イタチと古の記憶
不浄の者の気配を感じつつも、まったく姿が見えない事に警戒をしつつ、先ほど儀式に使った御神体――私の力が封じられている物――であり依代である刀を構える。あたりを見渡すと拝殿の前では未だに子供たちが遊んでいるのが見えた。下手をすると子供たちにも影響があるかも知れないと思うと気が逸る。
不浄の者がいるとしたら、まだ結界の綻び付近だと目星をつけると、その場所まで私は一気に駆け抜けて、結果的に拝殿からかなり離れた場所に移動することができた。これで、少しは子供たちに与える影響も少なくなるはずだ。
と、そう思い一息つこうとした瞬間、殺気に近いモノが横から飛んでくるのを感じそれをかわそうと咄嗟に身を翻すが、その物体はまるで意思があるかのように飛び回りひたすら避けることに専念するが、それは鋭い刃のようで、かわしきれない私の愛用の褐色のパーカーを傷つけて行く。猪口才行為に苛立ちを覚えて私は、
「クソ、お前の正体はすでに分かってんだ。姿を現せ、このイタチ野郎」
怒号と共に周囲に気を放出すると、それと同時に周囲を飛んでいた物体は吹き飛び鈍い音を立てて地面に落ちると、そこにはイタチの姿をした妖怪が痛みにうずくまっていた。
ヤツの名は「鎌鼬」さまざまな民間伝承があり、かなりポピュラーな妖怪である。さらに、こいつの名前を使ったゲームも発売されたと聞いたことがある。あいにく、我が家である神社には電気が通っていないので、できやしないのだが……。
コイツの能力は風のように移動して、接触したモノに鎌に切られたような傷をつけるというのが基本だが、上位の存在となると鎌と太刀を召喚して操り出し、神格を持つと、もっと厄介な存在になるが、それは人間にとって厄介な存在なだけであり、人外の存在にはあまり関係の無いことだ。
しかしながら、人間だろうが神だろうが何だろうが、私の領域で穢れを放つ者は許さない。
「チッ、いてえじゃねえか。小さな獲物を追っていたら、極上の気を感じて来て見れば……神様がお出ましとはな。おっと、良く見るとここは神社じゃないか、小さすぎて気付かなかったぜ」
地面にうずくまっていた鎌鼬は起き上がると、口汚く喋り出し私の家を小馬鹿にするその口を今にでも、開けないようにしてやろうかと凄みながら歩み寄ると、
「おっと、ちょっと待てよ。オレを殺す気なら、その前に少しだけ話を聞いてくれよ。そのくらいの余裕はあるだろ」
「うるさい。イタチは狡賢くて下級の鎌鼬ですら面倒くさいヤツだから、私は好きではないんだ。さっさと消えてしまえ」
そう言いながら、私は気を溜め込んだ鞘に収まったままの刀で鎌鼬を一突きすると、鎌鼬は断末魔を残して消滅した。
「なぁんてな。おいおい、ちゃんと見ろよ。俺はまだここにいるぜ」
「知ってる」
消滅したと見せかけて別の所に現れた鎌鼬は私を煽るが、すでに私はヤツの背後に瞬間移動して、また同じように一突きする。
「クッソ。なんでオレの現れる場所が分かるんだ」
「そりゃ、ここは私の――神の領域だからだよ」
「それなら、この能力が何なのか分かってるんだろ。さっさと、オレをその『御神体』の刀で切り殺して見せろ」
「いやあ、それができたら、こんな面倒くさいことしないって」
のんびりとした口調で言いながら三度、容赦なく突き刺す。
鎌鼬のもう一つの能力、それはあることわざと同じ能力である。その名は「いたちごっこ」この能力は鎌鼬の妖力が切れるまで使い続けることができて、逆に言えば妖力が無くなると使えなくなるのだ。私の神気と鎌鼬の妖力どっちが先に無くなるかの持久戦ということだ。だが、鎌鼬には残念なことに、私の神気の方が圧倒的に多いことは明白であり、これを続けるとヤツは間違い無く死に至る。さらにやられた時に痛みはしっかり感じる故に、死ぬまで痛みに苦しむことになる。正に生き地獄である。
人間から見たら妖怪は死んでるように見えるだろうが妖怪や鬼それに神だって器と生き方が違うだけで、ちゃんと死ぬのだ。
「てめえ……まさか、刀を鞘から抜けないんだな」
「だったら、どうした」
またもヤツを突こうとするが、さすがに読まれたらしくひらりとかわされる。
「そうかそうか、これは笑えるぜ。見るからに古臭く寂れてる神社だと思ったが、信仰が足りなくなって神気の質が落ちて、自分の力を満足に解放できなくなったんだな。これは愉快愉快」
鎌鼬は下品で汚らしく嘲笑い醜い顔をさらに醜く歪ませる。
「何が可笑しい」
私は怒り叫ぶ。本来ならば、この叫びだけでも容易に妖怪など消し去ることもできるのだが、まるで人間が怒鳴るのと変わらない。
「いや、神様といっても人間から尊敬されなくなると妖怪と大差ないものだな。いや、それ以下か。さっきは気を放ってはいたが、つい最近、誰かが参拝しにきたから使えただけで、その依代無しには、まともに気を使うこともできないんだろ。それに、気も弱かったから、それ程信仰の強い者ではなかったようだな」
ヤツの言う通り、身勝手な人間に祀り上げられ神格を得て、そして、その人間に見捨てられて神としての威厳、特権を失おうとしている。悪くすれば、このまま忘れ去られて死滅してしまうのだ。極僅かだが参拝する者がいるから、こうして存在していられるが、いつ死ぬかも分からぬ命だ。しかも、その命は人間に委ねられているのが心底腹が立つ。
「黙れ、お前のような妖怪と一緒にするな。ましてや、それ以下などと許さんぞ」
私は怒りに声を震わせながら、鎌鼬へ詰め寄る。
「どうした。許さないとその抜けない刀でまた俺を刺すか」
鎌鼬は鼻で笑い見下し冷やかしたその言葉に、私の怒りは頂点へと達し全神経を右手に集中させ、依代である刀の柄を握りしめてありったけの気を使い刃を引き抜くき、その瞬間に鎌鼬を両断した。
「てめえ、まだそんな力が残っていたのか」
そう言い残すと、鎌鼬の体は断末魔を上げながら砂のように粉々になると風に流され消えて行った。そして、美しく光輝く物がそこに現れその物体は刀に吸い込まれて行くように消えて行った。今度こそいたちごっこは終わり、鎌鼬は本当に死んだのだ。
「私に忘れていた、この強い怒りの感情を、思い出させた……お前のおかげだ」
そう吐き捨てるように小さく呟くと、どっと疲れが表れ刀を地面に突き立て、体を支えて「畜生、神なんて嫌だ。人間なんか嫌いだ。人間なんか……」と、心の中でそう呟きながら、大粒の涙を流し、ぐらりと視界が揺れたと思うと意識が暗くなりそのまま崩れ落ちた。
暗い意識の中、何か聞えた。そんな気がしたが、気のせいかと思い直しすぐに、まどろみに意識を溶け込ませようとする。しかし、また何かが聞えた。気のせいだと思おうとするが、一度集中してしまった意識は目覚めへと引っ張り上げる。
「ねえ、お姉ちゃん、鈴愛お姉ちゃん。起きて」
小さな子供の声が私の耳に響き渡り、重い瞼を開けると目の前には、私のことを呼ぶ、知らない少女が、私の顔を覗き込んでいた。
「あ、やっと起きた。いくら陽気の良い日だからって、寝ちゃうなんてひどいなあ」
少女はふくれっ面になり、私を睨むがその顔からはまったく、怖さが伝わってこない。むしろ、可愛いくらいだ。
「ごめん。私としたことが……で、私達はここで何しようとしてたんだっけ」
何処か見覚えのあるような、そんな風景を見ながら、少女に尋ねる。
「お姉ちゃん寝ぼけちゃったの。仕事ばかりで疲れただろうし、紅葉でも見に行かないかって誘ったのはお姉ちゃんだよ」
言われて見れば周りは美しく少し不気味なくらい赤く染まったモミジが生い茂っていた。
私の質問の所為でますますご機嫌が斜めになるが、不思議なことに少女の機嫌が直りそうなことを思いつく。
「ごめんねってば。代わりと言ってはなんだけど、栗羊羹を買ってあげるから。機嫌を直して」
「本当。お姉ちゃん大好き」
そういうと、すぐにぱっと笑顔になって、私に抱きつく少女のその笑顔を私はどこかで見たような気がした。どこだったのか思い出そうとするが、記憶に靄がかかったように、全てが曖昧な感覚で思い出せない。
「お姉ちゃん、早く」
少女は元気良く走って、振り返り私を急かす。
「そんなに走ると転んで、怪我するわよ」
一瞬、私は違和感を感じるがすぐに、それは消え去る。「気のせいだ」そう思った。
「いつも、走ると転ぶのはお姉ちゃんでしょ。早くしないと、栗羊羹がなくなっちゃうよ。秋の名物、食べ損なっちゃうよ」
言うなりまた走り出す少女を、私は追いかけるがなかなか距離が縮まらない。それどころか、距離が離されて行く。
どんどん、どんどん距離が離されて行き、焦り走ることに集中し始める。そして、だんだんと息苦しくなって来たところで、ハッと気が付くと古い家の中にいた。この家の中も見覚えがあると思った。そして、ここではとんでもなく嫌な出来事が起きた。いや、起きているのだと思った。すると突然、鉄っぽいく生臭い匂いが、鋭く鼻を突き胃の中がうごめいて、軽い吐き気を催すが私はそれを飲み込み耐えていると声が聞えてきた。
「お姉ちゃん助けて」
その声は先ほどの少女の声だ。私は声の方に向かって行く、すると先ほどの匂いが強くなって来る。
「お姉ちゃん助けて」
また、同じ声が聞えた。その声は目の前にある襖から聞えてきた。開けたら後悔しそうな気がしたが、開けなければならないと感じ、手が勝手に襖へと伸びる。
そして、襖にかけられた手は、一気にそれを開け放つと、目の前には血の海が広がり、幾人もの死体が倒れていた。どれも綺麗に芸術的なまでに綺麗に体がすっぱりと斬れていて、屍の山と血の海の中で一人の少女が刀を持ちながら立っていた。
「お姉ちゃん、助けてって言ったじゃない。何度も何度も言ったじゃない。お姉ちゃんが助けてくれないから、たくさんたくさん殺したよ。お母さんもお父さんも、それに可愛い妹もね。最後に残ったのは鈴愛、あなただけよ」
さっきまで少女だった人の顔がこちらを向く、それは少女ではなく私だった。私の顔をしたヤツは異常な程の殺気を放ち、修羅の如き形相で刀を振り上げて、私の方へと向かってくる。私はもう一人の私に、恐怖して一歩も動けなくなった。そして、動けない私に私は刀を振り落とす。
「やめて、雀」
私は古い名を叫び目を覚ました。悪い夢を見ていた。古い古い遠い時の悪夢を……。
「こういう時は、嫌な汗でも人間だったら掻くところなのだろうか」と、ふと思い苦笑した。
あたりを見渡すと、どうやら鎌鼬と戦った時に、無理に気を使った所為で、文字通り気を失っていたらしい。どのくらい気を失っていたのだろうか。あいにく腕時計だとかケータイなんてものとは無縁の生活を送る私には、皆目検討もつかない。そもそも、長い時を過すことに慣れてしまった所為で時間という概念に無頓着なのだ。とは言え、何人かがこんな小さな神社を訪ねてお参りして行くくらいには時間が経っているらしく、通常の回復時間よりも、かなり早くに気が回復しているようだった。
立ち上がり、むき出しのままだった刀を鞘へと納める。私は刃物が嫌いだ。本当ならこんなもの捨ててしまいたいくらいだ。しかし、こんなものに自分の身を宿していなければ、存在していられない自分が腹立たしくなり、「神なんてやってられるか」と怒鳴りながら思い切り地面に叩きつける。
すると、体がジーンと痺れて頭がくらくらして、すぐに馬鹿なことはするモノじゃないと思った。依代であるこれは、私の体の一部なのだ。だから、依代が衝撃を受けると、自分にも衝撃が伝わるのだ。
もちろん、それにも条件はある。私が依代に触れている場合は依代は私にとっては、ただの道具になるが私から離れた依代は、無防備な状態になり依代が衝撃を食らうと、自身にも伝わるのだ。だからこそ、本殿に大切に祀られるのだし、どんな頑丈な物でも割れ物を扱うよう触れるのだ。
つまり、もしも誰かが依代に傷つけようものなら、その傷に見合っただけの傷を私も負うのだ。
これは実体験なのだが、この依代を鍛え直そうと鍛冶屋に持って行った馬鹿野郎の神主がいたのだ。
もちろん、それを知っていたら私は自分で刀を奪い返していた。そんなことも知らずに、神社に集まる人間を観察しつつ、願い事に耳を傾けて「こんな願いは、努力でなんとかなる」とか「あまりに大きすぎる。己の器を知れ」とか「その願いは他の神社でしろ」など、思いながら聞き入っていた――その頃は、今みたいに寂れてはなく結構な人数がお参りに来ていたのだ――人間の願い事というのは案外小さいものだったり、本当にどうしようもなく大きなことだったりと、その差がなかなか面白くどうせやることもないので、それを楽しみながら過していたのだ。
すると突然、体が燃えているように熱くなってきてあまりの熱さに、悶え苦しんだ。すると今度は、金槌で体をボコボコに殴られている感覚が混じり骨が折れるような痛みや内臓が潰されたような激痛がしたと思うと、急に水に浸かったような冷たさを全身を包み込む。
それが、何度となく繰り返され、あまりの異常事態に気を失いたかったが、あまりの苦痛にそれが許されることは無く、それが終わるまで拝殿の中を悶え転げた。その時、神社からは中に誰もいないのに、激しい物音や叫び声が聞えて、人間達を大変怖がらせてしまったそうだ。
そして、依代が鍛え直されていたことを後から知った私は、怒り狂い神主を見るも無残な姿に作り変え、さらには神主の魂を食い飲み込んだ。故に、今は神主の魂は私の腹の中にある。神に食われるなんて滅多にない経験ができて、神主として本望に違いない。
ちなみに、激しい物音と悲鳴の次に神主のこともあり、この珍事は一時期、凄まじい話題となり「あの神社には化け物が住み着いている」という噂が流れ恐れられた。物珍しさ見たさに集まった人間が後を絶たない程だったが、参拝に来る人数が減ったのはその頃からだ。熱心な信者で願い事を叶えてやった人間もその時期から訪れなくなり酷く寂しい思いをしたし、「恩知らずめ」と憤ったこともあった。「それもこれもお前が全て悪い」私はそう自分の腹に向かって怒鳴ると、数々の魂が恐怖に怯えて震えるのを感じ、ニヤリと含み笑いをしながら、腹をさすると一つの魂を抜き取った。
先ほど殺した鎌鼬の魂だ。
「てめえは何て恐ろしいヤツだ。いくつの魂を食ってきたんだ。てめえは神なんかじゃねえ。妖怪でも鬼でもねえ。ただの化け物だ。おい、何をするやめろ」
私に怯えながらも、罵る言葉を紡ぐ鎌鼬に、笑顔でそっと手をやると、恐怖しながら拒絶の声を出し逃れようと暴れるが、一度食われた魂は食った存在が死なない限り、縛られ続け逃れることはできない。
「そう私は化け物。神になるずっと前からね。それに私が神になることを選んだんじゃない、人間が私を神にしたんだ」
そう言いながら、魂を両手で思い切り引っ張ると、鎌鼬の苦悶の叫びが雀銭神社にこだまする。
魂――それは傷つくことはあっても、決して壊れることのない唯一無二の存在であり、この世の何よりもどす黒く汚いが、どんな宝石より美しく価値のある物である。
神様って怖いですよね。