九尾
帰路の中、天邪鬼が言いかけていた言葉を思い浮かべていた。彼女が実はなんと言いたかったのか。仏教と神道どちら側でもない鬼がこの機に乗じて地位を狙っていることくらい想像はできる。天邪鬼にその気がなくても巻き込まれている可能性は否定できない。そうすると、厄介な存在が天野原読のような鬼であると同時に神格を持つものがどちら側につくかという部分だ。読は私に忠誠の証として心臓を捧げたところを見れば、神の側につくと思うが鬼という存在が一筋縄ではいかないと考えると読の動向も気にしていなくてはいけない。
ここまで考えてから、私は深い溜息をついた。私は戦略という部分についてはあまり得意ではなく、古くは天邪鬼が戦略面で大いに役立っていたことを思い出す。
しかし、今回は状況が状況なだけに天邪鬼の助力を得ることは避けるべきだし、そうでないとこちらの動向が筒抜けになってしまう。いや、本気になった天邪鬼の底知れぬ情報収集力ならば、どこで何をしていようが知られてしまうのではないか。ならば、いっその事、側に置いた方が良いのではないか。
「くそ、考えても分からん」
私はそう吐き捨てるように一人でつぶやいた。ただ、私はのんびりと暮らせていれば現状満足だというのに、平穏の何が悪いと言うのだろう。そんなことを考えていると、何だかモヤモヤと気持ちが濁り黒くなる感覚が押し寄せてくる。
もっと、強くならなければ何かを守ることも取り戻すこともできない。どうすれば強くなれる。今更、地道に修練をしている暇があるのか。
――お前の強さは残酷さから来るものだ。
雀女丸と退治した時、口にした言葉がふと頭を過ぎった。平穏のために残酷になる必要があるというのだろうか。だとしても、それは戦いを助長させることになりかねないのではないか。
私だけの考えでは限界がある。だが、助言者も理解者もいない今となっては、自分自身で答えを決め行動するしか無いのだ。
拳を握りしめ物の怪の集落と現世を繋ぐ亀裂をくぐり抜けた。
現世へ姿を表した瞬間だった。小さく少女の悲鳴に驚き声のした方へ目をやるが姿は見えない。まさか、人間に見られたか。いや、人間には見えないよう姿を消しているのだから、見られるはずがないのだが、ひょっとしたら、『見える』人間の可能性もある。そうなると、私が突然現れたかのように映ってしまうだろう。それに周りを見渡すと出口は街の路地裏に繋がっていたようで、これで遭遇したとなると、かなり運が悪いことだ。
とはいえ、ひょっとすると、先程の声は気のせいかもしれないと、やや楽観的なことを思いつつも、念のため気を辿りながら近くに誰かが潜んでいないかを確認する。
すると、近くに微かな妖気を察知した。――この妖気どこかで。
その答えはすぐに出た。天邪鬼に食われそうになっていた妖怪、小田原灯だ。見つからないように気を抑え隠れているのが、分かるほどに小さく感じる存在へと私は向かった。
どうやら積み上げられたダンボールの影に隠れているようだ。少々意地悪な笑みを浮かべ、ここは一つ驚かせてやろうと思い立ち足音を消してゆっくり近づいて、「わっ」と短く声をあげると、灯は予想以上に面白い反応を示した。
「誰ですか。何ですか。私を食べても美味しくありませんよ」
と彼女は必死に大きな声で叫びながら、背中に吊るしてあった提灯を手に取って振り回し積み上げられていたダンボールを崩していく。
あの提灯は取り外しが可能だったのか。と変なところに感心してしまっていたが、流石に可哀想だと思い、落ち着くよう灯の肩に手をやりなだめようとすると、いっそう激しく暴れだした。
「灯、落ち着け。私だ雀神だ」
肩を揺すり、強い口調で諭すように言うと、落ち着いたのか灯は暴れるのをやめた。私はホッとして、どうしてこんな場所にいるのか聞こうと口を動かそうとする前に「やっぱり雀神、お前生きてたか」と灯が喋りだした。
こいつ――灯じゃない。妖気は灯のものだったが、良く気を巡らせると別の妖気が混じっていることに気がついた。恐らく灯は何かに取り憑かれている。
すぐさま、灯の姿をした別のモノから距離を取る。
「お前何者だ」
「今から死ぬヤツに答える程の名じゃないさ」
「……そうか、当然と言えば当然だろうが、答える気はないのなら、少し痛い目に合ってもらおうか。これの試し斬りができるし丁度良い」
そう言いながら金剛鉄で作られた刀を鞘から抜き構える。
「こいつがどうなっても良いってのか」
ニセの灯が焦った口調で声を上ずらせる。その反応に私はニヤリと口の端を持ち上げた。
「灯の心配をするなんて優しいヤツだな。でも、自分の心配をした方が長生きできるぞ」
言い終えると同時にニセの灯に飛びかかるようにして刀を振り下ろした。
灯に当たるかどうかというところで、振り下ろした刃を止めると灯は力が抜けたように倒れ込んだ。どうやら灯と共倒れというのはヤツの望むところでは無かったようで、彼女の中から逃げ出す妖気が横目をかすめた。
妖気を追って目をやると、そこには異様な妖気を放つ茶褐色の九本の尻尾を生やし鋭い爪と牙、そして好戦的な目つきの狐の姿があった。こいつはどうやら、かなり厄介な相手と出くわしたようだ。こんなところに、なぜ九尾がいるのだ。
今度は逆に焦っている私とは打って変わって、ヤツは苛立たしげに舌打ちをしつつも、どこか楽しげに、
「元からそいつを斬る気は無かったのか……。だが、お前の殺気は本物だった。今回はお前が生きているかどうかの調査ということだったが気が変わった。俺が神とやり合えるかどうか試して見たいとも思ってたからよぉ」
これは不味い状況かもしれない。神の領域に近い邪悪な妖怪と何の策もなく対峙することになるとは思ってもいなかった。いや、それは相手も同じか。ここは相手の出方を窺うより、反撃の隙を与えずに一気に畳み掛ける方が得策だろうか。
「何やら、いろいろと考えているようだが、そっちが来ないなら今度はこっちから行かせてもらうぜ」
しまった――先手を取られたか。牙を首元へ向けて突っ込んでくる九尾の攻撃を防ごうと刀を横にするが、それを察知するとすぐさま転身し回り込もうとしてくるが、それに私も負けじと合わせる。
私は「くそ」と心の中で悪態をついた。獣型の妖怪との戦いは苦手だ。鎌鼬の場合は元より大した妖怪ではなかったから、なんとかなったが九尾ほどにもなると立ち回りが難しい事この上ない。
「どうした、神と言ってもこんなものか」
完全に舐められている。先手を取られたからといって、防御に徹することもない。どちらにしても、あの力の使い方に慣れておかなければならないのなら、使ってしまえ。
私は瞬間移動を使い後ろへと回り込み透かさず斬りかかった。しかし、私の予想に反し九尾はひらりと身を翻し躱される。
「そういうこともできるのか」
面白そうに九尾は笑うが、私はかすりもせずに空を切った刀をしばし見つめ動きが止まる。完全に読まれているのか。いや、違う。私の動きが鈍いのだ。物の怪の集落が近すぎて妖気にアテられ体が重いのだ。そんな私とは違い妖気が漂うこの場所は九尾にとっては絶好の狩場とも言える。これは避けた方が良い戦いだろう……。
「……九尾、お前は何のために私を探して、何のために戦っているんだ」
「さっきも言ったが、答える気はない」
「なら、私はお前とわざわざ危うい戦いをする理由もないな。ここは退かせてもらうぞ」
瞬間、九尾は灯を人質にしようと動くが、半歩ほど私の方が早く灯の前へ立ちはだかる。追いつかないことを悟ると、動きを変え純粋な殺意で尖鋭な牙で噛みつきに掛かるが、その単純すぎる攻撃は容易に刀で受け止めることができた。
九尾は恨めしそうに唸り声を上げ食い下がるが、腕に気を集中させ思い切り力づくで九尾を振り払いった。その隙きに灯を抱え、結界で護られている神社へと瞬間移動で逃げ込んだ。
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