そのに
「ああいう脳味噌まで筋肉でものを考えないバカは、昔から一定数いるのよね……」
第4の長である魔法使いエディトが、はあ、と溜息を吐いた。予想とは少し違った反応に、ハルは軽く目を瞠る。
「フォルもそれで死に掛けたことがあるし、ほんと、騎士学校はもう少し真剣に脳味噌使えって教えてくれないものかと思うわ」
「……そうですね」
呆れ口調のエディトは、やっぱりほんのり呆れを滲ませたハルににこりと笑う。
「でも、いい機会だから、死なない程度にしっかり思い知らせてやって。師団長には私から報告しておくから」
ふふ、と楽しそうな魔法使いエディトに、いいのかなと小さく首を傾げながら、ハルは退出した。
彼女はたしか平民の出身のはずだが、基本、貴族ばかりだという騎士団と、こんな問題を起こしていいのだろうかと考えながら。
当日、騎士団の鍛錬場を借りた、“下級魔法のみでやる、馬鹿のぶちのめし方教室”に集まったギャラリーを見て、ハルは少し鬱陶しいなと思った。
騎士団員と師団の魔法使い、それに東から来たものはもちろん、騎士団の長クラスの人間に、煌びやかなお仕着せを着た近衛騎士の集団までが見えたからだ。
「ハルちゃーん、もちろん、フルボッコにするのよね?」
ふふ、と笑ってハルの肩を叩くのは、一緒に東から来た魔法騎士エーメだった。
ふわふわした女性らしい外見に似合わず、国へ帰れば魔法騎士団の一隊を率いて戦場に出るような猛者でもある。
「ねえ、モノは相談なんだけど、その後私に“図に乗った魔法使いを締め上げて反省させるやり方教室”させてくれない?」
「え? 嫌ですよ。エーメさんて本気で来るじゃないですか」
「だってハルちゃん手強いんだもの。シーロン様なら楽勝で固められるのに。
それに、騎士に勝ったハルちゃんが本気でかかってくるのを、か弱そうな私が華麗に捌いて締めて落とすとこ見せたら、弟子ができるんじゃないかなーって思うのよね」
「……ああ、暇なんですね」
「そう、暇なのよ。すっごく暇なの。珍獣扱いもいい加減飽きたし、身内でばっかり打ち合いするのもつまらないしね。
だから、これだけギャラリー集まったことだし、ハルちゃん相手に魔法使いとの戦い方を見せてあげて、弟子を作って暇とおさらばしたいの」
にこにこと楽しそうに笑うエーメに、ハルは嘆息する。
「……1回だけなら。
エーメさんに関節取られると、いちばんいい治癒魔法掛けても、2、3日身体が軋むから嫌なんですよ」
「それ、歳なんじゃない?」
「まだ500にも届いてませんよ?」
「少なくとも私の4倍以上の歳だわ」
「エーメさんが単なる若僧なだけじゃないですか」
またひとつ溜息を吐いて、肩に乗っていた翼猫をエーメに渡した。
「とりあえずアルティお願いします。
あとは……ああ、うちの助手も見ててもらえますか」
「はあい、じゃ、後でね」
エーメはくすくす笑いながら、アルティを抱いてレーネが立つ場所へ向かった。ちらりとそれを確認して、ハルは鍛錬場の柵の中へと入る。
反対側からは、仲間に囃し立てられながらカルナートが入ってくるところだった。
「レーネちゃん、一緒に見ましょう?」
急に声を掛けられて、レーネは飛び上がるように驚いた。
「あ、ええと……」
「エーメよ。ヴァルツフート王国魔法騎士団所属の魔法騎士」
ふふ、と笑うエーメに、レーネは恐縮するようにぺこりとお辞儀をする。
「ねえねえ、あなたはどっちが勝つと思う?」
「え? その……」
レーネは困ったように目を泳がせる。カルナートはああ見えて結構剣も早いし、意外に腕はいいのだ。
が、レーネはくすりと笑って「ハルちゃん、ああ見えて彼みたいな脳筋を相手にするのは得意なのよ」と小声で囁くように言った。
「……得意って?」
「見てればわかるわ」
エーメに示されて、まるで騎士同士の手合わせのように向かい合うハルとカルナートに、レーネは視線を戻す。あれでは間合いが近過ぎて、ハルが不利なのでは……と思う間もなく、開始の合図が降りた。
「あ」
剣を振りかぶると同時に踏み込んだカルナートがいきなり吹っ飛ばされた。
なんだ? というざわめきが起こり、エーメがくすっと笑う。
「やっぱり、こっちじゃあまりメジャーじゃないのね」
「え?」
「今、ハルちゃんが魔力をぶつけたのよ。ちゃんと手続きを踏んで発動する魔法に比べたら、効率は悪くて魔力の無駄遣いだけど、ああいう風に接近されて間合いを取りたい時には有効よ。
東の魔族がよく使うの。なんたって、魔力に余裕があるから。
ちょっとコツを覚えれば、魔法使いなら誰でも使えるようになるわ。ただ、自分の魔力量次第の技でもあるけどね。
あ、ほら、ハルちゃん見て。あっという間に距離取っちゃったでしょう?」
エーメの言葉どおり、カルナートが立ち上がり、体勢を整える間にハルは十分な間合いを取ってしまっていた。
「ああなったら、ハルちゃんは崩せないわ」
追撃しようとするカルナートに、ハルは軽く手を振って魔法を放った。途端に足元がほんの僅か盛り上がり、カルナートはバランスを崩す。
それからも、立ち上がろうとするカルナートの正面に燃え盛る小さな壁を作り、それを避けたところで目の前に小さな爆発を起こして足止めをする。ようやく走り出すと、今度は風で舞い上がらせた埃を吹き付けて目潰しをして……。
まるでただの嫌がらせのような魔法をどんどん使い、カルナートが一定以上に近寄れないよう翻弄する。
「卑怯だぞ!」
ぎり、と歯を軋ませるカルナートを、ハルはふん、と鼻で笑い飛ばした。
「剣を使えないものに剣を向けるのは、卑怯ではないんですか?」
続く言葉にも、カルナートはキリキリと歯軋りをするしかないようだ。
その間も、巧みに小刻みに魔法を放って足止めしながら、ハルは間合いを保つように柵内を移動していく。
「最初にちゃんと剣が届く位置にいたのに、俺を侮ってチャンスを逸したのは君じゃないですか。俺が卑怯なんじゃなくて、君が弱いんですよ」
「な……」
ますます嘲るような視線を向けられて、カルナートは逆上する。
「勝てないからって俺を卑怯呼ばわりなんて、立ち位置が完全に負け犬ですよね」
「な、な……」
剣を振りかざし、カルナートはハルめがけて一直線に突撃する。
「そうやって正面から突進するしか能がないから、脳筋だって言われるんです」
膝から下の高さに作られた結界の壁にぶち当たり、足を取られて派手に転がるカルナートを、嘲笑するようにくっくっと笑いながら、ハルは鍛錬場の端のほうまで移動する。
完全に逆上したカルナートはそれを必死に追いかけて……。
「はい、これでおしまい」
ハルが笑むように目を細めてパンと手を叩いた瞬間、足元の草がするすると伸びて、剣を振り上げた格好のまま、カルナートを縛り上げてしまった。
「なん、だ、これ」
「知らないんですか? わりと初歩で魔法使いが習得する、“草縛”ですよ」
まるで鋼のような強靭な草でぎちぎちに縛り上げられ、身動きの取れないカルナートに近寄ったハルは、小さなナイフをその喉元に突きつけた。
「はい、これで君は死亡ですね」
冷や汗を一筋垂らし、ごくりと唾を飲み込んだカルナートは、「勝負あり」という宣言にがっくりと肩を落とす。
「あとひとつ、俺からの警告です」
「……なんだよ」
絡まった草から解放されてへたへたと座り込んだカルナートに、ハルは追い打ちをかけるように告げた。
「好きな子をいじめて許されるのは、言葉がうまく話せない3歳児までですよ」
「う、な、なに……」
「それに、そんなことをして嫌われることはあっても、好ましいと思われることはありません。今さら態度を改めても遅いでしょうけどね」
カルナートは、とたんに顔を真っ赤にしてぱくぱくと喘ぐように口を開閉する。
「ま、せいぜい心を改めて頑張ったらいいと思いますけど、無駄に終わっても逆恨みは無しですよ」
ハルはそんなカルナートをもう1度鼻で笑い、戻っていった。
「うう、やっぱり……」
昨日、カルナートを負かした後にやらされた、“図に乗った魔法使いを締め上げて反省させるやり方教室”で善戦したものの、結局、エーメに容赦なく関節を極められてしまったのだ。今、少し動いただけでハルの身体中がギシギシと軋んで仕方ない。朝からずっと、研究室の長椅子にじっと転がったままだ。
当のエーメは、今朝になって「おかげで弟子が3人ばかりできたわ」と喜んでいたが、とんだとばっちりだろう。
おまけに、うちひとりはカルナートだという。何を考えてるのかなんて丸わかりだし、またあの3歳児がここに来るのかと考えると、心の底から面倒臭い。
「で、君は今度は何なんですか」
「あっ」
また何かに気を散らしていたのか、レーネは試薬の合成をやり損なっていた。おまけに、指摘に慌てたのか、慌てて瓶を倒してしまう。
「あ、あっ」
「そこにボロ布があるから、それ使ってください」
あたふたと瓶から溢した液体を拭き取るレーネに、ハルは呆れ顔だ。
「で、今度は何なんですか。昨日の脳筋に押し倒されでもしましたか」
「そっ、そんなっ……!?」
「少し休……」
「じゃなくて、あの、ハル殿!」
目を白黒させるレーネに嘆息し、休暇でも取って、と続けようとしたハルの言葉を遮って、意を決したようにいきなり顔を上げた。
「何ですか?」
「き、昨日、見ていて、思ったんですが……私も、あんな風になれますか?」
「あんな風にとは?」
「その……私も、あんな風に、戦ったりできるように、なれますか?」
尋ねるレーネの様子が昨日までとは少し違うように感じて、ハルは目を眇めた。
「なんで俺にそんなこと訊くんですか」
「あ、その……」
少しもじもじと躊躇うように目を泳がせて、ぐっと口を引き結び……。
「私、落ちこぼれじゃ、なくなりたいんです」
微かに手を震わせて、レーネは続ける。
「昨日、ハル殿は本当に低級魔法しか使ってなかったのに、カルナートを負かしてしまって……私も、あんな風に魔法を使いこなしたいんです」
「なるほど」
ハルは長椅子の上に起き上がり、じっとレーネを見る。
「……で、なれるかもしれないと言ったら、どうするんですか」
「はっ、ハル殿、私に、魔法の指導をしてください!」
真っ赤になって勢い込むレーネに、「構いませんよ」とハルはくすりと笑った。
「もともと君の指導は俺の仕事ですし。
まあ、君にやる気が出たというなら教えます……ただし」
「ただし?」
「魔法の低級から上級というのは便宜上設けられた単なる難易度の区分であって、優劣の区分ではありません。もちろん、やるからには上級まで習得してもらうつもりですが、低級だからと侮るのはやめてください」
「は、はい!」
目を瞠り、なぜか直立不動の姿勢になるレーネをもう一度笑って、「じゃ、少し君の実力を見せてもらいましょうか」とハルは立ち上がった。