第31話 魔核と魔晶石
「ただいまー!」
夕方、ケルビーとサリーが東京湾から戻ってきた。
サリーの持っている鍋にはたっぷりの塩が入っている。
彼は細かい魔力制御は苦手だが、魔力のパワーはある。だから海水を汲み上げた後、高出力の『ルクス』で水を蒸発させることも可能だ。
塩があれば料理の調味料にもなるし、生皮を塩漬けにして長期保存もできる。
「お疲れさまです。お怪我はありませんか?」
「はい! 人喰いカラスの群れが突っ込んできた時はびっくりしましたけど」
魔物化していないカラスでも威圧感があるのに、黒い翼の群れが、空を埋め尽くして迫りくるのは想像するだけで恐ろしそうだ。
魔導ガラスを掲げながら、ケルビーが興奮した様子で言う。
「魔導ガラスのおかげで迎撃できました!」
「俺は塩で両手が塞がっていたからな。助かったぜ」
魔導ガラスの『イージス2.0』は高速で小型の飛来物を検知するため、突っ込んできたのならレーザーで迎撃してくれる。
「おおおお塩がこんなに……!」
蛮族たちがサリーを取り囲んで騒いでいる。
「そんなに欲しいのか。ならいくらでも採ってこれる」
サリーも満更でもなさそうだ。
出会い頭に、蛮族たちを皆殺しにしようとしていたのは昨日のことだが……双方とも昔のことは気にしないタイプなのだろう。このまま仲良くなってくれたら助かる。
というのもサリーには、できればここに残ってほしいと考えている。代わりに首都『四十五万都』へ旅立つ時には、フィンに道案内してほしい。
問題は、誰が蛮族たちを守るかだ。
サリーは魔導ガラスを起動できるほどの魔力量を持っているし、戦闘経験も豊富だから安心である。
もちろんサリーとフィンが納得すればだが。
ある研究によれば、知人から普通の友達になるのに約50時間、そこから親しい友人になるにはさらに90時間、そして親友と呼べる関係になるには合計で200時間以上を一緒に過ごす必要があるという。
1ヶ月もあれば親しい友人くらいにはなれるだろう。
そんなことを考えていると、ケルビーが手招きしながら「ルシエルさん、ルシエルさん」と呼んでくる。
「頼まれたもの、持ってきましたよ」
そう言うと、小さな琥珀色の結晶を十数個くらい私の手のひらに落としてくれる。形はさまざま。歪だが、少し心臓の形に似ているかもしれない。脈動するような微妙な光の明滅がある。
また、半透明で、瘴気のような黒いもやが血管や神経のように這っている。表面は濡れたような光沢があり、触るとひんやりしてぬめりがある。
結晶化した内臓のような生々しさがあった。
「これが魔核でしょうか……?」
「そうだ」
「きゃっ!」
ケルビーが言ったそばから、フィンがひょっこり顔を出した。
「コソコソしていると思ったが、人喰いカラスから採取したんだな?」
「個人的に研究しようかと思いまして」
「ランクが低いから大したことはできん」
ランクというのは魔物の強さで変わるのだろうか。
まったく、どうしてこんなゲームのような世界になってしまったのだろう? 神はいったい何を考えているのだ?
まるで私の祈りが届いたみたいではないか。
新人類創造プロジェクトが上手く行ったら、神さまに「次の世界はもっと面白くしてください」とお願いするつもりだった。ゲーミフィケーションの知見を添えて。
……失礼極まりないが、神ならどうせ心の中を読めるだろうから、言葉を選ぶ必要はあるまい。
「それに魔核のままでは瘴気を吸収するだけだ」
そんな置き型消臭剤みたいな機能しかないのか。
「魔晶石にするには……」
そこでフィンは言葉を止めて、苦々しい表情になる。
「幽鬼先生に頼むしかない」
「魔核から魔晶石への変換――それは彼にしかできない?」
「詳しくは知らんが……そうらしいな」
いや、そうではない。
だとすれば魔晶石は日本国内でしか生産されないことになり、流通も限定的なはず。
ではなぜ、ヘルボーンのインプが魔晶石の武器を持っていたのか?
「魔晶石って、日本以外でも使われているんですかね?」
「ああ、大陸の向こうでも魔晶石は当たり前に使われていると聞いた。噂程度だが」
「それなら他にも幽鬼先生のような能力を持つ存在がいるのでは?」
少し考えてから、フィンはこくこくと頷いた。
「そうだな。なぜこんな単純なことに気付かなかったんだ?」
その瞬間、私の唇に、ゆっくりと笑みが広がっていく。
私の推測が正しければ、『指導者』全員が魔晶石への変換能力を持っているはずだ。
「なら海を越えて、別の奴に変換してもらう方法もあるな。幽鬼先生に頼る必要はない」
「あるいは、海を越える必要すらないかもしれませんよ」
そう言いながら、琥珀色の結晶――魔核の1つをつまみ上げて、じっと見つめてみる。
「そんなことしても無理だと思うぞ。たとえ、ただのガラスを魔導具にした男でもな」
とりあえず魔力でも流してみるか。
魔力を注入開始してすぐに、魔核全体がほのかに発光し始める。徐々に生々しい光沢が失われ、表面が乾いて硬質になっていく。
「ふむ……」
やがて琥珀色だった魔核は、くすんだ灰色の小石のような結晶になる。角度を変えると、表面にうっすらと虹色の光沢が浮かぶ。
「こ、これは……!」
フィンが驚きながら私の手のひらにある鉱物質の結晶を覗き込む。
「魔晶石……なのか? 幽鬼先生の作ったものとは違う色だが」
もしかすると、どの『指導者』が変換したかを区別するために、魔晶石の見た目はそれぞれ異なるのかもしれない。
さらに私は変換された結晶を観察する。インプのヴェルグが持っていた魔晶鎖・紫縛は、もっと透き通っていたはずだが、これは灰色にくすんでいる。
魔核自体のランクが低いからか、それとも私の信仰力が低いためか。たぶん、その両方だろう。
まあいい。OCTと微分干渉とフェムト秒レーザーを駆使して、1ヶ月かけて調べ尽くす。そして何かに役立たせてみせよう。
「皆さんにお願いがあります。とても大切なお願いです」
私はまだ変換していない魔核を握りしめながら言った。
「これからこの魔晶石をじっくり研究したいので、私が良いと言うまで話しかけないでいただきたい」
「えっ?」
これは私の欠点でもあるが、面白い研究対象を見つけてしまうと、そのことだけを考えたくなるのだ。「話しかけられないこと」こそ、私にとって最高のご褒美である。
もちろんコミュニケーションは重要だ。あれこれ気を遣って信頼関係を築くのに精を出すのも。だがそれらは自分がやりたいことをするための手段に過ぎず、できればやりたくないことでもある。
すでに最低限の衣食住は整えたし、フィンや蛮族たちとの信頼もある程度は得られたことだ。そろそろ引きこもってもいいだろう。
「それでは失礼いたします」
「ちょっと、ルシエルさん!?」
今まで社交的だった男が急に「話しかけるな」と宣言して、竪穴式住居に向かって早足に歩き出すので、みんな戸惑っている。まあ、少しくらいは変な奴だと思われても支障はあるまい。
竪穴式住居に入ると、簡易ベッドに目がいった。枝で編んだフレームにイノシシの毛皮を張っている。かすかに薪の香りが混じった、野性的な獣の匂い。試しに腰掛けてみると寝心地は悪くなさそうだ。土の上で眠ることに比べれば、何でも感動を覚えてしまうものだが。
このベッドを作ってくれたことについては、後でお礼を言っておこう。いや、忘れそうだから今言っておこう。感謝の言葉は必ず伝えるように心がけている。感謝は相手との関係が良くなるだけでなく、伝える側のメンタルにも良い影響があるからだ。
そこで私は竪穴式住居を出て、アサミのもとに歩いていった。
「もう話しかけていいのかい?」
「いいえ。素敵なベッドを作ってくれたお礼を言いたく。おかげで今夜は快適に眠れそうです」
そしてアイマスクを外してにっこり微笑んでみせると、まるで時が静止したかのように、アサミは私をじっと見つめる。口を半開きにして、何か言いかけては閉じる。それを二度、三度繰り返す。
やがて彼女は小さく息を吐いて、頬に手を当てた。
「……あんた、反則だよ」
「とんでもない。感謝は基本です」
そう言うと私はマスクを装着しなおし、くるりと踵を返していった。
★★★
「……なんだか様子がおかしかったですね、ルシエルさん」
その様子を見ていたケルビーがぽつりと呟く。
するとサリーが嬉しそうに言った。
「ああ、だがエレガントさは失われてなかったぜ」




