第十六回 読みやすい文章=良い文章か?
読みやすさを追求すると、いい文章になるでしょうか。
答えはNO。
ビジネス文書というものになってしまうだけです。
解かりやすい、おそらくは万人に理解される良い文章というものは、それは小説の文章じゃないです。
正しい文法に、的確な表現、誰が読んでも誤解を与えないような……。
優等生の文章というのは、個性がまるでなく、マニュアルのように味気ないものですが、読み手や批評者が気付かない事が多いようでして。
料理の格言に、『灰汁も味のうち』というものがありまして、小説にも同じことが言えます。
雑味は、深いコクの元でもあるということです。
せっかくの個性的な文章を、シロウトの批評がマニュアル通りのビジネス文書に変えてしまうという事が起きました。確かに誰が読んでも誤解のない、解釈の間違えが起きにくい文章にはなったんですけどね。
だけど、作品の空気は台無しになりました。絶賛した作品だったんですが……。
それはホラーの短編でした。ところどころで辻褄の合わない表現や文章の齟齬があるという、一人称の作品でして、そのちぐはぐさとか矛盾が、逆に異常性を表わしていて思わずニヤリとさせられたんです。
ところが複数の批評で、何通りかの読み取り方が出来てしまう、という指摘が入りました。で、それを直したついでに、内容をもっと解かりやすいように整理をされたのですね。
もちろん、私はボロクソにそれを批判しました。付いてこれない読者など斬り捨てていいんだ、とね。
(向こうの人たちがこれ読んでたらどうしよう、ヒヤヒヤ)
小説というのは、作者と読者の双方向のコミュニケーションなんです。
作者は読者が理解出来るかどうかを考えながら文章を練る。
けれど、読者だって書かれた内容をひも解く努力をしなきゃいけないんです。
作者はわざとミスリードを誘ったり、迂回させたり、時には黙っていたりします。
読者は作者の意図を推理しながら読むものです。文章の行間を読むと言いますね。
推測しながら読むのですから、読み手によって意見が違ってきたりするのは当たり前なんです、ホントは。
どっちの推理が正しいのか? それをはっきり答えてもらえないことも、醍醐味です。
読みやすい文章、的確な文章というものは、読者が楽に読めるようにしてくれという要求を、最優先した文章のことです。ビジネスならば、全員に理解されねばなりませんからそれは当然の要求でしょう。
けれど、小説は、読者の方が理解する努力をすべきジャンルです。
そんな要求を優先して、他の要素が犠牲になるほど馬鹿らしいことはありません。
歌謡曲を思い浮かべてみてください。
歌詞だけを思い出してみてください。
ぶつ切りであったり、解釈が分かれたり、そもそも頓珍漢だったりします。
楽曲がつくことで、聞き手はイメージを膨らませるでしょう。
聞く者が勝手に想像するというルールがあるのです。
小説だって同じことです。
いつのまにか、意図の通りに伝わらない文章は悪文、などと決めつけられてしまっただけです。
そんなモンは、意図を読み解けない読者のレベルが低いだけのことです。




