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壁の花と静かな求婚

作者: トゼ犬太
掲載日:2026/05/03

「……相変わらず見栄ばかりね、此処は」

「ああ、全くもって同感だ」


 結婚の適齢期を過ぎて三十五歳にもなると、行き遅れのレッテルが貼られて、腫物扱いを受けるようになっていた。定期的に開かれる社交パーティーでは、壁の花扱いが当たり前だった。若い令嬢たちのように、誰かに声を掛けられることもない。

 嘲笑混じりの視線は、いつだって見世物小屋に向けるものと変わらなかった。


「結婚もせず、女としての役割も果たさずに一体何を考えているのかしら」

「キリシャ侯爵家も、あんなお荷物を抱えて可哀そうにな」


 見定める価値も無くなり、腫物としての嘲笑。

 棘となって肌を刺すそれは、決して居心地が良いものではない。それだけに、ただの独り言を拾われるとは思いもしなかった。

 名立たる貴族に加え、王族も多く出入りする社交パーティーの片隅。音楽隊よる優雅な演奏や着飾った貴族たちの談笑を遮る事は許されない。驚きのあまりに出かけた声を留めて視線だけそちらへと向けると、恰幅の良い男がワイングラスを掲げた。


「今晩は、グレイス嬢」

「ダグラス様……驚かせないでくださいよ」

「はは、私で良かったではないか。王族に聞かれていたら打ち首だ」


 そこに立っていたのは、辺境の地・ジルビアの領主を務めるダグラス・ジルビアであった。ロマンスグレーの髪を後ろへ流し、深い紺色の礼装を隙無く着こなしている。肩には領主を示す銀糸の刺繍が施されており、華美ではないというのに妙に目を引く男だった。

 その一方で、打ち首という言葉にヒヤリと首元が冷える。息が詰まる感覚を覚えて、首に手を添えると、彼は意外そうな顔で瞬いた。


「なんだ、怖いのか? まわりの噂を気にも留めない君が?」


 ──気にも留めない? まさか。

 ただ私は、気にも留めない振りをしているだけだ。


「噂と命を一緒にしないでください。……それよりも、先ほどの失言は忘れていただけると嬉しいのですが」

「そうだな、私も友人を失くすのは惜しい。忘れることにしよう」


 笑い混じりの軽口。口角を吊り上げての笑いという観点では、先ほどみたものと同一なのに、感じ方がまるで違う。茶化すような意図はあっても、悪意の無い笑いには棘が無いのだ。

 それでいて言葉尻は柔らかく、彼が息を漏らすように笑うと辺り一帯にあった空気が朗らかなものへと代わる。

 ──あ、目尻に、深い皺がある。長い年月を生きてきた者特有の、柔らかな皺だった。

 それに気付いたとき、何故だか無意識下に張りつめていた糸が緩んだような気がした。


「もう……いつもそうやって揶揄うんですから」


 小さく息を吐き、ワイングラスに口をつける。

 口に含んだ瞬間に広がったのは、芳醇な香りと、軽やかながらも深みのある味わい。流石は王族が絡んだ社交パーティーだ。良い葡萄酒を仕入れている。──僅かに残る甘味を考えるとブルーニャ地方の葡萄酒かしら。舌鼓を打ち、手首を回すようにスワリングして香りを立たせると、一つの矛盾に気が付いた。


「……待ってください、私の発言で打ち首というのなら、同感だと言ったダグラス様も同じでは?」


 沈黙。

 数秒の間を開けて、彼は白々しく笑った。


「ははは」

「……ダグラス様……」


 ああ、もう。この人はいつもそうだ。程よい距離感で、いつも壁の花になった私に水を与えてくれる。それが気紛れなのか、誰に対してもそうなのか。それ以上の誘いを受けたことがない私には知る由もない。

 彼はひとしきり肩を揺らして笑ったあと、葡萄酒の香りを場に馴染ませるよう緩くスワリングをしていた。タンニンを多く含んだ葡萄酒を、空気に触れさせることで味わいを柔らかくするためだろうか。……いや、というよりも単なる手持無沙汰の手遊びに見える。


 遠くのシャンデリアが、このひと時を彩るように、眩く輝いている。視線を向けるダグラス様は、眩しそうに瞳を細めながら言った。


「だが、同感だと言ったのは嘘ではないぞ」

「え?」

「君も知ってのとおり、貴族社会では家が重要視されるからな。体面や見栄を守るための品定めが当たり前になったこの場所で、呆れるのも無理もない」


 視線の先で、私よりも年上の男たちが若い女に声を掛けている。


「品定めが当たり前……、確かに、そうですね」

「だが──私は形だけを整えた夫婦というものが嫌いでね」


 ダグラス・ジルビア。

 同じく適齢期を過ぎても独り身である彼は、どこか淡々としていた。


「嫌いって、どういうことですか?」

「貴族は家のために結婚するだろう? 跡継ぎを作り、体面を保ち、必要なら愛人でも囲えばいい。……そういう生き方を否定するつもりはないさ。実際、それで回っている家もある」


 穏やかな声だった。

 だからこそ、次の言葉がやけに耳に残る。


「だが、私は嫌だ」


 揺れていたグラスが止まる。

 ちょうどその時、広間の奥で弦楽器の音色が変わった。ゆったりと流れていた旋律は軽快なものへと移り、中央では若い貴族たちが笑いながらステップを踏み始める。


「じゃあ、貴方が求めるものって一体なんなんですか?」


 眩いシャンデリアの下。飾り立てた男女が笑い合うその光景を眺めながら、ダグラス様は静かにワインを傾けた。


「同じ屋根の下で暮らす相手なら、せめて言葉くらい交わせる相手がいい。食事をしていて苦にならず、沈黙が痛くない相手がいい。……尊敬できる相手が良いんだ」


 まるで政略結婚を嫌がり、恋愛結婚を望む少女のようだと思った。

 それこそ、体面を重要視する貴族的な考えではない。貴族のなかには恋愛結婚を望み、それを果たした者もいる。しかし、それは運よく条件が揃っただけの、幸運な一例に過ぎない。

 妥協を知らず、自分の体面ばかりを気にしている貴族とは違う。彼の眼差しは真っ直ぐで、誠実さの奥には余裕が灯っている。


「……意外、ですね」


 呟くと、彼はまた目尻に皺を作りながら微笑んだ。


「そうか? よく自分の事しか考えていないと言われたものだが」


 広間には絶えず笑い声が満ちている。けれど、そのどれよりも、今この場所で交わされる会話の方に意識が向いてしまう。

 ──不意に、耳へ飛び込んできた高らかな笑い声に、現実へ引き戻された。

 煌びやかなシャンデリアの下では、若い令嬢たちが楽しげに踊っていた。


「ですが、実際の問題として家督の継承問題はありますよね?」


 家柄。若さ。跡継ぎ。貴族の間では、それら全てが価値として扱われる。

 そして、彼も否定はしなかった。


「そうだな。君も知ってのとおり、貴族社会は家の存続が重要視される」

「だったら、結婚をすることが当然の務めなのでは?」


 言いながら、虚しさを感じた。それを嫌というほど聞いたはずなのに、私は全く同じことを口にしている。周りの噂を気にも留めないなんて嘘だ。こうやって、今もなお古臭い考えに縛られ続けている。

 ダグラス様は不躾な質問にも不快感を示さず、寧ろ見透かしたように笑った。


「ははは、それを貴女が言うのか」

「……幸いなことに私には兄がおりましたから。もう、二人も甥っ子がいる身です」


 きっと兄がいなければ、もっと私の親や親族は結婚を進めていたと思う。

 それこそ、私に結婚をしないなんて選択肢は与えられなかったはずだ。


「それじゃあ、君は何故その当然の務めを果たさないんだ」


 鋭い指摘に、喉の奥が引きつる。


「それは……、……誰にも、選ばれませんでしたので」

「いいや、嘘だな。君はキリシャ侯爵家の令嬢だ。引く手あまただったんじゃないか」


 確かに、若い頃は引く手あまただったと思う。見合いだけではなく、交際を申し出る話もあったし。社交パーティに出れば、囲まれて声を掛けられる事もあった。あの中央で声を掛けられる令嬢たちと私は、確かに変わらなかったのだ。


「……確かに、否定はしません」


 しかし、彼らが欲していたのは私ではない。キリシャ侯爵家の持参金と、若く健康な女だった。

 事実、「若いうちに子供を産んでほしい」と迫られる事も少なくはなかった。


「否定はしませんが……」


 それでも行き遅れてしまった。

 そのせいで、壁の花だと揶揄されている。


「……私には、仕事を続けたかったんです」


 代々キリシャ家が営む商会は、王都の流通を担うほどの規模を誇っている。幼い頃から帳簿を覗き込み、商品を覚え、人の流れを学んできた。自ら立ち上げた事業も、軌道に乗り始めている。

 それは確かに、私の誇りだった。

 だが──


「……でも、見合い相手の方々は、私を見てはくれませんでした」

「侯爵家の娘であること。若く、健康な女であること。皆が見ていたのはそればかりで……私が注力してきたものたちを軽視していました」


 “若いうちに子を産んで欲しい”


 そう言われる度に、まるで私の努力は意味もないものだと、そう言われているようだった。


「そんな人たちと、上手くやってはいけないとそう思って断り続けてきたんです。まぁ、そのせいでこの年になってしまいましたが……」


 言葉を濁らせながら言うと、ダグラス様はワイングラスに添えた人差し指を突き立てた。


「それだよ」

「え?」

「みな家督継承を考えて子供を望むが、結婚をしても跡継ぎに恵まれない場合だってある。ましてや、子供が居るだけで家族が成り立つというわけではない」

「血は、関係ないと?」

「全く関係ないとは言わない。だが、同じ血が流れているからといって、同じ才が宿るわけではないだろう?」


 ダグラス様は、静かにグラスを揺らした。


「親と同じ道を歩める者もいれば、歩めない者もいる。血筋だけで家を託せるなら、その家が傾くことなどないはずだ」

「……それは」

「私はね、グレイス嬢。家を継ぐ者に必要なのは、血よりも覚悟だと思っている」


 その言葉は、不思議と胸に落ちた。

 そして、何よりもダグラス様らしい言葉だと思った。

 なんせ、王都から田舎領と揶揄された自分の領地を発展させ、王命によりほか領地の建て直しまで任されている男だ。彼の考え方は、理想論ではなく、現実に根を張っている。

 彼が手首を捻れば、グラスの中で葡萄酒が大きく揺らぐ。それはまるで、欲と体面ばかりを追い掛ける貴族たちを眺めているようだった。

 遠くでは誰かの笑い声が弾け、楽団の奏でる軽快な旋律が広間を満たしている。


 なのに。


「ただ、こうしてグダグダと言っていることもできなくなりそうでね」


 その声だけが、水を差したように静かだった。

 ダグラス様の溜息は、深い。


「え?」

「いい加減身を固めるようにと──王命でね」


 理解が出来ない。

 私は反発するように聞き返した。


「王命なんて、どうして」

「まぁ、色々と恰好がつかないんだろう。馬鹿馬鹿しい話さ」


 確かに馬鹿馬鹿しい話だ。

 その一方で、胸が痛んだ。


「そう、ですか。……では、寂しくなりますね」

「うん?」

「これからは、結婚相手を探すんでしょう? でしたら未婚の女である私と話をしないほうがいいでしょうし」

「? 何を言っているんだ、私は君に申し込むつもりだぞ?」

「え?」


 思考が止まった。

 広間では相変わらず楽しげな音楽が鳴っているというのに、まるで自分だけがそこから切り離されたような感覚に陥る。シャンデリアの灯りが眩しく揺れて、手にしたグラスの中で葡萄酒が波打った。


 理解が追いつかない。

 結婚を命じられたと言った男が、なぜ私を見るのだろう。


「結婚相手を考えるのなら、君がいいなと」


 また、お得意の揶揄いだろうか。

 いや、それにしては彼の眼差しは──真っ直ぐすぎる。

 途端に心臓の奥が絞られるように苦しくなって、その先で熱が生まれる。それを誤魔化すように視線を落として抱いた疑問を呟くと、ダグラス様はそれら全てを拾い上げていく。


「……でも、私は行き遅れで」

「それは私も同じさ」

「三十五歳なんです」

「私は、君よりも三つも年上だ。丁度いいな」

「仕事だって、私が家督を継げるわけでもないのに辞めるつもりはありません」

「なぜ辞める必要が? それは君の人生をかけて手掛けてきたものではないか」

「でも、仕事をやめなければ子供が……、それに子供だってこの年では……」

「君に生みたい意思があるのなら、共に考えよう。しかし、それが負担になるのなら子供は養子を迎えるという手もある。……血が繋がっていなくとも、家族にはなれるだろう」

「…………白い結婚は嫌だと」

「だから君に申し込んでいる」


 軽やかな音楽が広間を満たしている。

 誰かが笑い、誰かが踊り、誰かが新たな縁を結ぶ。煌びやかなシャンデリアの下では、今この瞬間も幾つもの思惑が交差しているのだろう。

 その中で、ダグラス様の言葉だけが、妙に静かに胸へ落ちていく。


「……どうだろうか。私との結婚を考えてほしい」


 侯爵家だからではなく。

 若い娘だからでもなく。

 子を産める女だからでもなく。

 “私”だからいいのだと。

 そんな言葉を向けられたのは、これが初めてだった。


「私のこと、好き……なんですか?」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 彼は一瞬だけ目を丸くして、それから困ったように笑う。


「……はは、意外と鈍感なんだな、グレイス嬢は」


 熱を持った心臓が、やけに煩い。

 誤魔化すようにグラスへ視線を落とすと、揺れた葡萄酒の水面に自分の顔が映り込んでいた。行き遅れと呼ばれ、壁の花と揶揄される女。社交界ではとうに価値を失ったと思っていた自分を、まさか真っ直ぐに見つめる人がいるなんて思いもしなかった。

 どうしてこの人は、そんな顔で笑うのだろう。

 まるで最初から、答えなど決まっていたかのように。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

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