第1話
「……レイジ・シラヌイ。我が声を聞け」
暗い闇の中、男の声で誰かが俺を呼ぶ。周囲を見渡しても誰もいない。ただ暗い空間のありとあらゆる方向から声が響いてくる。
「……誰だ。姿を見せろ」
俺はそう問いかけながら声の主を探す。だが、やはり誰もいない。
「レイジ・シラヌイ。――――――を守れ」
声の主は姿を見せることなく、そう言葉を繋いだ。だが、言葉には抜けている部分があった。ノイズがかかり、聞こえない部分が存在している。
「何を言っているんだ………?」
「――を――――のだ―――――――の―――――を――す―――ために―――――」
ノイズがさらにかかる。言葉を上から塗りつぶしていく。単語は文字のかけらとなり、俺には一切伝わってこない。
「何を言っているんだ!」
「た―――だぞ――――――」
声はついにノイズによってすべて塗りつぶされてしまい途中で途切れた。なにを言っていたのかさっぱりわからなかった。
そう思った矢先、真っ暗な空間のはるか向こう側から小さな光が迫ってきた。それは距離を縮めていくごとに大きさを増してゆく。
そしてついには俺を飲み込んでいく。一瞬で目の前が光に埋め尽くされていった。
鳥のさえずりが、川のせせらぎが、木の葉同士が風で擦れ合って作り出す音がハーモニーを奏でる。その音を聞きながら目を開けると一面が光に包まれた。
目を閉じ、一時的に光を遮断。その後、光の来ていない方向を向いて目を再度開ける。光に満ち溢れている世界が横になっている。単純に体が寝ているのでそう見えるだけだが。
「……朝、か…」
俺はそうつぶやきながら体を起こした。朝の太陽光が気持ちいい。伸びをしたり、軽くストレッチをする。
目の前には川が流れている。俺は寝ている間に失った水分を補給するとともに意識をしっかりと覚醒させるために川へと近づき、冷たい水を手ですくい、口へと運ぶ。
まず一口飲む。口の中に広がる潤いがさらに水を求めさせる。さらに一口、また一口と己の体が満ちるまで飲む。
あるところまで飲むと顔に川の水を浴びる。数回それを繰り返して、意識をしっかりと覚醒させていく。
「ふぅ、すっきりした」
顔を拭き、余分な水分を取る。寝袋などをすべてまとめて俺は寝ていたところのそばに置いていた魔法鞄入れの中に入れて、背負う。
そして森の中へと歩みを進めていく。俺は旅をしている人間。この旅は軽い慰安旅行のようなものを兼ねている。正直、慰安するほど働いていたりするわけじゃないが……そこのあたりは触れないでおく。
俺が今いる場所はクエルブ峠。王都と西にある都市の一つであるアレイクォーツを繋ぐ道にある峠だ。
まだ王都から旅を始めて数日。そしてアレイクォーツへと向かっている最中。本当は馬車に乗れば1日かからず着くのだが、馬車の時間を間違えて乗り損なったので仕方なく歩きである。まぁこれも旅の醍醐味であると思う。旅するのは初めてだが。
晴天の中、森の中を鼻歌混じりに歩いていく。多少整備されている道なため安心だ。
だが突然、横の茂みから老人が飛び出してきた。
「っ!?」
「そ、そこのお兄さんや! すまんが、お願いがあるんじゃ!」
出会って数秒。茂みから飛び出してきた老人にいきなり頼み事をされるという事態に巻き込まれた。しかし、老人の顔は中々に深刻そうである。とりあえず話を聞くだけ聞いてみよう。
「どうかしたんですか?」
「わ、わしの孫がいなくなってて………!!」
どうやら老人のお孫さんが森の中ではぐれてしまったようだ。この森、もとい山には危険な動物はあまり住んでいないと聞いている。しかし、危険がないわけではない。どうにか危険に遭う前に保護しなければならない。
「わかりました。お手伝いします」
「あ、ありがてぇ! 孫の名前はクリフといいますのでよろしくお願いいたしやす!」
「では、また後で」
俺は老人の頼みを引き受け、茂みをかき分けて森の中へと入っていった。
クリフくんの名前を呼びながら奥へ、奥へと進んでいく。時折、動物を見かけるが動物たちは俺の姿を見るとどこかへ逃げていく。この様子を見る限り、クリフくんは動物には襲われていない確率が高そうだ。動物たちに危害さえ加えていなければきっと大丈夫。
「クリフくーん。どこにいるんだー?」
奥へ奥へと進んでいくとかすかながら声が聞こえてきた。なにかが鳴いている……いや、子どもが泣いている声だ。俺は声のする方向へ走る。すると少し開けた場所に出た。しかし、そこでは
「うわぁぁぁぁん! じぃじー!」
「グォォォ!」
泣く少年と大きい熊が対峙していた。というか熊が泣く少年へとジリジリ近づいていっていた。
「やばいっ!」
俺は急いで少年を拾い上げ、熊から逃げるように元来た道へと走る。熊はそんな俺を見て、徐々に加速して追いかけてくる。このまま来た道を戻るだけでは熊に追いつかれて美味しくいただかれてしまう。そんなのはまっぴらごめんだ。
とりあえず悪あがきとしてまっすぐではなく横へ道を変えたりして相手のスピードを削ぐ。俺のスピードも多少削がれるが、相手は巨体ゆえの重量によって急な方向転換は苦手である。直線コースで縮まった差をなんとかカーブで少しばかり離す。しかし、これではキリがない。それに追いつかれてしまう。
「くっ……!!」
走る。走る。走る。ただひたすら。少年の命と自分の命を守るため。全力を以て走る。
そうしていく内に流れの速い川が目の前に現れた。多少の荒業は仕方ないだろう。俺は少年を抱きかかえたまま、川へとダイブ。逃げるように下流へと泳いでいく。
熊はその様子を見て、諦めたかのように森へと戻っていく。なんとか助かったようだ。
「じぃじー! じぃじー!」
少年はまだ泣いている。仕方ないだろう。あれだけ怖い経験をしたのだから。
俺は川から上がろうと思った。だが、突如流れが速くなる。なんとなく、厭な予感がした。流れていく川の先が消えていた。川の先が何もない。
それが意味することは簡単。滝がこの先に存在している。
「マジかよ……!?」
滝がある、そう思った時にはすでに体が投げ出されていた。浮遊感に襲われる。俺と少年は宙を舞う。
流れ落ちる水とともに落ちていく。
俺は少年をしっかりと抱きかかえ、目を閉じ、無事に生き残れることを願いながら水面へと落ちていった。