第二十二回 世界観のマズい出し方
前回、ファンタジーと銘打ったなら中世ヨーロッパを基準にし、情景描写を先頭に持ってくる必要性を失くせと言いましたね。
これについてもっと言うなら、冒頭部分の場面を、限定したシチュエーションにすれば良いという事です。
場面から始まるのがベスト。
街の遠景から始めたりするのは、これは視覚情報の媒体です。
ドラゴンボールで、最初にナメック星の風景を描きだしてあるようなモンですね。絵なら一コマです。
小説なら、具体的には、国の成り立ちから始めたり、登場人物の生い立ちを紹介したり、です。
VRMMOを素材に作品を書いた時に、この罠に嫌と言う程引っ掛かりました。(笑
読者に舞台を想像してもらう為に、まずはバーチャルリアリティのシステムと時代背景、それに成立の歴史なんかをくどくどと説明したんですね。
視覚情報ならばそれこそ一コマ程度の背景絵を描き出すために、そうしなければならなかったんです。
VRMMOというジャンルですよと了承を得るために説明しようとしたわけです。
単純に、舞台がゲーム世界であるというたったそれだけの事の為に冒頭部分何ページも費やしたんです。
解からない読者には解説しないと通じないと思ったんですね。
作者としては、舞台を理解してもらい、想像してもらわない事には始まらないと思っています。
しかし、ここに読者との乖離がある。
メタ、という要素ですね。
特になろうで発表する限りにおいては、VRMMOのシステムやら何やら、まるきり説明不要だったんです。
これを『超★蛇足!』と言います。(笑
読者層というものの概念がどうして必要かという事に関わってきます。
つまり、解からない読者は最初から切り捨ててかからねば際限がない、という事なんです。
徐々に解からせればいい、と理想論を述べる人もいるでしょう。そうじゃないんですね、メタである以上、そのくどくどしい解説は、どこへ入れても蛇足なんです。ターゲット層にとっては蛇足でしかなく、それ以外には必要な解説です。だから、切り捨てが生まれたのです。
他の作品でそういう説明らしき文章があったとしても、それは説明の為の説明文ではないんです。
雰囲気作りのための文章なんです。
魔法世界の、魔法についての解説文にしたって、多くは単なる雰囲気作りです。
雰囲気的にちょっと難解そうな空気が作りたいだけなんで、それが成功していれば細かい所でどうだろうが、それこそどうだっていいです。それを読者も納得しており、つまり、メタなのです。
メタであると理解出来ない読者が時々文句垂れていたりはしますが。(笑
こういったメタを駆使して世界観が語られていたりするので、それがメタだと見抜けない人が作品にくどくどしい解説を長々とぶってしまう、という事なわけですね。
雰囲気作りの為の説明文というものは、テキトーなものです。読んでいて気分がいい、けれどよくよく考えると辻褄が合わなかったり、おかしな理論だったり、解説不足だったり……。そして何より、邪魔にならない程度に、さらりと流してあることがほとんどです。理解される事が目的の文章じゃないんです。
本来、読者にその世界を説明するってのは、全編、物語の進行のうちに徐々に明らかにしていくものであるからです。なので、解説が必須となる特殊な世界観から物語を始めるのは大変なんです。
読者の気を引く異様な舞台でもない限り、読者は背景画の解説など読みたくない。人物の後ろにちょこっと覗いている風景の説明を、人物を押し退けて先にやる必要はないという事です。
ゲーム世界は特殊な世界観でありますが、読者にはリアルなネットゲームなどでもはやお馴染みの世界。
今さら興味を惹くような舞台設定なんかじゃない。
これを忘れていると、取扱説明書になってしまい、小説ではなくなってしまう、読者がパタンする、という事に繋がるのです。
さて、前回「冒頭部分の留意点」を「一行目の注意」とするなら、今回は「二行目からページ半分まで」です。序盤をパーツに分けて、「一行目」「二行目からページ半分まで」という分け方です。
ちなみに、そこからは細かく分ける必要なんかありません。(笑
二行目からのパーツには何を持ってくるか、そこはお考えください。
膨大なパターンがあるので、挙げてられません。
やっちゃいけない事だけ書いてみました。
蛇足:
自己解決していることが前提となっているジャンルです。
説明を求めず、自分なりに知ったようなフリをしておくことが約束です。
ファンタジーにおける魔法体系だの発生メカニズムだのも、これに相当します。




