第32話 徴税人にお披露目しよう
1ヶ月後――
そろそろ徴税人が来る頃だろう。
厳密には1ヶ月後に旅立つのではなく、徴税人に会ってから首都へ向かうつもりだった。だから彼、あるいは彼女が来ることを私は今か今かと待ちわびている。
何を隠そう、私が野菜を育てたのは蛮族のためだけでなく、徴税人を驚かせるためでもあるからだ。
この垂直農法が魔晶石によって全国的に展開可能だということをプレゼンすれば、幽鬼先生に手紙か何かで先んじて知らせてくれ、事前に私が利用価値のある人材であるとアピールできる。
しかも単に能力の高さを知らせるだけでなく、「温かみ」のある人間だと思わせられる。わざわざ蛮族たちの集落に留まって、彼らと交流しながら食糧問題の解決に尽力した男だと。
これが単に凄い魔法を持った人物とだけ伝わってしまうと、かえって恐怖心や警戒心を抱かせてしまう。「なんかスゴいのが来るぞ……」と身構えてさせてしまうわけだ。
だから蛮族たちとのエピソードと共に、私の人柄も知っておいてもらいたい。ただの野心家でも、私利私欲で動くタイプでもないが、実務的な能力を持った温かみのある人物として。
そしてある日のこと――ついに徴税人がやって来た。
★★★
(徴税請負人なんてうんざりだ……)
と、烏天狗のコトハは翼をはためかせながら毒づく。
短く切りそろえた黒髪に整った顔立ちをしているが、鋭く尖った鼻筋は人間とは異なり、まるで漆塗りの仮面のように硬質な光沢を放つ。琥珀色の瞳は知性と倦怠が入り混じり、カラスが獲物を値踏みするような冷ややかさがあった。
背から生える漆黒の翼は、広げれば優に3メートルを超えるだろう。羽毛は首筋から肩、前腕の外側にかけて覆い、まるで黒いショールのようだ。
そして紺色の狩衣を簡素に着流し、腰には書類の巻物と算盤を吊るしている。
(次は新宿の蛮族のところか……はあ……)
あそこには徴収すべきものがほとんどない。いや、全くない。
にも関わらず、わざわざ徴収しにいくのは反乱防止のためだ。常に見張っているぞと圧力をかけ、蛮族たちを管理するため。
つまりコトハにとっては何のメリットもない。
取り立てる税は多ければ多いほどいいからだ。個人ノルマさえ達成すれば、その差額が自分の懐に入る。
それならいっそ滅ぼしてしまえばいいとも思うが、そうなると今度は誰があそこを管理するのか、という話になる。放置していればインプが拠点を作って面倒なことになりそうだ。かといって、誰が好き好んであんな不毛の地に住みたがるのか?
それで新宿はある種の流刑地になっているのだ。
だが蛮族たちから取り立てるものは何もない。ただ政治的な理由で、コトハは面倒な役割を押し付けられている。
瘴気地帯の上をバサバサ飛んでいると、やがて新宿が見えてくる。
特に変わったところはない……と思いきや、見慣れない建物が目に入った。ツギハギに補修された灰色のビルの中に、ぽつんと佇んでいる土葺きの竪穴式住居。
(懐かしい……500年前に私も住んでいたなあ)
ヘルボーンに言わせれば、元人間だという悪魔たちが地獄からゲートを通り、この地へやって来たばかりの時代。
なぜかわからないが、旧世界の建物はほとんどが壊されていた。かろうじて雨風をしのげるビルにみんな身を寄せていたが、数十年も経過するとビルは使いものにならなくなる。時々、地震が起きて壊れてしまったし。構造が複雑すぎて、修復する方法もわからない。
それで竪穴式住居を作ったのだ。始めてそれを作ったのは幽鬼先生である。
もっとも、それもすぐに木造建築やレンガ造り・石造りの建物に切り替わったが。幽鬼先生にとって、竪穴式住居はより高度な建築へ至るための通過点に過ぎなかった。
(今さら竪穴式住居ねえ……蛮族どもも、ちょっとは賢くなったのかしら)
まあ、不安定ながらも既存のビルを補修する、謎の建築技術だけは褒めてやるが。
でも地震が起きたら一発で崩れるあのビルより、竪穴式住居の方がまだマシだろう。夏は涼しくて、冬は暖かいから、わりと機能面では優秀なのだ。
それに土葺きの屋根には、苔や草が――いや、花までもが咲き誇っている。
小さな白い花、淡い紫のスミレ、揺れる野草。
地面と屋根の境目が曖昧に溶け合い、まるで大地そのものが家になったかのようだ。
周りの灰色の瓦礫たちとのコントラストも相まって……
美しい――思わず、息を呑むほどに。
だが、何かがおかしい。
よく見ると、花びらの輪郭が揺らいでいる。
光の粒子が、植物の形を保っているのだ。
(これは……魔法か? こんなに高度な幻影魔法は見たことがない……)
あまりにも幻想的な光景に立ちすくんでいると、背後から声をかけられた。
「失礼……どちらさまでしょうか」
振り向くと、コトハはまた息を呑んだ。
そこには長身の男が立っていた。
白いマスクが顔の上半分を覆い、その下の口元には柔らかな微笑みが浮かんでいる。
身につけているのは、蛮族と同じ麻の着物だ。
それなのに――全身から気品が漂っている。
背筋はぴんと伸び、両手は自然に背中で組まれている。
わずかな仕草すら計算されているかのように、優雅で無駄がない。
(な……なんだこのエレガントな男は!?)
驚きすぎて声も出ずにいると、男はアイマスクを外して恭しく一礼する。
「ああ、先にこちらから名乗るべきでしたね。ルシエルと申します」
そう言って、ルシエルはにっこりと微笑む。
その瞳は宝石のように美しく、思わずじっと魅入ってしまう。
立ち方。手の位置。わずかな頭の傾け方。
すべてが洗練されている。
「……お名前をうかがっても?」
「あ、ああ」
どれくらいぼうっとしていたのだろう?
コトハは我に返り、腰に吊るした黒い木札を取り出す。
「烏天狗組の徴税請負人、コトハだ」
黒檀の木札には金色の文字で『烏天狗組』『徴税請負人』と刻まれ、中央には烏の紋章が彫られている。
『百鬼夜行連合』が正式に発行する、徴税の権限を示す証だ。
ルシエルはそれを一瞥し――穏やかに微笑んだ。
「ああ、徴税人の方でしたか。お待ちしておりました」
こんな反応は初めてだ。徴税人というだけで、民衆からは非常に嫌われる。それも当然だ。多額の税を徴収して私腹を肥やす者が大勢いるからだ。
コトハの場合、現地の状況を分析して、余裕を持って払えるくらいを要求している。自分も生きるために金が必要だし、不作の年には大損するため、平時から多めに取っておく必要がある。しかし、徴税人としては良心的な方だろう。
だが、新宿ではちょっと意地悪になってしまう。モヒカンの野蛮な男たちにガンを飛ばされ、やいのやいの言われたらイラッとしてしまうのも当然だ。
コトハにとって、新宿に行くことは精神的にも、金銭的にも何のメリットもない。上に言われて仕方なくやっているだけだ。性格が歪んでしまうのも致し方ない。
だからルシエルを見ると癒やされる。優しく微笑んでくれるし、邪険に扱われないのは初めてだから。
「中へどうぞ。お水を入れましょう」
「いや、ここの水はちょっとな」
徴税人には衛生指導も任されているので、感染症に関する知識はいくらかある。細菌やウイルスなるものが人間の体に悪さをする。都市には浄水場があるので安全に飲めるが、ここの水は不安だ。念には念を入れて、コトハは自分で持ってきた水筒から飲むようにしている。
「ご安心ください。蒸留しているので安全に飲めますよ」
見ると、竪穴式住居の中に鍋が並んでいる。ルシエルが蓋代わりのボウルを持ち上げると、裏側に水滴がついていて、それが中に吊るされているコップに落ちる仕組みらしい。
確か幽鬼先生も、その方法で蒸留器を発明した。都市では蒸留酒が作られるくらい当たり前の技術だが、ありあわせのもので再現するとは見事だ。
「持参されている水でも良いですが、節水のためにいかがですか?」
「そうだな、それなら貰おうか」
さらにコトハは蒸留器を観察する。金属も徴収するべきものの一つだ。もうこの都市には使える金属などないと思っていたが……どこで手に入れたのだろう?
「そんな金属、どこで手に入れた?」
「瘴気の中から発掘しました」
そう言いながら、ルシエルは陶器のコップを差し出してくる。
ちょうど喉が乾いていたので、コトハは一口飲んで言った。
「どうやって?」
「光魔法を使って。実はひと月前に天界から堕ちてきましてね」
「天使ということか。でも金の輪っかも翼もないんだな」
「そうなんですよ。コトハさんみたいに立派な翼が欲しかったですね」
そんなふうにまじまじ見つめられると、少し恥ずかしくてコトハは翼をさらに折りたたんでしまう。
「ここまで来るのは大変だったでしょう。魔物に襲われたりしませんでしたか?」
「ああ、いつもなら人喰いカラスに襲われるが、今回は何もなかったな」
「……狩りすぎたかもしれませんね」
どういう意味だ? と言いかけた時――
コトハはようやく奇妙な棚の存在に気が付く。竪穴式住居には似つかわしくない鉄骨の棚が2つ並んでいる。3段式で、それぞれに土器のプランターを配置。各段の天井から柔らかい光が降りそそぎ、その下で――驚くほど立派な野菜が、びっしりと育っている。
「……室内で野菜を? 光魔法で太陽を再現しているのか」
「いえ、赤と青の光を混ぜたものです」
「どうやっているんだ?」
「話すと長くなりますので……座って話しませんか」
そう言って、ルシエルは綺麗な麻布をさっと床に敷いてくれる。コトハが腰を下ろすと、彼は隣に正座する。
(なんだかドキドキする……! いや、仕事に集中するんだ、わたし!)
そうしてルシエルは丁寧に、光魔法を使った垂直農法の技術について説明してくれた。
当たり前のように光の幻影――ホログラムというらしい――を作り出して、わかりやすく説明してくれる。コトハはこういう新しい知識を学ぶのが好きなので、興味深く聞いた。
光の波長の話。
照射時間の調整。
土壌の成分分析。
これを光魔法でやってのけるとは信じられない。堕天使たちには何人か会ったことはあるが、照明魔法を使ったり、光の槍を飛ばすくらいしかできなかった。それで光魔法は大したことないと思っていたのに。
「あの魔晶石を動力源にしているのか?」
指さした先には、灰色にくすんでいる大きな魔晶石がある。棚の前の、鉄骨の上に祭壇のように置かれている。よく見ると虹色も見えるが、低ランクなのだろう、透明度がイマイチだ。
「ええ、魔晶石を100個分、溶かして1つにしたものです。それでやっと1時間分の容量になりましたが、1時間ごとに魔力を注げば16時間、稼働できます」
低ランクでも融合させればそれなりの容量になる。魔力が尽きれば自動で消灯し、また魔力を注げば点灯する仕組みだ。どうやって加工したのかは後で聞くとして……とにかく魔晶石を使えば、誰の魔力でも蓄えられる。
つまり――
「全国展開も可能というわけだな」
そう言うと、ルシエルは嬉しそうに目を輝かせる。コトハはその笑顔にどきりとした。
美しすぎる……!
「おっしゃるとおりです! 今回は実験ですので、収穫量はほどほどですがね。でもこの棚がずらりと並べば、少ない土地で大量の食糧を生産できる」
「しかも1年中か。天候の影響も受けにくいから安定して収穫も可能……」
「これなら従来の農業で不作の年になった時でも、飢えることはないと思いますね」
「これは……革命だな」
なんと自分の目の前で食糧問題が解決しようとしている。コトハはそのことにワクワク感を覚えた。全国が豊かになれば徴税量も増えるし、自分の懐も潤う。コトハも飢え死にしかけた経験があるので、この技術はまさに夢のようだと思う。
「しかし、この魔晶石は見たことのない色をしているな。幽鬼先生のものと違う」
「そうですかね? 低品質なのでそう見えるだけかと」
まあ、幽鬼先生以外に魔核を変換できる者などいないから、気のせいだろう。
「とにかく素晴らしい技術だ。ぜひ幽鬼先生に紹介したい」
幽鬼先生は人の適正を見抜くのが得意だ。それで有能な人材を見つけたら、積極的に紹介するよう呼びかけている。採用されれば紹介者にも報酬が出るし、あわよくばもっと条件の良い仕事を紹介してもらえるかもしれない。
「それはありがたい。幽鬼先生にもこの技術を提供しようと考えていたんです。そのために紹介用のホログラムを作成しました」
そう言いながらルシエルが手渡してきたのは、ガラスの円盤だった。
「……これは?」
「魔導ガラスと、個人的に呼んでおります。この中にホログラムを記録していましてね。下から光を当てると映像が浮かび上がります。このように」
ルシエルが光魔法――天使がよく使う『ルクス』を唱える。その光を魔導ガラスの下から通すと、棚の中で育つ野菜の静止画が浮かび上がる。
コトハは目を見開く。
「が、ガラスでそんなことが!? なぜわざわざガラスを?」
「魔晶石は他のものに使ってしまったので」
「これほどの魔法の才があるのに……天界はなぜお前を堕としたのだ? 馬鹿じゃないのか?」
「きっと何か誤解されてしまったのでしょう。でもここに堕ちたのはラッキーでした。蛮族の皆さんはとても親切な方々で」
その言葉は今日一日でもっとも信じられないことだった。
(あの蛮族どもが親切? 私に対しては目玉が飛び出るくらい青筋を立てて睨んでくるんだぞ)
「よくあんな連中と仲良くできるな。髪型は最悪だし、礼儀もなってない。お前のような優雅な男とは反りが合わないのでは?」
「きちんと話してみればそうでもありませんよ。私は彼らの窮状を聞いて、なんとか食糧問題を解決しようと決めたんです」
聖人だ。神が聖人を遣わせてくれたのだろうか?
この男ならきっと、この国を豊かにしてくれる。
できることなら――こういう男にこそ人の上に立って欲しいものだ。




