アマヨミ
光に包まれた後には、まるで光のトンネルに吸い込まれているかのように体が勝手に前へ前へと進んでいくのに、身を任せるといつの間にか光のトンネルを潜り抜けたと思うと、全身が鈍い痛みに襲われ、胸では鋭い痛みを感じて一気に意識が覚醒し目を覚ました。
痛みはすぐに治まり、仰向けに倒れている自分の目に最初に入ってきた物は、良く見慣れた拝殿の木造の天井であったが、傷つき倒れたのは社殿の外だった。何故、拝殿の中に倒れているのか疑問に思いながら天井を眺めていると、物音がすぐ横で聞こえ音のした方へ目をやると、巫女姿の女性が、私に一人背を向けた状態で正座をしていた。
私は、その女性は天邪鬼ではないかと最初は思ったが、天邪鬼特有の気が感じられず、さらに、天邪鬼は口には出さないが、長い髪をとても気に入っているのに対して、目の前の彼女は肩先にも届かず短く整えられていた。だから、すぐに別の存在であると察知すると同時に、その女性は私の方へと体を向けると、目を覚ましてることに気付いたようで声をかけてきた。
「ようやく目を覚ましたか。雀神様」
丁寧な口調ながらどことなく棘のある言い方をする彼女の声は、特徴的で小鳥のさえずりのように耳に良く残るのだが、それはどこかで聞いたことがあるような気がしたが、どこでかは思い出すことができず、もやもやとした気持ちになり眉をひそめる。
「どうかしましたか。難しい顔をなされて」
「いや、お前をどこかで見たような気がしたのだが、思い出せなくてな。私の気のせいだろうか」
私は意味ありげな言い方をし彼女の目を見て、反応をうかがうが、彼女は真っすぐに見返しながら、
「雀神様、私をお忘れなのですか。雀女丸の封印に手をお貸した天野原読ですよ」
「……お前が天野原読だと。そんなはずはない。もしそうなら、お前は四百歳以上ということになる。まさか、そんなはず無いよな」
「そのまさかです。それに、貴女と出会った時には、もう人間ではありませんでしたから」
私は彼女の言葉を聞いて、弾けるように立ち上がり、雀女丸……いや、今やただの一振りの刀となり果てたモノを呼び寄せ、刃を素早く抜き天野原と自称する彼女の首元に突きつけた。
「お前は、何者だ。ここで何をしている」
「そんな顔で刃物を向けられたら、怖くて話したくても話せないですよ」
彼女はいたって冷静で涼し気な表情で私の目をジッと見詰めながら口を動かし、さらにこう続けた。
「しっかり、ご説明しますから武器はどうぞ、お収め下さい」
もし彼女が本当にあの天野原読なら、一度は私を騙していることになる。そんな彼女の言葉を信じて良いかどうかと、考えていると、
「疑う気持ちは分かりますが、ここで争っても仕様の無いことでしょう。もう一度言いますが、武器をお納め下さい。それに、私は騙したわけではありません」
「……今、何て言った」
とても、違和感のある言葉が最後に彼女の口から聞こえ、聞き返す。
「争いは無意味です、と」
「いや、最後の方だ」
「騙したわけではない……」
彼女は澄ました顔でそれを口にした後、唇の片端をニッと歪め、からかうように静かに笑った。
「お前、私の心を読んだな」
「それが何か。心を読むことができるのは、私以外にもたくさんいます。例えば、私の母とか」
私は未だに刃を彼女に向けたまま、首をかしげると、彼女は察したような顔をして、こう続けた。
「知らないんですね。私があの人の娘だってこと」
「あの人だと」
私は怪訝な顔で問う。
「そうです。雀神様の前に現れては面倒を持ってくる。赤い髪の鬼です」
「ひょっとして――」
「そうです。天邪鬼です」
私が最後まで言う前に、彼女に先読みされ、ムッと彼女の顔を睨む。さらに、天邪鬼の娘だと突然言われて、「ハイそうですか」とすぐに納得できるものでもない。
「そう怒らないでください。それに、この話は事実です。今度あの人に聞いて見てはどうですか。否定はなさらないかと」
「……仮にお前が、あいつの娘だとしてお前は一体何者なんだ。それと、私は怒ってなどいない。ただ、少し面白くないだけだ」
彼女の首筋に刃を当てる力を強くして問う。自分の首筋に当てられているモノに、全く臆することなく、微かに笑みを見せて答えた。
「私は生まれも育ちも鬼です。人から鬼へと変化したのではなく、元から鬼なのです。なにせ、母が鬼でしたからね」
彼女、天野原読の言葉を聞けば聞く程に、疑問が湧いてきて、さらに問いただす。
「なるほど、お前が鬼だということは分かった。しかし、本当にお前が鬼だとしたら、境内の中には入れないはずだ。いくら力が弱っているとは言っても、何の手引もなしに鬼が出入りできるような場所ではないし、あの天邪鬼すら私が招かない限り入っては来れないんだ」
「問題はそこです」
彼女は人差し指を立てて言う……が、突然動かされた手に思わず反撃されると感じ、私は彼女の首を思わず刀の切先で突いてしまったのだ。
しかし、鬼というのは、どうにも食えないヤツばかりなのか。
目の前には天野原の姿が忽然と消えて、切先には形代が刺さり引っかかっていた。
ここにいたのが鬼ではなく身代わりとなる形代ならば説明がつく。特別呪われた形代でなければ結界は拒みはしないし、本体ではないので、力は存分に発揮できないが、会話や偵察に簡単な労働程度ならできるのだから……しかし、形代を操るとなると鬼というよりも呪力を持った人間の仕業とも考えられる。
まあ、面倒なヤツが消えたと考えれば、問題のないことだ。しかし、何か彼女は有益な情報を持っていたとしたら、勿体無いことをしたかな。と少しだけ残念かなと思いながら、私は引っかかっている形代を振り払い刀を鞘に収めた。するとすぐに、
「まったく、危ないですね。ただ手を動かしただけだと言うのに」
先ほどまで聞こえていた声が私の耳に入る。距離はこの刀の間合いだ。
瞬間、後ろを振り返りながら、せっかく鞘に収めたモノを抜き瞬きするまもなく、彼女の首が飛び、そして落ちた。
「……言った側からこれですか。声だけで斬るだなんて」
落ちた首は少しだけ驚いた表情をしたが、すぐにその表情は呆れたという顔になって喋り出す。
「これを見る限りじゃ、明らかにお前は人間ではないく、呪力を持った人間説は無くなったな」
「もしかして、人間かどうかを確認するために斬ったワケではないですよね」
天野原は自分の首を元の位置に戻して話を続ける。それを見た私は、それだけで、修復できるのなら大した治癒能力だ。と、変な所に感心した。
「確認も何も、形代がなければお前は確実に死んでいた。そんな状況で、一分もおかずに現れることのできるお前の神経の方が心配だ。それより、首を落とされても死なないのなら、形代を使うことはなかったんじゃないか」
「備えあれば憂いなしですよ」
呆れ顔からいつの間にか、無表情へと変わった彼女の言葉を聞いた私は目を瞑り、
「それは憂いがあるから出てくる言葉だ。どういう手法を用いれば死ねるのか、試したくなるな」
抜いたままの刀を彼女の胸へと向ける。首がダメなら心臓とは古典的で、良くある方法だ。
「私の胸を刺しても、無駄ですよ。そこにはありませんから」
天野原はどこからともなく、神や鬼、人間など様々な存在が触れることすらできない程に強力な護符が大量に貼り付けられた木箱を私の前に差し出した。
「何だその木箱は」
私は目の前に出された木箱をあからさまに嫌な目で見る。鬼というのは人間が邪な心に犯された魂の成れの果てだ。そんな存在が差し出すモノはあり気持ちの良いものではないことは、経験から知っている。
しかし、彼女は私のことなど気にせず護符を自ら破ると蓋をゆっくりと開けた。すると、そこには、鼓動する心臓が入っていた。
実際に目にするのは初めてのことだった。なんと彼女は自身の体と命を切り離していたのだ。
体と命を離して管理するという方法は古来から、幾度と無く使われているが、その行為は非常にリスクが高いのだ。
体と命が一緒にあるのには理由しっかりとした理由がある。体から命を離して管理するのは、命を誰にも見つからないところへ隠すことで、誰もが命の器と考えて狙う輩から身を守るのには最適だ。しかし、命が持ち主の器から離れるということは、自衛の手段が限られるということでもあり、命のありかがバレるということは死を意味するに等しい。
そうだというのに、彼女は私に命を私に差し出している。これは彼女は私に自分を殺せと言っているようなものだが、実際には違う意味がある。
――それは忠誠だ。
「どうぞ、私を側に置いて頂きたいのです」
彼女は頭を下げて心臓の入った木箱を置き、私の方へと付き出す。
「私に雀女丸を封印できると騙しておきながら、今度は側に置けだなんてたちの悪い冗句だ」
私は木箱に蓋をして押し返し、さらに話を続ける。
「そもそも、鬼を神社に置く理由っていったいなんなんだ」
「そうですね。突然、言われても混乱してしまいますね。まずは、雀神様が私を側に置くメリットとしては、神社の弱った結界を貼り直す手伝いができますし、今までは雀女丸、立川鈴愛に力が分かれていた故に、今までにはできなかったことなど、様々な助言ができるかと」
私は厳しい目で彼女を睨みつける。
「そんなこと、私一人でもできる。鬼の特にお前の手は借りん。命が惜しかったら、ここからすぐに立ち去れ」
怒鳴りながら心臓の入った木箱へ刃を向けると、彼女の顔には恐怖というよりも悲しみの表情が映り込む。
「分かりました。今日のところは下がらせて頂きますが――」
木箱へと目をチラリとやる。
「雀神様に私の命を、お預け致します。殺すのも誰かに預けるのも結構ですが、きっと私は、お役に立てますよ。もし、私が必要になったなら、その心臓へ向かって、『イツアヒノ・イカリフンオミク・アマヨミ』と呪文を唱えてくだされば、すぐにでも参上しますので、それでは、失礼させて頂きます」
そう言い終えると、彼女は霞のように消えていった。
「もしも、なんてことは無い」と、私はボソリとつぶやいた。
私は床に大の字で寝転ぶと、目を瞑る。
雀女丸との一件の後にすぐに、また良くわからないヤツが目の前に現れた所為もあり、どっと疲労が重たくのしかかってくるのを感じた。天野原読、彼女は一体何を考えているのだろうか。いくら弱まっているとは言え神社の結界を鬼一人の力でどうにかなるものではない。結界が壊されたりこじ開けられた痕跡も感じない。となると、彼女はこの神社に自由に出入りできるというのだろうか。仮にそうだとして、なぜ今更なのだろうか。
考えていても仕方がない。今日の所は寝るか。と思ったが、今は何時なのか気になり外へ出る。時計もカレンダーも無い生活では外に出て太陽の角度を確認したり曇りや雨の日ならば、なんとなく明るさで確認するのだが、今まで気づかなかったが、至って快晴でありセミの鳴き声が鳴り響き、境内では子供たちがいつもの如くカードゲームで遊んでいた。恐らくは午後の二時か三時くらいだろう。
その光景を見て溜め息を一つ、賽銭箱の横に腰を掛けて日が落ちて子供たちが帰るまで眺め続け、日が低くなるとぽつりぽつりと家へと帰っていく。
晩夏は日が沈んでも空は未だ明るく、比較的涼しくなると蜩が活気のあった一日の終わりを告げるかのように鳴き始めるのだった……。