第十七回 文章のルール
そもそも、日本語ってのは縦書きの言語ですよ?
それをこうして横書きにしても、今じゃ文句言う人のほうが珍しいでしょう。
文法だの作法だの、特に細かな小説のルールってのは、守らなくていいです。
面白いと言われている作家で、そんなものを大事にしている人なんていませんよ。
前回も言いましたが、ビジネス文書じゃないんだから、万人に理解されるようになんて所を目指すべきじゃありません。付いてこれる奴だけ付いてこい、これを基本に、出来れば付いてこれる人数が増えるように妥協点を探る、それが正しい姿勢です。己のコダワリは貫きましょう。
ところで、私は小説を読むのが好きではありません。
小説を読むのが嫌いだと言うと、そんなんでも小説を書いているという事で思うところもあるでしょう。けれど、「読みたくない、」というのと「読んでない、」というのでは意味が違いますからね。
読みたくないという事は、それだけ小説のえり好みが激しく、注文が多いからです。
それだけ、嫌な文章と感じるところが強いんです。なぜ嫌なのかを分析すれば、避けるべき点が見えます。
これは、なんでも好き、なんでも読むという悪食の読者よりも有利だと思っています。
よく、同じ単語を重複させるのはよくない、だとか、くどくなるから同じ意味の文章を何度も出さなくていい、と言われますね。批評などでもよく目にする注意点です。
けれど、実際に自分が他人の作品を読む時のことを思い出してみると、大概の文章を「読み流して」いるんですよ。軽く流すだけで、ちゃんと読みこんでいない。注視するのは、やはりそれ相応の書き方をされている文章だけです。
文豪の作品などは、テンポがゆっくりしていますから、じっくり読もうという気になります。文学作品というものは、大概、テンポがスローなので一言一句をじっくりと味わおうという気になりますね。
けれど、エンターテイメントはもっとスピーディーですし、そも味わって読むほど、一文一文が深い文章ってわけじゃないでしょう?
そうしたら、自然とやり方も変えねばならないはずです。
読み流されてしまう事を想定して、「大事なことなので二度言いました」は必要ですし、繰り返しも有効です。何度も何度も読み直し、噛みしめてもらえるような作品だけですよ、単語の重複はいけないだの、くどくなるだのの心配をするのは。
それよりも、エンターテイメントジャンルで必要な注意は、メタの許容範囲と読者層の絞り込みです。




