第三十三回 描写と表現のスタイル
ピクシブで発見したんですが、作者の表現スタイルってのがあります。
某氏、C氏としましょう。彼と意見を戦わせてお互い気付いた感じなんですが、表現法が正反対だったんですね。
おそらく、わたしが長編から来たヒトで、彼が短編から来たヒトだからでしょう。
わたしはあらゆる方向へベクトルを向け、ストーリーの中で方向を整え、最終は同じ方向へ向けて終わらせるのですが、彼は最初から、一つの方向だけを厳選して書くのですね。ブレないように。余計な情報を排し、シャープにする。
わたしは逆です。雑多に詰め込んだ中から浮上させます。読者が迷う事も織り込みで。
短編だと、もちろん彼の手法の方がいいに決まってます。わたしのやり方は、たいてい文字数オーバーか説得不足、尻切れトンボになってしまいますから。文字数をふんだんに使えてこその技法です。
正確に伝えることを目指す意図と、むしろ雑多にして隠そうとする意図とでは、書かれる文面も違ってきます。隠すことが目的のわたしの文は、シンプルにあるがままを書いたと見せても整理された情報はありません。伝えることが目的の彼の文は、透明でなにより明確であり、情報に無駄がありません。(わたしの文は、一文では解かりませんが重ねると濁ります)
●解釈が分かれることのないよう正確に順序良く描きだし、読者に迷いを与えないようにする文体。
●勢いと熱気で他を一旦無視するように仕向けておいて、よくよく思い出すと解釈が別にもあると気付くような文体。
……裏のテーマにまで気付いてくれる読者ばかりじゃないのは、よーく解かっていますがね。(ニヤリ
描写にも二種類があるようです。写実と印象とでもしましょう。
写実は、頭の中に絵を描いて、それを的確に説明します。見えるモノを見えるままに描写します。
印象は、同じ絵を、見る人のイメージを通してから描写します。人伝手で聞く感じになります。フィルターがかかり、実像通りではなく、強調されていたり、飾られています。それだけに描写がマズければ、何も伝わりません。
『例文』
●写実:青く澄み渡る空には雲一つなく、鳶が一羽、はるか上空で旋回している。
●印象:透明な青の空には染みの一点すらなく、黒い影がただ一つ、孤高に舞い踊っている。
うん、まぁ、印象描写苦手だから勘弁してくださいって感じですが。(笑
印象描写を使えば、上記のように(例題が悪くて伝わらないかもですが)、空気感を狙った形に描き出すことが出来ます。逆に写実描写は硬質であり、これを印象描写で左右することは出来ません。一定の空気になります。冷たいリアル、とでも言いますか。そっけなくなります。
たいてい、二つの描写を混ぜて使っているはずです。どっちが主になるかのタイプ別ってのはありますが。
で、先に述べた、スタンスがあります。
これも、どっち寄りかの問題と見ますが、イメージが正確に伝わることを目指すスタンスか、ギミック優先でイメージが伝わることは二の次か。
読者に与える情報を、必要なものだけにするのか、雑多に詰め込んで良しとするか。
例えば、小説ってのは「描写」「説明」「会話」で成り立っている、という解説書があります。
で、早とちりな人は、”説明ばかりの小説は良くない”とか思ってしまいます。
小説の目的はなんですか?
読者を引き込み、最後まで読んでもらうことが究極でしょう。美しい文章とか、記憶に残すとか、感銘を与えるとか、そういうのは後付けとか欲張りとかいうものです。書かれた内容を最後まで読んでもらうことが目的です。その為の工夫、という域から出ることなどないんです。
説明ばかりの小説は良くないんじゃなく、飽きられる可能性が高いってだけです。美術的観点で何点かとかは、誰が基準を決めたというのか。そういう観点を持たずに書かれた作品まで、その観点で評価することの愚です。
特に、写実と印象の違いが解かったなら、どっちを主眼に置いているかは、その作者のスタンスに密接に関係するかも知れません。すると、片方の評価基準でもう片方の評価は下せなくなるのです。
写実が主体の作品は、単調で説明臭いものになる危険があります。そうなっていたら、注意すべき。
印象が主体の作品は、文章量の割にさっぱり絵が浮かばない危険があります。そうなってたら注意する。
評価のポイントは、想像で場面の絵が浮かび、スムーズに動いているかどうか、です。続きを読むに苦痛でないか、なのです。描写だけで構成された作品でも、説明だけの作品でも、もちろん会話だけの作品でも、それをマイナス要素に数えるべきじゃない。その構成が、どういう結果を生んでいるかが評価のポイントのはずです。
小説の書き方そのものには、マニュアルなどありません。そういう観点で評価を下すということは、すなわち、マニュアル通りでないから減点するということなんです。




