第27話 インプ防衛戦①
朝食を終えると、私たちは屋上に移動する。
「いつインプが来るかわかりませんので、手短に説明しますね」
そう言いながら、私はガラスのディスクを取り出す。
一見、厚さ8ミリほどの透明な円盤に見える。
だが目を凝らしてみると、内部に、白く霞んだ点が無数に浮かんでいる。それらは3次元的に配置され、複雑なパターンを形成している。
光にかざすと、虹色の干渉縞が浮かび上がり、角度を変えるたびに複雑なパターンが踊る。
「ジャムの瓶底をフェムト秒レーザーで加工しました」
「何だって?」
「1000兆分の1秒の……まあ、要するに超精密レーザー加工です。ガラス内部の屈折率を、数百万点にわたって変化させてあります」
ガラスを覗き込みながら、ケルビーがため息を吐く。
「すごい……まるで宇宙みたい」
彼女の言うとおり、星雲を封じ込めたガラスのように見える。
「魔晶石のようだ……」
フィンがまた気になることを言う。魔晶石だって?
どうせ聞き返しても答えてくれないだろう。まったく、設定を小出しにするのはやめてくれないだろうか。
「これは魔導具のようなものです。誰でも魔力を込めれば私の魔法――『イージス2.0』を発動できます」
「それは本当か」
喰い付いたのはサリーだ。
「光魔法を使える者なら誰でも、という意味ですが」
「俺のことだな」
するとフィンが口を挟んだ。
「『イージス2.0』って何だ?」
「赤外線でスキャンし、侵入者を検知したらレーザーで迎撃する魔法です。ほら、皆さんの矢を焼き払ったアレです」
「アレか……」
不意打ちで放たれた無数の矢を、ことごとく焼き払った光景を思い浮かべたのだろう。
「百聞は一見にしかず。サリー、このガラスに魔力を込めてみてください」
彼の大きな手のひらにガラスのディスクを渡しながら、私は脅すように言う。
「くれぐれも割らないように。私が100年かけて加工したものですからね」
「あ、ああ……」
「ジャムの瓶底で作ったって本当なんですか?」
信じられないという顔でケルビーが言う。
「ええ、廃棄予定のジャム瓶を拝借しました。なくなっても誰も気にしませんからね」
「まさかそのためにジャムを……?」
「食べても美味しく、業務効率も向上させ、魔法のアイテムにもなる――」
「これほど余すことなくジャムを利用した人は、ルシエルさんだけですよ」
まさにジャム様さまだ。
このガラスのディスクを作るのに、いったいどれだけのジャム瓶を犠牲にしたことか。
何しろフェムト秒レーザー加工には極度の集中力を要求される。わずかなズレで失敗するし、ガラスが割れてしまうこともある。
それでも幸い、私は魔法制御と集中力を維持するのは得意なので、軽く1000個分のジャム瓶を割るだけで済んだ。
ちなみに天界では部屋の抜き打ちチェックがあったけれども、ガラスのディスクを隠すのは簡単だ。離れてみると透明なので、ベッドの下の奥にでも置いておけばよい。
実は追放された時にもポケットの中に忍ばせていた。
「なんでそんなことしようと思ったんだ?」
サリーの疑問に私は軽く肩をすくめながら言った。
「だって、誰でも使える魔法のアイテムがあったら面白いでしょう?」
最初は単純な青色の『ルクス』――波長460ナノメートルの単色光で試した。
アイデアはこうだ。光は波だから、2つの光波が重なれば干渉する。山と山が重なれば明るく、山と谷が重なれば暗い。この明暗のパターンを、ガラス内部に3次元的な屈折率の変化として記録する。
すると面白いことが起きる。後から光魔法を流し込むと、ガラス内部の屈折率構造が、記録された波長――460ナノメートルだけを選択的に回折させる。
これは「ブラッグ回折」という現象だ。結晶の原子配列が特定波長のX線だけを回折させるのと同じで、ガラス内部の屈折率の周期構造が、特定波長の可視光だけを回折させる。
要するに、ガラスそのものが「この波長だけ通していいよ」と選別してくれるわけだ。
問題は、どうやってガラス内部の屈折率を精密に変えるかだった。
そこで3つの技術を組み合わせた。
まず、OCT――光干渉断層撮影で内部構造を層ごとに可視化する。『ルクス』で近赤外光を生成してガラスに照射し、反射光の位相差を魔力的に感知する。自分が生成した光なら、その振る舞いを完璧に把握できるからだ。これで内部の層構造が「見える」。
次に微分干渉顕微鏡の原理で、わずかな屈折率の変化を検出する。2つの偏光を使い、屈折率の違いによる位相のズレを干渉縞として感知する。これで「どこに、どれだけ変えるべきか」が数値としてわかる。
最後に、集束させた『ルクス』でフェムト秒レーザーを生成し、狙った位置だけを加工する。10⁻¹⁵秒という超短パルス光で、周囲にダメージを与えずピンポイントで分子構造を変化させるのだ。
OCTで位置を確認し、微分干渉で精度を測定し、フェムト秒レーザーで加工する――この3段階で、魔法のコピーが完成する。
「おい、ルシエル。魔力を流し込んでも反応しないぞ」
「もっと流し込んでください」
「もっとだと……?」
そして単色光での実験に成功した私は、『イージス2.0』の魔導具化に取り組んだ。
単色光とは違い、『イージス2.0』には複雑な条件分岐が含まれている。「赤外線で物体を検知→距離と速度を計算→脅威と判断→レーザーで迎撃」という一連のプロセスだ。
これを実現するには、複数の波長パターンを重ね合わせて記録する必要がある。検知用の赤外線、計算用の干渉パターン、出力用のレーザー――それぞれ異なる波長域を使い分け、一つのガラス基板に記録する。
鍵となるのは、赤外線の反射光パターンだ。
魔力を注ぎ込まれている間、ガラス基板は常に赤外線を周囲に放射してスキャンしている。何もなければ反射光は微弱なままだが、物体が接近すると反射光の強度が急激に増大する。
ここで非線形光学効果が発動する。反射光の強度が一定の閾値を超えると、ガラス内部の特殊な構造が活性化され、レーザー迎撃モードへと切り替わる。
つまり「反射光が強い→物体が近い→脅威→迎撃」という判断が、物理的な光の強度変化として実装されているわけだ。
使用者が流し込む魔力は、基板全体を稼働させるエネルギー源に過ぎない。条件分岐そのものは、基板が自律的に行ってくれる。
もちろん、これは単色光のコピーとは比較にならないほど複雑で、記録にも100倍以上の時間を要した。だが天界での100年間、私は暇を持て余していたのでちょうどよかった。
「まだ足りませんね」
「こうか……?」
「力んで割らないでくださいよ」
「わかってる」
ようやく魔導ガラスが淡く輝き始める。いくつかの光の点が星のように素早く循環しているので、起動しているとわかる。
このガラスを中心に半径10メートルの赤外線レーダーが放射され、あらかじめ定義したもの――一定速度以上で接近する小型物体――を識別し、レーザーで自動迎撃する仕組みだ。
しかし飛び道具対策として考えた条件なので、インプを迎撃してくれるとは限らない。設定を変更するにはまたレーザーで加工する必要がある。
「今はこれ1個しかありませんが、量産して各屋上に配置すれば防衛システムになります。しかしこの魔導ガラスが上手く機能するか実験したい。誤射する恐れもあります」
そこで、と私は言葉を続ける。
「この屋上は私とこの魔導ガラスが守るので、皆さんは安全のために近付かないでください」
「でもよ、ルシエル」
サリーが少し息を荒げながら言った。
「これ、相当な魔力を食うぞ」
「ああー……変換効率が悪いんですよね」
ちらりとフィンを見る。
「どこかに魔力親和性の高い鉱石があればよいのですが……そんな都合の良いものあるわけないですよねえ」
おそらくそれが魔晶石だと考えている。
「おい、フィン。さっき……何だっけ? なんとかせきって言ってたよな?」
「魔晶石って言ってました」
ナイスだ、ケルビー。
「それは何なんだ?」
「なんでもない」
「なぜはぐらかすんだ? その鉱石なら魔法と相性良さそうなのに」
こういう時、サリーは率直に尋ねてくれるので助かる。
「魔晶石は――」
フィンが話の流れに任せて何か言いかけた時――
ガンガンガンガン
警報だ。間の悪いことに、インプが襲来したらしい。
「チッ」
「え、ルシエルさん今、舌打ちしました?」
「してません。残りの屋上にも『イージス2.0』を配置しますので、皆さんはそこに行ってください」
そう言いながら私は十数個の光球を飛ばす。
ひとつひとつが「赤外線レーダー + レーザー迎撃」機能を持っている。ただし、魔導ガラスと違って定義を厳密に設定してある。
高速の飛来物に加えて、「人型 + 翼 + 尻尾(3つすべて揃った形状)」に合致するものが対象なので誤射の恐れはないし、インプを確実に迎撃してくれるはずだ。ちなみにインプの姿はサリーから聞いている。
「嘘だろ……俺が苦労して出したやつをこんなにたくさん」
「サリー、君には地上を守っていただきたい」
「ううむ、屋上はお前がいるからな。わかった」
翼を広げたサリーの背中にフィンが飛び乗る。
「俺も下に連れて行け」
2人が飛び降りていくのを見て、ケルビーも槍をかまえて翼を広げる。
「ケルビーさんは私のそばにいてください。飛行が必要になったらお願いしたく」
「もちろんです!」
その時、コウモリのような膜翼を広げながら、インプが別の屋上に突っ込んでいくのが見えた。身長60cm〜120cm程度の子供サイズで、肌は血のように赤く、ざらついた質感がある。耳はないが、頭部に大きな角が2本生えている。
ビュンッ
と、そのインプは『イージス2.0』のレーザーに撃墜され、あっけなく散った。その様子を観察していると、インプは瘴気のような黒いもやとなって跡形もなく消えていく。まるで初めから存在していなかったように、死体は残らない。
ひょっとして、ヘルボーンは地獄の瘴気から形作られているのだろうか?
「あちこちでインプが撃ち落とされていきますよ!」
ケルビーが少し高い位置から戦況を報告してくれる。
「何体くらいいるんですか?」
「ええと……100体くらい?」
やけに多いな。
屋上菜園を守るためとはいえ、話し合う前にハエのように撃ち落としていくのはどうかと思うが――
そもそもヘルボーンに話が通じるのだろうか? サリーの説明では「ルシファーから生み出された存在」だという。それならルシファーを信奉するように設計されているはずだ。
話し合うチャンスがあればやってみよう。だが不可能なら、私は防衛のための争いは辞さない。
「あっ、変なインプがこっちに来ます!」
確かにそいつは他のインプと少し趣が異なっている。肌は深い紫色で、白く滑らかな角がやや外向きに生えている。細身でしなやかな体型。顔の造形は人間に近いため、どこか色気すら感じさせる姿だ。
そして紫色の水晶のような鎖をじゃらじゃらと鳴らしている。
「おいおいおい、天使がいるなんて聞いてねえぞ」
どうやら人語は喋れるようだ。私は屋上の縁に立って恭しく一礼してみせる。
「どうも、インプの皆さま」
「キヒヒッ、ヴェルグ様と呼べ! そのお辞儀の仕方は気に入ったぞ。オレ様に対する敬意を感じるからな」
……ああ、あんまり話し合えるような雰囲気ではないな。
半ば諦めつつも、私はダメ元で言ってみる。
「すでに戦闘が始まっておりますが……一度引いて、話し合いの機会を設けませんか?」
「話し合いだあ? なら縛りプレイしながら話してやるよ」
「そういう品のない話はちょっと……」
「お高く止まってんじゃねえぞ! 大人しく捕まりやがれっ」
そう言いながら、ヴェルグが持っていた鎖を振るった。
紫色に光る一本の鎖が、鞭のようにしなりながら私に向かって伸びてくる。
魔導ガラスで起動中の『イージス2.0』は高速で小型の飛来物にしか反応しない。
うーん。鎖は微妙だ。念のために焼き切っておこう。
そこで私は『ルクス』を収束させてレーザーを発射。紫の鎖を直撃し、一瞬で焼き切る。
だが焼き切られたはずの鎖が、空中で突然、複数に枝分かれした。切断面から、まるで植物の根が伸びるように、三本、四本、五本と――次々に新しい鎖が生成される。
それはさすがに予想できなかった。
鎖の一つが放物線を描きながら、空中を飛んでいるケルビーの体に巻き付く。翼、腕、胴体。彼女は「あっ」と短く声を上げたきり、がんじがらめにされてしまった。槍が手から滑り落ち、カランと乾いた音を立てて地面に転がる。
「捕まえたぜ、天使の小娘」
ヴェルグは鎖を手繰り寄せながら、満足げに笑う。
「ルシエルさん……力が入りません」
ケルビーが苦しそうに私の名を呼ぶ。鎖に縛られた彼女の表情には、痛みよりも申し訳なさが浮かんでいた。
あの鎖に縛られると力を吸い取られてしまうのか。誰のせいでもない。魔法の武器のことなんてわかるはずがないのだから。
「おっと、大人しくするんだぞ」
卑怯なことにヴェルグはケルビーを盾にしている。つまり真正面からレーザーを撃つことはできない。
「お前だな? 仲間たちを撃ち落としている――」
人質がいる場合、相手に考える時間を与えれば与えるほどこちらの立場が悪くなる。人質を手に入れた瞬間が、もっとも油断している時。動くなら即座に。ヴェルグが何か言っている間に、私は屋上から飛び降りた。
さすがに2階建ての屋上から落下すると私も怪我をする。そこで空中の複数箇所にコイル状の電流経路を形成。バチッ、バチッと青白い光が空中に螺旋を描き、次の瞬間には消える。その経路はほぼ目には見えず、ごく微かなゆらぎだけが見える。
本来、電流にはコイルなど導体が必要だが、魔法で生成した電気は私の制御下にある。空中でも自由に経路を描ける。
それらは強力な電磁石のように作用して、周囲の鉄骨瓦礫を引き寄せ、階段状に配置していく。
最初の鉄骨に着地した瞬間、下方からケルビーを繋いでいる鎖にレーザーを発射。そのまま足を止めずに鉄骨から飛び降り、次の鉄骨には着地しないで両手でつかみつつ、素早く地面に着地。そして鎖から解放されて落下してくるケルビーを地上で受け止める。
……成功してよかった。こんなアクロバティックな動きができるとは思っていなかったので、ホッとする。でもケルビーの命がかかっていたから、恐怖を感じる暇もなかった。
「お怪我はありませんか、ケルビーさん」
「は……はい!」
またたく間に人質を奪われたヴェルグは、私たちを見下ろしながらこめかみに青筋を立てる。そして鎖を握りしめながら叫んだ。
「てめえ……ぶっ殺してやる!」
よろしい。話し合いはなしだ。




