第26話 取引の行方
「おおおおお! 久しぶりの肉だああああ」
ここでは肉を持ってくる者が一番えらいのだろう。
私とフィンが巨大イノシシの肉を持ち帰ると、蛮族たちはお祭りのように大騒ぎする。
「ルシエルが仕留めたんだ」
と、フィンがみんなの前で厳かに言う。
すると私を舐め腐っていた男たちは瞬時に表情を変え、殊勝な顔付きになる。モヒカンたちにそう一心に見つめられるのは微妙な気分だ。
さらに頭の中で信仰力の数値がぐんぐん伸びていく。
【信仰力:9 → 37】
いやはや、お肉は偉大だ。
そしてイノシシ肉の串焼きはなかなか美味だった。脂がのっていて、噛むと肉汁があふれる。普通の豚肉より濃厚な甘みがあった。わずかに獣特有の風味が気になるけれど、不快なほどではない。
「ヒヒッ、塩があればもっとうめえのにな」
む、賢いモヒカンと同じことを考えてしまった。
「今は切らしているということですか?」
「こっから南東に海があってよお。あそこ行くのも大変なんだよな」
新宿から南東というと、東京湾のことだろう。
「何日くらいかかるんです?」
「早くて2日だ」
「あの巨大イノシシみたいな怪物も出るんですか?」
「ああ、塩を取りに行った仲間が死んじまうこともある。ヒヒッ」
そんなことをあっさり言われると、この世界の過酷さがかえって際立つ。死が日常に溶け込んでいるのだ。
その話を聞いたサリーが言った。
「それなら俺が取りに行くか?」
「おおっ、確かに天使なら飛んでいけるしな」
「空の怪物はいるんでしょうか?」
「ああー……いるなあ。人喰いカラスってのがいっぱい」
「ひ、人喰いカラス……怖そうですね」
ケルビーの顔が青ざめている。鍛えたとはいえ、戦闘経験はないので怖いものは怖いのだろう。
「それなら良い武器がありますよ。天界でこっそり作ったものです」
「え、槍ですか?」
「いいえ、ガラスです」
「???」
「ま、明日お見せしましょう」
今日はもうクタクタだ。
天界から追放されてまだ1日目……にしてはよくやった方だろう。衣食住は整えた。明日からはインプの防衛対策をして、野菜の栽培も始めよう。
そう言えば、堆肥の使用と引き換えに、防衛を約束する取引はどうなったのだろう?
フィンの姿を探していると、女の鬼たちに「待ちなッ!」と言われて囲まれてしまう。私が何事かと固まっていると、女たちの後ろから内気そうな女の子が顔を出す。
「ほら、せっかく作ったんだから。行ってきな」
「う、うん」
女の子はもじもじしながら私に持っているものを差し出した。
「これ、歯ブラシとコップ。あんたにあげる」
原始的な歯木と木のコップ、それに木炭の粉末だ。失礼ながら、ちゃんと歯磨きをする文化があるとわかって心の底から喜びが込み上げてくる。
「どうもありがとうございます。ちょうど欲しかったんです」
「別にあんたのためじゃないし」
そうは言うものの女の子は可愛らしくはにかんだ。
「それで、誰か探してんの?」
「フィン殿とお話したく」
「ああー、温泉入ってるよ。みんなで洗ってあげるの。あの毛玉ちゃんを」
おおっ、温泉もあったのか。
どうりでこの蛮族たちは思ったよりも清潔なわけだ。手は綺麗だし、臭いもない。
「あんたも温泉入るの?」
「ええ、では皆さんが入り終わった後に」
「なら石鹸も渡しておくよ」
やけに衛生観念がしっかりしているな。
「なかなかしっかりとした石鹸ですね」
「都市から支給されんのよ。こんなものより食べ物よこせって感じ」
そうそう、と別の女たちが頷いている。
「徴税人からうるさく指導されるんだよねえ。手洗い・うがいちゃんとしろとかさ」
「幽鬼先生の指示だって」
その話を聞きながら私は内心でクスリとした。発想があまりにも日本人すぎる。
想像するに、500年前の生活は酷いものだったろう。原始人同然の悪魔たちにこつこつ衛生観念を叩き込んだ幽鬼先生のことを想うと、だんだん彼のことが好きになってくる。早く会って感謝の気持ちを伝えたい。
だが会う前に実績を作っておかねばならない。第一印象は二秒で決まる。しかも一度決まれば、どうあがいても六ヶ月は覆らない。非常にシビアな一発勝負。
だから確実に良い印象を与えるのだ。垂直農法の技術を提供することによって。
少し仮眠した後、真夜中に起きて温泉に浸かった。ふう。
残念ながら土の地面に直接、横たわるので寝心地は最悪だ。ケルビーとサリーは天使の翼を毛布代わりにしている。羨ましい限りだ。
前世から睡眠の質にはこだわりがある。集中力とメンタルを維持するために真っ先に改善すべきだ。明日は簡易ベッドも作ろう。
その日は心身ともに疲れていて、私は土のベッドに倒れ込んだ。さながら地面と一体化したかのように、泥のように朝まで眠る。
次の日、私は屋上菜園をやっている例のビルに向かった。
硬い土の上で眠ったので、関節のはしばしを痛めている。でもそんなことはおくびにも出さず、背筋をぴんと伸ばして威厳を保った。これからインプの防衛について話し合うのに、弱々しい姿を見せるわけにはいかない。
「おはようございます。フィン殿はいますか?」
「ここだ」
彼は部屋の中央で横たわっていた。そのもふもふの体に女の鬼たちが枕代わりに身を寄せている。さぞかし寝心地が良いだろう。私も混ぜて欲しい。
「一緒に朝ごはん食べませんか?」
「お前が作るのか?」
「お肉ともやしの炒め物はどうでしょう。もやしを少しいただいても?」
「ふん……まあいい」
すぐには本題を切り出さず、私とフィンは外で食事の準備をする。
昨日、状態の良いフライパンも拾ってきている。錆まみれではあったが、レーザーを照射すると、錆(酸化鉄)はレーザーエネルギーを吸収して気化・剥離する。だが下の金属本体は反射率が高いため損傷しにくい。
そのフライパンにイノシシの脂を敷いて、『ルクス』でフライパンの底を加熱しつつ肉ともやしを炒める。
フィンは特に驚いてなさそうだが、モヒカン2名は物珍しそうにその調理方法を眺めている。
「その鉄板ってそうやって使うのか?」
「美味しいのか、それ。ヒヒッ」
そうか、炒めるという調理方法を知らないのだ。陶器や土器では煮るか蒸すのがせいぜいで、油で熱すると割れてしまう。使えそうな鉄板は徴収されて残っていないのだろう。
するとフィンが説明してくれる。
「これは炒め物だ。都市の方じゃ一般的だがな」
「フィン殿は都市に詳しいですねえ。元々、何をされていたんです?」
「……お前には関係ない」
だが、ナイフマンが口を挟んだ。
「あれだろ。ダンジョンぼうけんしゃ――」
「誰が話していいと言った? タカハシ」
待て待て。とんでもないワードが飛び出してきたぞ。ナイフマンの名前がタカハシなのもまあまあ意外だが。
『ダンジョン冒険者』と言ったのか?
いよいよファンタジーじみてきた。いや、角を生やした鬼や二足歩行のオオカミがいるのだから、ダンジョンくらいあってもおかしくないが。
人間は悪魔転生して異形化したが、地球まで転生して異世界になったのかと思えてくる。
少なくとも巨大イノシシのような魔物が跋扈していることは確かだ。魔核とかいう謎の物質もある。確かに地球は以前とは様子が異なっているようだ。
ダンジョンというのは、あのRPGでよくあるようなダンジョンか? しかも冒険者という職業が成立しているなら、冒険者ギルドなるものもあるかもしれない。
誰だ? 荒廃した地球を面白く魔改造しているのは?
これがルシファーの仕業ならお慕い申し上げてしまうかもしれない。でも、何となく違うような気がする。『指導者』と『信仰力』、頭に直接語りかけてきた謎の声――もしこれが神の御業だったとしたら?
そもそも神が完全性を失って消滅したというのは、私がそう思い込んでいるだけだ。幼少期に刷り込まれた異端的な教義のせいで。案外、神はぴんぴんしているのかもしれない。
仮にそうだったしても地球を面白おかしくする目的は何なのだ?
大体、そんな力があるならメタトロンに声くらい聞かせてあげればいいのに。
『指導者』のことも『信仰力』のことも、今は何もかも推測の域を出ない。
それは幽鬼先生に聞くとして、せめて今はダンジョンや魔核のことを知りたい。
できればフィンを壁際まで追い詰めて、答えを吐くまで耳元で連呼してやりたいところだが、そんなことをしたらせっかく築き上げた信頼が一瞬で崩れてしまう。
踏み入った質問をするにはまだ友好度が足りないようだ。それで仕方なく、私はもっとささやかな質問をする。
「それはそうと……塩を切らしていると聞きましたが、代わりに何か調味料ってあります?」
「去年作って保存した粉山椒がある。風味は落ちているがな」
「それは素晴らしい。何もないよりはマシかと」
粉山椒の作り方は自分たちで気付いたのだろうか。彼らは彼らなりにこの環境の中で工夫し、精いっぱい生きているのだ。
肉を炒めている間に、フィンが粉山椒を持ってきてくれる。確かに風味は落ちているが、それでもピリッとした辛味と柑橘系の香りが残っていた。
炒め終えると、それをいくつかの陶器の皿に盛り付け、粉山椒をまぶしていく。
それからフィンとサリーやケルビー、それに今日も家造りを手伝ってくれるモヒカン2名と朝食をとる。
「炒め物ってうめえ!」
「ヒヒッ、お前の監視役になって良かったぜ」
「ちょっと! ルシエルさんの監視役は私だけですからね!」
「エレガントな味だ」
そんな微笑ましいやり取りを眺めつつ、ご飯を食べる。
「ルシエル」
フィンが隣にやって来てちょこんとお座りする。
「昨日の取引のことだが」
私は静かに頷きながら、フィンの言葉を待つ。
「お前にインプの防衛を頼みたい。代わりに好きなだけ堆肥を使っていい。土器のプランターも貸してやる」
それを聞いて私はゆるりと立ち上がり、恭しく一礼してみせる。
「かしこまりました」




