第28話 インプ防衛戦②
「キヒヒッ、オレ様の魔晶鎖・紫縛を喰らえ!」
再び、ヴェルグは紫縛を一振りした。
彼がただ持っている時には1メートルほどの長さしかなかったのに、大きく振り上げた瞬間、鎖は生き物のように蠢きながらぐんぐん伸びる。
5メートル、10メートル、15メートル――まるで制限などないかのように。
そして振り下ろした刹那。
鎖がヤマタノオロチのように分岐し、うねりながら私の方へ向かう。
だが私は涼しげに立ったまま、分岐し続ける鎖を丁寧にレーザーで焼き切っていく。
鎖が複雑な動きをしていても、赤外線レーダーで正確に捕捉できる。
それにしても……魔晶鎖と言ったか? つまり魔晶石でできた武器?
面白い。魔晶石を使えばああいうこともできるのか。
「無駄だ、オレ様の鎖は無限に伸びるんだぜ!」
自信満々なところ申し訳ないが、武器の性能は十分堪能させてもらった。私は全ての分岐した鎖をレーザーで打ち払い、その隙間を縫ってヴェルグ本体にレーザーを命中させる。
「グエッ」
いくつか質問したいことがあったので、翼に穴を開けるだけにしておいた。ヴェルグは制御を失って地面に叩きつけられる。私は近付いて、まだじゃらじゃらと鳴っている紫縛とかいう鎖を足で踏みつけた。ヴェルグが必死に引っ張るが、鎖は私の足元から1ミリも動かない。
「あなた方の目的は何ですか?」
「目的? 人間を捕まえてルシファー様のところに連れて行くのさ!」
「何のために?」
「え、確かに何のためだろう……だがそんなのどうでもいい! オレ達は上の命令を聞くだけだ」
つまり人間を殺すのが目的ではないのか。人間を拉致して労働力にするためでもない。それならヘルボーンにやらせればいい。ルシファーが『指導者』だとして人間にしかできないこと……
信仰力の獲得のためか?
となるとヘルボーンは祈っても信仰力にはならないのだろうか。
だから悪魔転生者を誘拐してルシファー陣営に連れていき、強制的に信仰させている?
そうでも考えないと、わざわざ人間を捕まえる理由が他に思いつかない。優秀な技術者とかならともかく。
でもどうしてヘルボーンは信仰力にならないのだろう?
天使や罪人は大元をたどると神の被造物である。が、ヘルボーンはルシファーが作ったもの。
大体、ヘルボーンや悪魔転生者は人間の伝承に出てくる悪魔の姿に似ている。インプや鬼、ヘルハウンド――何かの伝承に出てこない悪魔は今のところ見たことがない。
ルシファーがデザインした悪魔を、たまたま霊的な体験をした人間が見て広めたのか?
いや、それなら伝承と実物の間にむしろズレがあるはずだ。目撃者の記憶違い、口伝での誇張、絵師の解釈――こうした要素が積み重なれば、伝承の悪魔は実物とは異なる姿になっていただろう。
なのに目の前のヘルボーンたちは、人間の伝承と完全に一致している。まるで伝承を設計図として、その通りに作られたかのように。
つまり人間が想像した悪魔のイメージを、ルシファーが拝借したと考える方が自然だ。ルシファー自身にはオリジナルを創造する力が欠けているのかもしれない。だから神の被造物のように魂を持った、真に新しい生命体を設計することもできないのだろう。
そんな考察をしていると、ヴェルグが急に艶めかしく体をくねらせてまつ毛をぱちくりさせる。
「なあ、オレってインプの中じゃ、かなりの美形なんだぜ」
いやはや悪魔に色仕掛けされるとは、まさに伝承どおりだ。
その時、私は死んだインプが黒い瘴気になって消えていったことを思い出す。
もしかするとヘルボーンは瘴気に形を与えただけの存在で、形は人間の伝承――言い換えれば、集合無意識から借用しているのかもしれない。
感情や自我があるように見えているが、それも人間が想像した『悪魔らしさ』をなぞっているだけなのでは?
「この鎖の武器だって上級悪魔を誘惑して手に入れたんだ。オレのテク、堪能してみたいだろ?」
そう言いながら、ヴェルグは尻尾をふりふりする。
「……私を誘惑したいなら、モフモフになってから出直してください」
「ちくしょうっ、この変態野郎め!」
ヴェルグは傷ついたふりをしているが、すぐにニヤッと笑う。私の上空に別のインプたちがいて、矢を放っていたからだ。
さて、ここで魔導ガラスの出番だ。
これは高速で小型の飛来物を検知するよう設定してある。私の手のひらにあるガラスからレーザーが発射され、矢を焼き払ってくれた。素晴らしい。これでサリーの魔力で起動した『イージス2.0』がきちんと動くことが証明できた。
「実験成功です。ご協力感謝します」
「な、な、な……」
それにしてもヘルボーンも弓矢を使うのか。ルシファーならとっくに銃も製造しているかと思ったが……人間の拉致が目的ならむしろ持たせないほうが良いと判断したのだろう。このインプたちは知能が低そうだからうっかり殺してしまいそうだし、銃を奪われる可能性の方が高い。
そもそもこんな日本までやって来て、人さらいをするほど人手不足なのか?
ううむ、謎が多すぎる……
「スピアー」
私が考察に夢中になっていると、ケルビーが光の槍を出現させて空中にいたインプたちに投げる。一匹には命中したが、もう一匹は素早く回避する。そこへ別方向から光の槍が飛んできて、残りのインプを始末した。サリーの槍だ。
「たぶん、あとそいつだけだぞ。ルシエル」
「そのようですね」
そう言ってヴェルグを見下ろすと、彼は尻もちをついて喚き始める。
「ま、待ってくれ! 話し合おうじゃないか! な?」
「耳を傾けるなよ。こいつらには心がない。ルシファーの操り人形にすぎん」
「オレたちインプは悪魔の中じゃ最弱だ。中でもオレは落ちこぼれだった。でもなあ、最弱でも最弱なりに頑張ったんだぜ。この紫縛だって、寝たくもねえやつと寝て手に入れたんだ。オレの唯一の力なんだ。奪わないでくれよお」
目に涙すら浮かべながら、ヴェルグは私が踏みつけている鎖にすがりつく。その姿はなかなか哀れみを誘う。
おそらくサリーの言うとおり、ヘルボーンは人間の心を模倣しているにすぎない。
でもそれは私も同じだ。子供の頃、私には人間の心がわからなかった。周りと上手くなじめず、自分には心がないのではとすら感じるほどに。だからこそ心理学を勉強し、コミュニケーション能力を鍛えて、人間のふりをする努力をしたのだ。
そう考えると、なんだかヘルボーンには親近感が湧いてくる。もしかしたら――ほんの一握りでも、本当に心を持とうとしている個体がいるかもしれない。そして人間のふりをし続けていれば、誰よりも人間らしく見えることもある。今の私のように。
だが、私は盲目的に相手を信じるほどお人好しでもない。
「いいでしょう。話し合いなら歓迎です。場所を移動しませんか」
そこで私はわざと無防備に背中を向ける。
「ルシエルさん!」
次の瞬間、ケルビーが私の頭上を見ながら叫ぶ。まったくもう。ヴェルグは私が視線を外した途端、飛び上がって鉤爪を振り下ろしてきた。赤外線レーダーで丸見えだ。
私は彼の方を見るまでもなくレーザーで迎撃する。振り向くとヴェルグの腹部に大穴が開き、そこから黒い瘴気が漏れ出している。
「くそっ、くそっ。だがその紫縛は渡さねえ。それはオレが自分の力で手に入れた唯一のものなんだ。だから……オレが死んだら壊れるように頼んでおいたのさ」
その言葉どおり、ヴェルグが瘴気になって霧散すると同時に、私の足元にあった魔晶鎖も塵となって消えてしまう。これは残念――後で調べ尽くそうと思っていたのに。
しかし最後の矜持は実に人間らしかった。問題は、彼があまりにも短絡的だったことだ。話し合いの余地がない。
だが、いずれより上位のヘルボーンとも対峙するだろう。その中に、理性的な対話ができる者がいることを期待しておこう。きっと気が合うに違いないから。




