飛び降りた。続いて、ハルも馬を降りる。
「カルナート、君はそのままレーネを! ハル殿!」
「ひとつは引き摺り落としますけど、もうひとつの初撃は頼みます」
「了解」
ハルが大きく手を振り上げ、手早く魔法を唱えると、突然、すとんと1頭の鷲獅子が地面に落ちた。迫ってきたもう1頭の鷲獅子の爪も、ターシスがうまく剣で受け流す。
ガキン、と金属同士がぶつかるような音とともに、鷲獅子はまた空に舞い上がった。その隙にターシスは落ちた方へさらに魔法を掛ける。
「ハル殿、こっちはなんとかするので、レーネを」
「大丈夫ですか?」
「初撃を凌ぎましたし、1頭落ちたならどうにでも」
「ではお願いします」
ハルは急いでレーネへと駆け寄った。レーネのそばにはカルナートが跪いて必死にレーネを呼んでいる。
「意識は? 声は出しましたか?」
「いや、全然、何も……」
ハルはわずかに顔を顰める。
単に気を失ってるだけならいいが、頭を打っていたら問題だ。すぐにレーネの様子を確認する。医術は以前齧っただけだ、などとは言っていられない。
「カルナートさんは鷲獅子へ行ってください」
「けど、レーネが!」
「あれをなんとかしなければ、どうにもなりません。さっさと行ってください」
ぐ、と口を引き結んで、カルナートはしぶしぶと立ち上がる。それから踵を返すと、剣を抜いて鷲獅子へと走り出した。
ハルはすぐに耳を当てて呼吸と心音を確認すると、治癒魔法の詠唱に入る。
程なく、鷲獅子を2頭とも倒してカルナートとターシスが戻ってきた。
「容体は……」
「レーネは?」
はあ、と溜息を吐くハルに、カルナートは噛みつきそうな勢いで迫る。
「骨が幾つか折れているようでしたが治しました。幸い、内臓には刺さってなかったようですね。肩から背中をかなり強く打ってますが、頭は無事だと思います。
とにかく、傷は治ってますが、あとは目が覚めないことにはなんとも」
「なら、今日はここで野営か……馬を集めるついでに薪を拾って来るよ」
ハルが頷くと、ターシスはすぐに走り去った。
「カルナートさん、君はここで少しレーネさんを見ていてください。なるべく呼び掛けて、目を覚ましたらちゃんと手足の指が動くかも確認を」
「……わかった」
カルナートは、青い顔のまま頷いてレーネの横に座り込む。
「頭はあまり揺らさないよう、気をつけて。それと、アルティを置いていきます」
「あんたは……?」
「たぶん、今夜は熱が出るでしょうから、熱冷ましの薬草を探してきますよ。寒がったら、アルティを温石代わりに使ってください」
レーネから視線を外さず、ただ頷くカルナートにもう一度吐息を漏らして、ハルは薬草を探しに出た。
う、と微かに声が聞こえた気がして、カルナートはパッと顔を上げた。
「レーネ? レーネ!?」
「あ……」
ぼんやりと目を開けたレーネは、ゆっくりと目を動かす。
「レーネ? 聞こえてるか、レーネ?」
「カル……? さむ、い」
慌ててカルナートは自分のマントを外し、レーネを包んだ。その中に、さっとアルティが入りこむ。
「レーネ、寒いだけか? 痛いところは?」
「さむ……」
カタカタと震えだすレーネに、カルナートは自分のサーコートも脱いで掛ける。
馬が戻ってこないことには荷物もない。寒い寒いと繰り返すレーネの身体を擦りながら、カルナートはターシスかハルが戻るのをひたすら待った。
ようやくふたりが戻った。
天幕も張り終えて火を焚くこともできた。
レーネは相変わらず寒い寒いと震えているが、ハルの処方した熱冷ましを飲んだのでじきに落ち着くだろうという診立てだ。
「手足に痺れなどはないようですから、頭や背骨を痛めてはいないようです」
幾分かほっとしたようにハルが述べる。
「けれど、俺は医術や治癒は専門じゃないので、いったん町できちんと診てもらったほうがいいでしょうね」
「グラールスに行けば、治癒のできる魔法使いがいたはずだ。動かせるようになったら、僕がひと足先に転移で運ぶけれど?」
ターシスがそう申し出ると、ハルは「そうしましょう」と頷く。
「明日、熱が下がったらお願いします」
「わかった。町に、“女神の実り”亭という宿があるんだ。転移できたら部屋をとっておくから、そこで落ち合おう」
「わかりました」
何事もなくても、町で2、3日休んで身体を回復させたほうがいいだろう。ハルとターシスが話す声を聞きながら、カルナートはレーネの顔をじっと見つめた。
翌朝、太陽がだいぶ高くなった頃、ようやくレーネの熱が下がったのを確認してターシスがひと足先にグラールスへと転移した。
ハルとカルナートはこれまでどおり、馬を引いてグラールスへと向かう。
「強化魔法を使って少し急ぎます。ターシスの話では、そうすれば日が暮れる頃にはグラールスに着けるということですから」
「わかった」
「君、昨晩あまり寝ていなかったでしょう? 君まで落馬しないでくださいよ」
「俺は騎士なんだ。あんたら魔法使いと一緒にするな。1日襲歩で行軍できるくらいの体力は残ってる」
「そうですか」
それでは、と馬上で魔法を唱えると、ハルは馬を走らせ始めた。カルナートも後に続けて走らせ始める。
体力を補強する魔法なんだろう。いつもよりもずっと少ない疲労感に、カルナートは少しだけ感心した。
駈歩より早く、けれど襲歩よりは遅いくらいの速度で馬を走らせながら、ハルを見る。ふたりで移動の間、いろいろと聞きたいことがあったのだ。なのに、今、舌を噛まないようしっかり歯を食いしばるのに必死で、それどころでないことが少し悔しい。
結局、何かを話すこともないまま、予定通り、日暮れ間際にグラールスの町の門をくぐったのだった。