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第十八回 三人称、地の文の視点

 地の文、特にストーリーと直接関係のない情景描写などは、ヘタすりゃごっそりと読み飛ばします。

 イラッとするんですよ、そんなのが大量にあると途中でパタン、です。

 でも、同じ情景描写でも思わずどっぷりと浸かりこんでしまう時もあります。

 その違いってなんでしょう?


 小説の冒頭部分ってのは大事です。

 読者はここを読んで、自身に合う小説か否かを決めてしまうからです。逆に言えば、ここに置くものによって、読者の篩い分けをしてしまうわけでもあります。

 私の作品、『情景描写好きに捧げるファンタジー』では、最初のページにセリフは一つしかありません。

 もし読み飛ばしたとして、次のページへ移ってもまたまた大量の情景描写が現れます。題名で注意してるでしょ、情景描写好きがターゲットだよ、という訳です。


 ところで、一人称において情景描写をする時には主人公目線で書かなきゃいけない、なんて基礎の基礎を、よもや知らないなんて人は居ませんよね?

 日が照っているという描写、これを主人公でなく、書いている作者の目線にしてしまっている作品がチラホラありますよ。アホの子が主人公なのに、頭の良い描写で物事を説明しているような場面も。

 アホの子のレベルに地の文を合わせなくて、どうして一人称と言えるのでしょう~!(オペラ調)


 これを解消するには、一人称を一元視点三人称にする以外の方法がないのです。

 ただし、三人称にしたから全てオッケーというわけにはいきません。世界観の統一という問題があります。

 例えば現実のこの世界だって、人によって見方ってのは様々に変わります。悲観的な人は悲観的な見方をしていますし、楽観的な人は楽観視しているでしょう。

 三人称でも主眼となる人物が必ずあり、情景描写もその主眼人物の価値観というフィルターを通した見方がなされねばならないという事です。

 "誰の、物語なのか?"

 常に自問自答で、主眼がブレないように注意して書いてください。

 戦記物など、この『主眼』が複数の時には情緒たっぷりの象徴派の文章だとおかしくなるって事の原因でもあります。シンプルに、感情を排した誰にも寄らない神視点で書かれることが多いのです。

 そこでは価値観そのものが希薄です。誰の視線かが解からないように、わざとそうしてあるのです。

 希薄な価値観の濃度、これを調整して人物の登場ごとに視点をスムーズに切り替える、という事です。


 戦いの最中ですから、登場人物のほとんどが殺伐とした思考になっていても不思議じゃありません。そんな中で能天気なのとかアホの子とかを、一刻主眼に置くことの難しさといったら!

 重要なファクターでもない限り、特殊な価値観の人材に主眼を任せるべきではありません、て話。


 そうそう、最初の、「違いってなんでしょう?」というフザけた質問の回答ですが、主眼人物のモノの観方などが地の文や情景描写に関与する、つまり人物紹介になっているから、読んでて引き込まれる事もあるってことです。魅力的な人物の主眼であるならね。

 作品最初の地の文ってのは、リンクした関係にあります。

 作者=主眼人物=作品世界のテーマ=作者の世界観です。哲学が透けて見えるのです。

 サザンの楽曲じゃないですが、人間なんてのは多面体ですんでそれがスベテってわけじゃないですが。


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