第30話 構造的な信用
「あのインプが使っていた武器……魔晶石でできていましたよね」
鎖が伸びたり枝分かれしたりしたのを思い出しながら、私は言葉を続ける。
「おそらく魔晶石を使えば、ああいう特殊な武器はもちろん、便利な魔導具も作れる。都市の方ではそれが実用化されているのでは?」
フィンは両耳を左右に垂らして考え込んでいる。なぜ話すことをためらっているのか、なんとなく想像はできるけれども。
彼が返事をするまで、私はじっと待つことにする。
「……都市へ行けばわかる」
その声には、どこか諦めのような響きがあった。
「お前は優秀だ。幽鬼先生のところに行けば、大金持ちになれるだろう」
またツンツンモードになってしまった。せっかく打ち解けたかと思ったのに。
いや、これは典型的な回避行動だ。フィンは私のことを信用し始めている。一緒に巨大イノシシを狩り、それを山分けしたことによって。今日は取引にも応じてくれたし、積極的に話しかけてくれている。
だが魔核や魔晶石のことになると、口をつぐんでしまうのはなぜなのか?
どうせ都市に行けばわかることなら、話しても問題はないはずだ。にも関わらず、突き放すようなことを言うのは、魔晶石のことで何かトラウマがあるからだろう。
かつて、フィンはダンジョン冒険者だった。
そんな職業が存在しているとは未だに信じられないが、とにかく存在しているとしよう。で、ダンジョンでは魔晶石が採れるのではないか。冒険者はそれを売買して生計を立てているのだろう。
だが、フィンは仲間に裏切られた。その仲間は魔晶石を独り占めにしたかったに違いない。金銀財宝のように、魔晶石には人の目をくらませる魔性があるのだ。
だからフィンは、私が魔晶石の価値を知って、人が変わってしまうのを恐れているのかもしれない。
そしてまた裏切られるくらいならと、先手を打って突き放すような態度を取ってくる。
まあ、仲間だと思っていた相手に瀕死になるまで痛めつけられたら、疑り深くなるのも仕方ない。
これらの推測を踏まえて……私はフィンとどのように接しようか考える。
少し間を置いてから、こう言った。
「実は私……半年以内に1000人分の信仰力を集めないと死ぬんですよね」
いきなりの衝撃発言にフィンは目を丸くする。条件付きで余命半年と打ち明けるようなものだ。
「……何だと?」
「おかげさまで、今は54人から信仰してもらっています。『神さま見習い』って称号が欲しいですね」
「どういうことなんだ、それは」
私は軽く肩をすくめてみせる。
「さあ。天界に堕ちてすぐに謎の存在からそう言われましてね」
「謎の存在?」
「頭の中に直接、語りかけてくるタイプの。神か悪魔かはわかりませんが」
いっとき間があった。フィンはまじまじと私を見つめている。この男は頭がおかしいと思っているのかもしれない。
だがこれまでの会話と実績を思い出して、どうにか私の中にある理性を信じることにしたらしい。
「それが本当だとして……なんで今、そんな話をしたんだ?」
私はわざと曖昧な微笑みを浮かべてみせる。
その「なんで」を説明すると、けっこう長くなるのだが。
「俺が同情して、魔晶石のことを話すと思ったか?」
「かもしれませんね」
「……だが、都市に行けばわかると言ったばかりだ。俺の同情を引くことは、お前にとって必須ではない。俺の信用を得ることさえも」
「いかにもそのとおり」
「おい、なぜ急に謎めいた態度を取るんだ?」
彼の想像力をかき立てるためだ。
なぜ私は今、信仰力システムのことを話したのか?
その答えには自分でたどり着いてもらいたい。
「ええと、何ででしょうね。おっと、作業の続きに戻りましょうか」
明らかに不自然な話題転換をしつつ、私は垂直農法の作業の続きに取り掛かることにする。
おもむろに、手のひらに2つの光球を浮かべる。1つは大きく、もう1つは小さい。
「……それはなんだ?」
目を細めながら、フィンは私を睨みつけている。私の真意を覗き込もうとでもするように。
だが一旦は、技術的な話題に戻ることにしたようだ。
「大きい方はメインリザーバー——ここに魔力を蓄えます」
「当たり前のように言うな。魔力を蓄えるには魔晶石が必要だ」
「魔法はイメージの精度でどうとでもなります。この場合は魔導ガラスの内部構造ですね。あれも魔力を蓄える構造になってますから。実際つくったおかげで鮮明にイメージできます」
「何かを数百万点とか言ってたが……」
「ああ、記憶力はいいんですよ」
こともなげに言うと、フィンの耳が後ろに勢いよく倒れる。びっくりした犬のようだ。可愛いではないか。
「欠点は私の魔力しか蓄えられないことですね。魔力効率もあまりよくありません」
「どれくらい蓄えられる?」
「1年くらいはこの垂直農法システムを稼働できます。私が旅立った後もね」
これは天界で実験済みだ。
「ここで重要なのが魔法のオン・オフです。これはこの小さい方――制御タンクで行います」
「ずっと照らし続ければ、植物の成長が早くなるわけでもないんだな」
「暗い時間も色々やっているので、むしろ逆効果ですね。葉物野菜の場合は……『16時間の照射 + 8時間の暗期』が一般的です」
「お前がいない間、どうやって切り替えるんだ?」
そこで私は小さい方の光球を前に持ってくる。
「制御タンク自体の『光の強度』を監視します。このタンクは16時間分の魔力しか蓄えられません。そして制御タンクから照明用の光源――光板と呼びましょうか。これに魔力を供給しています。なくなったらパチン、と消えます」
わかりやすいように、説明用のホログラムを表示してあげよう。
システムの主要な構成要素を整理すると以下のようになる。
・メインリザーバー:大容量の光球、1年分の容量
・制御タンク:小型光球、16時間分の容量
・光板:単なる照明機能
「すると制御タンクの『光の強度』が閾値を下回るので、屈折率が変化し、充電経路が開きます。そしてメインリザーバーから魔力を吸い上げる。この経路はごく細いので、満タンになるまで8時間かかります。そして満タンになったら、また強度が閾値を超えて——」
制御用タンクから魔力の光の筋が伸びて、照明用の光板が形成される。
「点灯モードに戻る。このサイクルが1年間、自動的に繰り返されます」
ただしメインリザーバーと制御タンクは常に光を放っているため、土の中にでも埋めておこう。それでも魔力は通過してくれる。
本当は魔力量を直接、監視できればもっとスマートなのだろう。でもどのように実装するかはまだ解明できていない。
今回のは魔導ガラスと同じ非線形光学効果で計算式を具体的にイメージできる。が、魔力量ではそういったイメージが持てていない。
おそらく魔晶石を使えばそれも可能だろうと推測しているが……早く実物をいじくり回してみたいものだ。
「こんな複雑なことを魔晶石なしで……頭の中どうなってるんだ?」
「常に考えているだけです。こうやって何かを作っている時が一番、楽しいから」
自然と無邪気な口調になっていたのだろう。
フィンは私の表情をしばらく眺めて、フッと笑う。
「お前は、俺の親友だった男に似ているな」
「親友だった……過去形なんですね」
「そいつに殺されかけたからな。幽鬼先生に取り入ろうとして、人が変わってしまった」
「残念ながら人間の誠実さは、状況や損得勘定によって簡単に変化しますからね。特に権力を持つと正直さが失われ、裏切りやすくなります」
そう言うと、フィンが意外そうな顔をする。
私が人間をそんなふうに捉えているとは思っていなかったのだろう。外面的には人の善意を信じている、お人好しの紳士に見えているだろうから。
「そう思うなら、お前はどうやって他人を信じるんだ?」
「んー……『構造的な信用』ですね」
「なんだそれは?」
「相手の人柄や誠実さを信じるのではなく、『相手が自分を裏切れない状況や関係性の構造』そのものを信じるという考え方です」
「難しいな」
「簡単に言うと、『こいつは、俺を裏切ったらめちゃくちゃ損するな』という状況にある相手を信用します。信じられるのは善良な心ではなく、相手が裏切れない状況そのもの、というわけです」
「……思ったよりドライなやつだな、お前」
その言葉に、私はあえて不敵な笑みを浮かべてみせる。
「でもこれが一番、確実な信用の仕方だと思いますよ」
「さっきの話だが」
「何の話でしたっけ?」
「信仰力を集めないと死ぬ、という話だ。お前があの話をするメリットが1つもない」
「そうですかね?」
「例えば俺が、お前の悪い噂を流したとしたらどうする? お前は半年以内に信仰力を集められずに死ぬ。自分の弱点をさらしたわけだ」
「うーむ、それは気が付きませんでした」
「嘘を吐け。お前は何も考えずに喋るような男じゃない。俺に弱点を打ち明けたのは、『構造的な信用』を作るためだ。これでお前は俺を裏切れない。少なくとも、1000人の信仰力という条件を達成するまでは」
私は返事をせずに、静かに耳を傾ける。
「だが、どうしてそんなことをする?」
陳腐に聞こえるかもしれないが……フィンがこのまま人間不信に陥っているのは、悲しいことだと思ったからだ。
私もいじめられた経験があるので、基本的に人間は嫌いだ。だからフィンの気持ちはよくわかる。
しかし残念ながら、人生の幸福度に友達の存在は重要だという研究データがある。その調査によると、職場で3人以上の友達がいる人は、そうでない人に比べて人生の満足度が約2倍になる。
さらに友達がいると、たとえ給料が同じでも、その給料の満足度が200%も上昇する。つまり、年収が倍になったのと同じくらいの満足感を得られる。
そのデータは私にとってはあまり嬉しくない結果だが……友達がいなくても幸福になれると言ってほしかったのに。論文を読んだ時には絶望したものだ。しかし、科学がそう言うなら信じるしかあるまい。
それに今は本当にそうだと思っている。ケルビーやサリーのように、無条件で助けてくれる友人がいるというのは心強いことだ。
だからフィンがもう一度、誰かを信じてみようと思えるように、私は自分の弱点を晒して「信用しても大丈夫だ」という状況を作ったわけだ。
――なんてことを説明したら白々しくなってしまう。それに照れくさいし。
それで私はどう答えようか困ってしまったわけだが、ちょうどいいタイミングで、外にいるモヒカンたちに声をかけられる。
「おい、樹皮張り終えたぜ! これで完成か?」
「どうもありがとうございます。最後に土をかけたら完成です」
そう言って何も聞かなかったかのように、フィンを振り返って言う。
「手伝っていただけますか、フィン殿?」
「……ふん、いいだろう」
その時、私の頭の中に文字が浮かんできた。
【信仰力:54 → 55】




