第3話
走って光へと飛び込むと、そこには森が広がっていた。ついに外へ出たのだ。空を見ると雲一つなく、太陽が光を放っていた。
「なんとか外に出れたみたいだ………」
安堵の息が自然に漏れる。やはり生命体にとって光はないと、安心できないものだと再認識する。
さて、抱えたこの女の子をどうするべきか。さらには、クリフくんがどこかへ消えてしまった。あのおじさんになんと言えばいいのだろうか……。
そう悩んでいると日が陰ってきた。何故だ。さっき空を見た時には雲なんて一つもなかった。ならばこの日を遮るものは何だ。俺は空を見上げた。
「な、なんだこれ……」
空は暗雲に埋め尽くされていた。見渡す限りの雲、雲、雲。これは異常気象ではないだろうか。もしくは天変地異の予兆だ。
さっきの螺旋階段のところへ逃げ込めば雨風はしのげるだろうと考えて俺は振り向く。しかし、出口のようなものは存在していない。あったのは岩の壁である。
雨風をしのげる場所を探そうと周囲を見渡していると、光が空から差した。俺はその方向へと視線を向ける。暗雲に亀裂が出来て光が差し込んでいた。そして、その光の中を何かが降りてくるのが見えた。
大きな翼を持つ鳥……いや、違う。人の姿に翼が生えている。白き汚れていない大きな翼。だが、鳥人間…ではないのはハッキリわかった。放たれる威圧感、神々しさを感じさせる光。あれはもしかして教会の本に書かれている神の使い『天使』なのではないだろうか。
『天使』は俺の前に降りてきた。ゆっくりと。見た目は女性で、頭上には光の環。背中には純白の翼を持っている。
「天使……なのか……」
そう呟く。小さく、俺にしか聞こえない声で。確かに小さい声で言った。
「そうです。迷いし子羊よ」
そうはっきりと声が聞こえた。声の主はハッキリとわかる。目の前の『天使』だ。聞こえない声でつぶやいたはずなのに聞こえているのだろうか……。
俺は『天使』に問いかける。
「……『天使』がこんなところに何か御用がおありで?」
天使は微笑みを浮かべ、こう言った。
「えぇ。もちろんありますとも。アナタの抱えるその少女を渡してほしいのです」
抱えている女の子……この子のためだけに『天使』が舞い降りたというのか。この少女は一体何者なんだ……聖者とでも言いたいのだろうか。
とりあえず理由を聞いてみよう。
「……ワケを聞かせていただけませんかね?」
「アナタが持つ知識では理解できないでしょう」
なるほど、理由も教えずに人攫いでもしようってか。この女の子にも家族がいるはず。その人達に許可も取らないとは『天使』もずいぶんと身勝手なものだ。
「すまないが、断らせていただきたい」
俺がそう言うと『天使』は笑顔を崩さずに片手を俺へ向けた。
「仕方ないですね……ここは強引にいかせてもらいます」
何を、と言葉が頭に浮かぶころには吹き飛ばされていた。岩壁に叩きつけられ、女の子を地面へ落としてしまう。
岩壁から落ちて地面へ倒れこむ間に『天使』は女の子を連れていこうと手を向ける。
全身に走る痛みで動くことができない。女の子は『天使』の近くへ連れて行かれる。俺は怒りが湧いた。『天使』とはいえ、暴挙が許されるのか。人攫いして許されるのか。
「待ちやがれ…くそ、天使……!!」
冒涜するように声を振り絞った。さっきあんな小声でも聞こえたのだ。ハッキリ聞こえているのだろう。
『天使』は俺に見下すような目を向けた。慈愛に満ち溢れた表情は消えている。その目のまま、俺へと手を……指先を向ける。
「……冒涜する者には天罰を下しましょう」
『天使』の指先に電撃が宿る。あの電撃で俺を討とうというのか。
ここで死ぬのか……『天使』の身勝手を目の前にしながら、何も出来ずにやられる……許せない。弱い俺が許せない。何も出来ないのが許せない。
「ぜってぇ…許さねぇ……!!」
「…さようなら」
『天使』は電撃を放った。俺はその攻撃から目をそらさなかった。その電撃の向こうにいる『天使』を睨んでいた。
電撃が俺の視界を埋め尽くす。光が視界をすべて埋め尽くし、なにも見えなくなった。
しかし、痛みがない。天罰なのに痛みがなかった。どういうことだ。だが状況を掴もうにも目が慣れていないので確認できない。
「…な、なぜアナタがそこにいるのですか…!?」
『天使』が驚きの声を上げる。俺ではない誰かに向かって。誰だ、誰が俺を守った。
「くぁ……随分と腑抜けてる攻撃ね…眠気覚ましぐらいにしかならないわ」
聞こえたのは『天使』ではない女性の声。俺の目の前から聞こえた。
なんとか目の前が見えるまで目が慣れてくる。俺は目の前に立つ人物を見て驚いた。長くてきれいな銀髪、色白の肌……なんと先ほど助けた女の子だったのだ。服は着ていなかったはずだが、今は服をまとっている。一体なにがあったのだ。理解できない。
しかも女の子は『天使』の天罰を受けたはずなのに無傷だった。色白の肌には焦げた跡もなにも存在していない。この女の子は何者なのだろう。
「んんぅ~……!! 久々に外界に出たわね…いつぶりかしら」
女の子は伸びをしながら、そう言葉を発した。俺は女の子に問いかけた。
「……き、きみは一体…」
「んぅ? もしかして貴方? わたしを外界へ連れだしたのは……」
女の子は振り向き、俺の顔を覗き込む。瞳は綺麗な金色をしていた。顔も整っていて美人だ。
「神殿のようなところから……ということなら、俺が連れ出したことになるかな……」
「ふぅん……なるほどねぇ…気に入ったわ」
女の子は俺の顔を覗き込みながら、何度もうなずきながら笑顔を浮かべた。なぜ笑っているのだろう……。というか気に入った、ってどういうことだ?
そんな会話をしていると女の子の後ろ……『天使』が明らかに怒ってる。わなわなと腕が震えていた。かろうじて笑顔を保っているけど、一触即発状態だ。
「…こ、このワタシを無視するとは………死にたいようですねぇ………!!」
「…相手との力量差もわからない下級天使が何言ってるんだか………」
女の子は立ち上がって『天使』の方を向いて呆れるような仕草をしながらそう言い放つ。その言葉を受けた『天使』は、笑顔を消して表情を一変。怒りの表情を見せた。
「さっきのは手加減しましたが、今度は出力を上げていきます……!! 『天使』にたてついたこと、後悔しなさい…!!」
『天使』は空へと舞い上がり、両手を天へと掲げた。『天使』の体から電撃がほとばしり、その電撃は両手へと集まる。そして『天使』は女の子を見据えた。
「詠唱…!! ”雷撃”」
電撃は空に広がる暗雲に放たれていく。暗雲が吠える。雷鳴を轟かせて、威圧する。そして光が暗雲から大地へ落ちる。女の子を狙って何度も。
落ちる度に轟音が鳴り響く、大地が揺れ、衝撃が走る。俺は後方へと吹き飛ばされ、また岩壁へ叩き付けられた。
そして雷が収まる。周囲に土埃が舞っていて状況が判断できない。
「ふ、ふふ……これだけ喰らってはさすがに死んだでしょう……『ミカエル様』の命令には反することになりましたが、仕方ないでしょう」
『天使』は肩で息をしつつ、笑顔を浮かべた。怒りが収まったのだろう。俺は、その様子を見て『天使』の強さを知った。さっきのが手加減というのがはっきり伝わっている。
俺は女の子の生存は絶望的だろうと思い、ふらふらと立ち上がってさっき女の子がいたところまで歩いて近寄った。せめて亡骸は手厚く葬らなければ……。
しかし、突然視界が砂だらけになった。風が巻き起こり、土埃を吹き飛ばしたのだ。
「んー……まぁ、下級天使にしては中々の出力かなー…」
女の子の声がした。なんと生きているのだ。あれだけ連続して雷撃を受けたのに。
女の子の姿を見て、俺が驚きの声を上げる前に『天使』が驚きの声を上げた。生きていることにではない。それよりももっと衝撃的なものだ。
「は、白銀の翼………!?」
なんと女の子の背中から翼が生えているのだ。『天使』の純白の翼よりも神々しく、美しい翼が。
「白銀の翼は上位三隊の証……な、なぜアナタがそれを持っているのですか……!!」
「簡単な話よ。わたしはグローリークラスの天使”だった”から」
だった……過去形。つまり今は違うということなのだろうか……。
「大体、わたしを天楽園へと連れていこうとしていたなら、『ミカエル』から説明ぐらい受けてたんじゃないの?」
「ミ、ミカエル様は一言もそんなこと言ってなかった……!! 一人の少女を連れてこいとしか言われなかった……!!」
『天使』はひどく困惑していた。詳しいことはわからないが、おそらく上級天使の証を持った女の子の存在、そしてミカエルという存在から言われなかった事実が存在していたことが原因だろう。
「まぁ、いいわ……ミカエルに言っておいて? わたしはそっちに行くつもりはない……ってね」
「そういうわけにはいかないのです……!! 力ずくでも連れてこい、と言われているので……!!」
『天使』は困惑しながら、女の子を連れていこうと魔力を溜め始めた。先ほどよりも出力が強い。おそらくフルパワーであろうか。
「はぁ……仕方ないか。天界では『天使長』の命令は絶対だものね……じゃあ、力ずくで帰してあげるわ」
女の子はそうつぶやくと、黒くて小さな球体が周囲に漂い始めた。その数は次第に増えてゆき、女の子の姿を隠していく。
「なっ……!? 闇の魔力……!? 混在し得ない魔力がどうして………!!」
『天使』が困惑の声を上げる。もうわけがわからないという表情を浮かべ、今にも泣き出しそうだった。
そんな『天使』を余所に、黒い球体が弾ける。弾けた球体の中から女の子が姿を現すと、なんと姿が変わっていた。半身は先ほどと変わらず、白銀の翼が生えている。だが、もう半身が問題だった。
「あ…悪魔の翼……!!」
俺は声を上げる。なんと、もう半身の翼が伝承などに残る悪魔の翼そのものだったのだ。色は漆黒。形状は羽根の生えそろった鳥のような翼ではなく、蝙蝠のような翼だった。そして先ほどは何もなかった頭上に環があった。いや、環ではない。黒の三日月と白の三日月が対になって環のようになっているのだ。
「ふぅ……ねぇ、貴方……危ないから離れておきなさい…?」
女の子が俺の方へ目を向けてそう言った。悪魔の方の瞳は金色の瞳ではなく、真紅の瞳だ。
「わ、わかった……」
俺は言われるがままにある程度離れた位置へと走る。その間に女の子は分厚い本を取り出して『天使』にこう言った。
「貴方は2つの大罪を犯した。これからその内容を言うわ…まず一つ目。あなたは、神に仕える天使。人々に慈愛を与える神の使いでありながら、無知なる人間を見下して神が行うべき天罰を勝手に行ったという己の地位を神と同等として見た”傲慢の罪”。次に二つ目。天使は人々に微笑みを与え続ける存在でありながら、己の存在を一時的にとはいえ忘れ去られただけで怒りの感情を得た”憤怒の罪”。以上2つの罪を貴方は犯した。よって冥府の裁判長である『アルクリッド・アラゾニア』の名において……裁く!!」
言い放つと同時に分厚い本が浮き上がり、ページがバラバラと開く。それと共に本が輝いて、光が周囲を包み込んでいった。