第十回 一人称のルール
まず、一人称というものですが、主人公の独白であると定義してください。
なので、一人称で書く時には、(~~~)という形でわざわざ人物の感情を抜き書きする必要はありません。
地の文=主人公の心情、です。
ついでに言うと、主人公以外の心情は書けないのです。書かれてある心情はとりあえずぜんぶ主人公のもの、というお約束です。
一人称で難しいのは、背景描写です。
なにせ主人公が思っている事をつらつらと書いていくという形態なので、目につく、目立つことくらいしか、普通の人はいちいち認識しないからです。
太陽が出てるか曇ってるか、いちいち外に出るたびに注意して意識しないでしょ、て事です。
見慣れた天井だ、の何がおかしいのかと言えば、一人称の場合、語り手=主人公は見慣れたものなど注視しない、という点でおかしいのです。
見慣れた天井などというあまりにゾンザイな文章が悪いんじゃないです。こと細かに描写しようとも、見慣れているものを描写したことそのものがパラドックスを生んでいるのです。(*1)
誰かと話していても、その人がよほど目立つ顔でもしてない限り、印象にも残らない。いえ、目立つ顔でも「見慣れていれば」いちいち改めてしげしげと見るような特殊な場面でもない限りは、頭にないはずです。
だから、極論で言えば、一人称においては描写や形容は一切書かなくてもいいです。
では、どうやって描写するのか? 想像させるのか?
普通の日常生活での一般的なものの感じ方で、そのまま描写するという方法しか取れません。
一人称の目的は、読者に深く感情移入してもらうことなので。基本的には。
もちろん、変化球で違和感をより強く感じてもらうためにあえて一人称、という方法もアリです。
狂人らしさをよりリアルに感じてもらうために一人称で普通じゃない思考を表現する、とか。
街並みだとかの細かい描写を細かく背景描写で書いてしまう一人称なんてのは、下の下です。
そこが初めて訪れる見知らぬ街でもない限り、普通は注視しないからです。
だから、一人称ファンタジーの主人公は多く、異世界から来た異邦人なのです。
そこの住民が見慣れた景色をいちいち細かく考えるわけなどないからです。例え太陽が二つあろうとも。
地下牢に忍び込むシーン、先日読んだ海外ファンタジーでは、シーンが登場した最初には一言、これから地下牢へ向かうから緊張する、と言った事しか書いていませんでした。
石造りの壁に手をつくとひやりと冷たい、だとか、背中をぴたりと壁に付けていたから服が湿ってしまった、だのの捕捉が、途中途中、登場人物の動きの描写に混ざっているだけです。
その牢が苔むした古い石造りなのか、四角くきれいに切り出されたピラミッドみたいな壁なのか、それとも日本の城跡のようなゴツゴツした岩を積み上げた感じなのか、一切書かれてはいません。
蛇足なんです。
そんな部分はいちいち指定しなくてもいい、読者が勝手にお好みで想像すればいいことです。
現代を舞台にする場合などは特に一人称が難しくなります。
見慣れた日常では注視しない事柄が多岐にわたるせいです。
主人公にとっては日常の見慣れた風景、しかし読者には初めて来た場所の見知らぬ建物群です。
視線が、主人公と読者の間で乖離してしまいます。
ちょっとした工夫が必要となります。
主人公が転校生、あるいは新入生なら、読者と同じ「初めての場所」という視点に立てます。
二年生や三年生にする必要があるなら、舞台を普通の学校と想定し、平凡な学校にしておくことです。
そうしたら読者も自分の在籍した学校を想像しますから、要らぬ描写をしなくて済みます。
異世界の、元々の住民の視点で一人称小説を始めることの難しさはもう説明は要らないでしょう。
それよりもっと難しくなるのは、現時点より未来を舞台とした物語での一人称、という事になります。
一人称の最大の注意点は、常に視点(=スコープ)を読者の見識に合わせなくてはいけないことです。
*1
見慣れた天井でも描写していい場合もあります。
そのシーンが、例えば何かの異常事態の後であれば、OKです。
例えば、リアルな悪夢にうなされた後の、目覚めた時の描写など。実際、自身が体験したとして、納得がいくならその場面での「見慣れた天井」の描写は可能なわけです。




