第05話「Kの正体と、芽生える想い」
役員会議でのプレゼンテーションの成功は、私の社内での立場を確固たるものにした。
懐疑的な視線を向けていた社員たちも、今では私の分析に真剣に耳を傾け、「相沢さんの予測通りだった」「次の戦略もぜひ意見を聞きたい」と、積極的に話しかけてくるようになった。
地味で、誰かの陰に隠れるようにして働いていた明誠商事時代とは、まるで違う。
自分の能力が認められ、必要とされる喜び。それは、私が忘れかけていた、働くことの誇りを取り戻させてくれた。
そして、そんな私を誰よりも喜んでくれたのが、蓮だった。
「すごいじゃないですか、美月さん。もう、すっかり会社の救世主だ」
ある日の夕方、仕事を終えてオフィスを出ると、エントランスで蓮が待っていた。
彼の言葉に、私は照れくさくて俯いてしまう。
「そんなことないです。私一人の力じゃありません」
「謙遜しなくてもいい。あなたの功績ですよ」
彼はそう言うと、自然な仕草で私の手を取り、歩き始めた。
突然のことに心臓が跳ねる。彼の大きな手に包まれると、不思議と安心感を覚えた。
「今夜、少し時間ありますか? 美月さんと、一緒に行きたい場所があるんです」
彼に連れてこられたのは、都内を一望できる、高層ビルの最上階にあるバーだった。
窓の外に広がる無数の光の粒が、まるで星空のように美しい。
「ここは、僕が会社を立ち上げる前、よく一人で来ていた場所なんです。この景色を見ながら、いつか、この街を動かすような大きな仕事を成し遂げたいって、夢を見ていた」
彼はカウンターに並んで座ると、静かに語り始めた。
「五年前、事業がうまくいかなくて、もうダメかもしれないと思った時があった。そんな時、偶然出会ったのが、“K”のレポートだったんです」
彼の口から“K”の名前が出て、私は息を呑んだ。
「そのレポートは、当時まだ無名だったある技術の将来性を予測するものだった。誰もが見向きもしなかったその技術に、僕は賭けてみることにした。“K”の分析を信じて。……それが、今のホライゾン・テクノロジーズの基盤となっているAI技術なんです」
彼の告白に、私は言葉を失った。
私の何気ない分析が、彼の、そして会社の運命を大きく左右していたなんて。
「だから、僕はずっと“K”に感謝している。そして、いつか会って、直接お礼が言いたいと思っていた。……美月さん、もう一度だけ聞かせてください。あなたは、やっぱり“K”なんですよね?」
彼の瞳は、真実を求めるように、まっすぐに私を見つめていた。
もう、隠し通すことはできない。私は、小さく、しかしはっきりと、うなずいた。
「……はい、私が“K”です」
私の告白を聞いた蓮の顔に、驚きと、そして深い納得の色が浮かんだ。
彼はゆっくりと息を吐くと、心からの笑みを浮かべた。
「……やっぱり、そうだったんだ。初めて会った時から、どこか惹かれるものがあった。鋭い分析力だけじゃない。その奥にある、物事の本質を見抜く、澄んだ瞳に」
彼は私の手を、優しく両手で包み込んだ。
「ずっと、尊敬していました。そして、今、こうして目の前にいるあなたに……僕は、惹かれています。一人のアナリストとしてだけでなく、一人の女性として」
彼の突然の告白に、思考が止まる。
頬が、耳が、熱くなっていくのがわかった。高鳴る鼓動が、彼に聞こえてしまいそうだ。
「仕事のパートナーとして、あなたをスカウトした。でも、一緒に過ごすうちに、その気持ちはどんどん大きくなっていった。あなたの聡明さに、ひたむきさに、そして時折見せる、はにかんだような笑顔に、どうしようもなく惹きつけられているんです」
彰は私のことを「可愛げがない」と言った。でも、蓮は、私の笑顔に惹かれると言ってくれる。
私のすべてを、肯定してくれる。
「美月さん。僕と、付き合ってもらえませんか」
彼の真剣な眼差しから、目が離せない。
窓の外の夜景が、滲んで見える。それは、嬉し涙だった。
婚約破棄の絶望から私を救い出してくれた人。私の本当の価値を見出し、光の当たる場所へと導いてくれた人。
「……はい」
か細い、けれど確かな声で、私は答えた。
その瞬間、蓮の表情が、安堵と喜びに満ちて、柔らかくほころんだ。
「よかった……」
彼は私の手を引き、そっとその腕の中に抱き寄せた。
彼の胸に顔をうずめると、落ち着いた香水の匂いと、力強い心音が伝わってくる。
「ありがとう、美月。必ず、幸せにする」
耳元で囁かれたその言葉が、私の心の奥深くまで、温かく染み渡っていく。
こうして、私たちは恋人になった。
伝説のアナリスト“K”と、その才能に惚れ込んだ若き社長。それはまるで、小説の中の物語のようだったけれど、紛れもない現実だった。
地味なOLだった私が、仕事でも、プライベートでも、最高のパートナーを得た。
失ったものより、はるかに大きくて、かけがえのない宝物。
蓮の腕の中で、私は新しい幸せの始まりを、確かに感じていた。もう、過去を振り返るのはやめよう。これからは、この人と一緒に、輝く未来だけを見ていこう。そう、心に誓った。




