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雪の降る夜

幼い頃より朋子の主治医をしている佐久間は、毎晩朋子の部屋を訪れる。…少しでも、彼女を一人にしないために。

「あたし、雪って嫌いよ」



1月の半ば、窓の外を静かに舞う雪をぼんやりと見つめながら、少女は唐突にそう呟いた。



その言葉とは裏腹に、少女の表情には嫌悪の色はない。しかしその語勢から、少女の言葉がその通りの意味を持っていることは窺える。




「…どうして嫌いなんだい?」


佐久間はそんな少女の様子に小さく笑い、側にあった丸イスを引いて腰を下ろす。




「…嫌い。ただ嫌いなだけ」


少女は少し戸惑うように言葉を溜め、そして今度ははっきりとした口調で言い切った。



佐久間は股に肘をつき、前屈みになりながら少女を見つめる。



この少女には“美少女”という単語がふさわしい―、と佐久間は思う。少女肩下まで伸びた髪は黒く艶やかで、眉にかかる程度で切り揃えられた前髪の合間からは意思の強い瞳が覗いている。



して時折見せる憂いをおびた表情には、どこかどきりとさせられるものがあった。


40も歳の離れた少女にさすがに恋愛感情などは持たないけれども……女の子の成長は早いというが、これほどのものなのか、と感心させられる程だ。




少女の名前は羽山朋子[ハヤマトモコ]と言い、佐久間の勤務する春日崎大学病院の患者だ。


生まれつき心臓に異常を抱え、幼いころから入退院を繰り返してきた。



そして15歳になった現在も、



病院で入院生活を過ごしていた。



幼いころより佐久間は主治医として朋子の成長を見守ってきた。自分には二人の娘がいるが、佐久間にとっては朋子も自分の娘のような存在だ。

昔から佐久間は毎晩、就寝時間になる前には必ず朋子の病室へと足を運ぶ。そして、わずかな時間をたわいもない話をして共に過ごすのだ。



「雪が降ると一気に寒くなるからね」

それに帰りは車の運転が大変だ、と付け加えて苦笑する佐久間を見つめながら、朋子は不思議そうに首を傾げる。



「どうして雪だと大変なの?」

「ん?雪があるとね、車がスリップ……滑りやすくなるんだ、だから事故が起こりやすい。気を付けないと」

「ふぅん、」




佐久間の答えに、朋子は大きく首を縦に振って頷く。もっと掘り下げて問を掛けてくるかとも思ったが、予想に反して朋子はそれ以上の質問をすることはなかった。




「ねぇ、せんせ?」

「ん?」

「外、どれくらい積もってる? 今朝からずぅっと降ってたから結構積もってるでしょう?」

「どれ、見てみようか」


膝に乗せた掌に力をいれ声を出しながら腰あげると、朋子は先生年ねと言って笑った。




「うん、結構積もってるね」

「どのくらい?」

「かなり。朋子ちゃんひとり埋まっちゃうかも」

「ほんとに?」

「うそ。本当は20センチくらい」

「先生のうそつきー」




からかう調子で言うと口を尖らせて不満をもらすが、すぐさま楽しそうにけらけらと笑い声をあげる。

そんな朋子の様子に佐久間もまた、顔を緩める。



しかし窓の外に視線を向け、病院の出入口に誰かが立っているのが見えると佐久間は不思議そうに眉を上げ、おや、と思った。




朋子の病室は3階だ。

ここからではその人物のさしている傘しか見えないが、もう随分長いことそこにいるのだろう。本来の傘の色が解らぬほど、上に雪が覆っている。




誰かの見舞いだろうか。




佐久間は自分の腕時計に目をやった。――8時半を少し回った所だ。




面会時間はとうに過ぎているが、その人物はまるで立ち去る気配はない。




そろそろ朋子を休ませた方が良い。彼女の体は弱いから。そして――…、夜の見舞い客を院内へ入れてあげよう。外は寒いだろうから。




「朋子ちゃん、もうそろそろ行くね」

「うん」




一瞬少女の瞳が寂しげに揺れた気がしたが、それは本当に一瞬で、すぐに真っ直ぐに前から佐久間を見据えて相槌をうつ。




「…先生?」

病室を出る間際、突然朋子が呼び止める。




「ん? なんだい?」

「明日は…、晴れるかな?」

「うーん…晴れるといいね」

「うん…またねせんせ」




そう言って小さく手を振る。佐久間は部屋を出てから後ろ手でドアを締めると大きく溜め息をついて目をつむった。






彼女は強い。

いや、強くいなければいないと思っている。


今まで一度も、佐久間は彼女の涙を見たことはない。薬による治療や、痛みを伴う度重なる手術にも、一度足りとも弱音をはいたりしないのだ。




たった15歳。



まだまだ人に甘え、人に頼って生きてもいい年頃だ。


けれども少女は、

人に甘える術を知らない。



きっとさっきも、佐久間を引き留めたかったに違いない。




行かないでほしい、側にいてほしい、



朋子がその言葉を口にしたなら、佐久間は自分の研究など放って、一晩中朋子の手を握り、話しをしてやりたい。一晩中抱き締めてやりたい。




しばらくして、部屋の中から聞こえてきた声に佐久間は辛そうに眉を寄せ、部屋を後にした。






――研究をしろ、佐久間。

お前に出来ることは、病気の治療法を探しだし、彼女を救うことだけだ。




そのためには、一刻も早く。



残された時間は残り少ないのだから。






少女を、救うのだ。




佐久間が去ったあと、廊下には誰かの鳴咽が洩れ……、

随分と長いこと、治まることはなかった。

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