若き組頭
ギシギシと軋む床を出来るだけ音を立てないようにゆっくりと歩く。しかしどれだけ静かに歩いても、少しでも体重がかかると床はすぐに悲鳴をあげてしまう。
長い廊下の突き当たりの襖の向こう、そこに嘉島がいる。なぜ自分が呼ばれたのかはわからないが、鉄平にとって決して良い話ではないだろう。
胸の中で小さく溜め息をもらしながらも襖の前に立つとその瞬間、床がギィッと一際大きな音を立てた。
「鉄平か、入れ」
「……失礼します」
その音で鉄平の存在に気付いた鹿島が、すぐさま部屋に入るように促す。鉄平は短く返事をすると片手で襖を開け座敷にあがり、再び後ろ手で襖を閉めた。
その無作法さに露骨に顔をしかめ、嘉島はゆっくりと、そして不機嫌そうに目を眇める。
「……いつもながら、お前は礼儀というものを知らんな」
「あ…すみません。やり直しますか」
後頭部をわしゃわしゃとかきながら謝罪を述べて踵を返し、座敷の外へ出ようとする鉄平にもういいというようにしかめた顔の横で手を振り
「いいから座れ」
と自分の前を手で示した。
「鉄平、お前自分の組を持ちたくはねぇか?」
鉄平が腰を下ろす様子をじっと見つめ、一息ついてから辺りを警戒するように声を潜めて鹿島が言う。もう七十をとうに越えているが、嘉島にはまだ若々しさがある。腹もさほど出ていないし、髪もまだ十分残っている。そして何よりも、低くドスの聞いた声が嘉島の貫禄をかもしだしていた。
「お前にはまだ早いと思っていたが考えが変わった。何事も経験というからな」
「俺にはまだ無理ですよ、」
伏し目がちに畳を見つめ、口元に薄く笑みを浮かべて小さく首を振る鉄平を見つめ、鹿島は低く声を震わせて笑った。
「なに、儂に大きな態度を取れるんじゃ、問題ないだろう。十分肝が座っとる。おまえには何れ鹿島組を継いで貰うつもりだが、お前はちとこの世界についてまだ知識不足だ。練習のつもりで組を持ってみればいい、それでも断るのか?」
「いえ……分かりました」
穏やかな口調の中にも有無を言わせぬ強い意思を敏感に察知し、鉄平は諦めに似た溜め息と共に頷いた。
「お前が組長になったら、さぞかしお前の両親も喜ぶだろうしな」
側にあった木箱から葉巻を取りだし口に加えながら呟いた嘉島に鉄平は一瞬鋭利な視線を送る。それを見逃さず鹿島はふんと鼻を鳴らして葉巻に火をつけた。
「話はそれだけだ、下がっていいぞ」
「はい……失礼します」
嘉島の言葉に少し間を開けてから返事を返し、鉄平は一礼して部屋を出た。
俺の両親が喜ぶ?
ふざけている。どこからその言葉が出てくる、お前が殺したくせに。お前が。
俺に組を持たせる?
裏切り者の息子に?
老いぼれめが。ついにもうろくしてきたか。
――…裏切り者の息子は所詮裏切り者でしかないんだよ。
長い廊下を歩む足を止め、鉄平は窓の外を見上げた。
灰色に濁った都会の町を、雪が静かに、包みこんでいった。