第25話 山分け
「なぜ急に襲ってきたんです?」
電気で痺れているフィンを見下ろしながら、私は静かな口調で言う。
「……俺の獲物を奪おうとしたからだ」
「獲物って、あの巨大イノシシのことですか?」
「他に何がいるんだ?」
それならそうと言ってくれればいいのに。
「ただ危なそうだから倒そうとしただけですよ。食べても美味しくなさそうですし。それとも食べられるんですかね、あれ」
「食べられる」
「ほう、それなら山分けしましょう」
「なぜお前を信じられる? 協力して倒した後、裏切るかもしれないだろうが」
その言葉からして、彼は仲間に裏切られた経験があるのだろう。瀕死で倒れていた原因はそれだ。
「私はあなたを殺すこともできた。でも、このとおり、何もしていない。2度も殺そうとしてきた相手とお話している。それでも信じられませんか?」
そう言うとフィンは否定できなかったのか、ぐるると唸る。
体の痺れが収まったのでゆっくりと身を起こす。
「とにかく協力などせん」
まったく、この頑固な人間不信オオカミめ。
私だから良かったものを、好戦的な人間ならフィンを殺し、蛮族たちをも生かしてはおかないだろう。彼の行為はむしろ蛮族たちの印象を悪くし、危険に晒している。
それだけは注意しておかねばならない。彼のためにも、蛮族のためにも。
だが、正論を言うのは最悪の一手だと過去に学んでいる。私がすべきなのは説教ではなく、「自覚の促進」だ。
「わかりました。それでは別の獲物を探すことにします」
そう言うと、私は自分の着物の袖をつまみながら嬉しそうに言った。
「ところで、この着物なんですけど。アサミさんたちが見繕ってくれましてね。サイズもぴったりで動きやすいんです。彼らにはとても感謝していますよ」
「……だから何なんだ?」
「私は彼らを気に入っているということです。蛮族たち――という名称しか知らないのですが、部族名ってあります?」
「『天上天下唯我独尊』だった気がする。奴らは発音できないがな。旧世界の遺物にそう書いてあって、文字の形だけ受け継がれている」
たぶん、どこかの暴走族の名前だろう。
「でもそれならまだ蛮族の方がマシかもしれん」
「同感です。蛮族の方が格好いいですよ。フィン殿は、どういった経緯で彼らと?」
「……お前には関係ない」
「これは失礼しました。ただ――初めてお会いした時から、よく伝わってきましたよ。フィン殿が彼らをいかに大切にされているか。私という脅威から守ろうとされていましたから」
「……まあ、恩があるからな」
「蛮族の皆さんも――あなたを心から慕っていますよ」
するとフィンは照れくさそうに「ふん」と鼻を鳴らす。
「ですが……私を襲うというあなたの行動は、結果的に誰を一番危険に晒したと思いますか?」
この質問によって――
フィンは強制的に「思考させられる」。説教や命令は一方通行なので「聞く・聞かない」の選択肢がある。反発してシャットアウトすることもできる。
しかし人は問いかけられると、脳がその問いを無視できず、自動的に答えを探しはじめてしまう。
「それは……」
考えながら、フィンは私を見つめる。彼は私からいくつかの情報を得る。「ルシエルの方が強いので許している」というスタンスと、「運が良かっただけだ」という事実と。
そこからさらに思考が進み――「もしルシエルが好戦的な人間だったら? 自分は倒され、その後、蛮族はどうなっていた?」と、現実に起こり得た最悪のシナリオを想像する。
そして問いかけは「自分で答えを見つける」プロセスを与える。人は他人から与えられた答えには反発するが、自分で見つけ出した答えは、誰よりも信じ、大切にする。
しばらくすると、フィンは絞り出すように言った。
「ああ……そうだな。俺の行動は浅はかだった」
時としてたったひと言の問いかけが、停滞した場の空気を動かし、凝り固まった人の心を溶かし、終わっていたはずの関係を再生させる。
だから私はよく問いかける。それは相手の存在そのものを認め、尊重しているというメッセージにもなる。誠実な問いかけは、乾いた心に染み渡る水のように、驚くほどの効果を発揮するのだ。
その時――周りを覆っている黒い煙が晴れた。
「それでは改めて……あの巨大イノシシを一緒に狩りませんか?」
気が付くと、巨大なイノシシがびっくりするほど近くにいた。戦闘の物音を聞きつけてやって来たのだ。私は赤外線レーダーで気付いていたけれど、フィンとの対話を優先したくてあえて無視していた。
巨大イノシシは私たちの姿を見つけると、後ろ足で地面を何度も踏みつける。
ドン、ドン、ドン――。
威嚇しているのだろうか。
土煙が舞い上がり――次の瞬間、巨大イノシシは後ろ足で力強く地面を蹴った。木々をなぎ倒しながら突進してくる。
そこで私は素早くフィンの背中に飛び乗った。彼は何も言わずに地を蹴ると、ひとっ飛びで何メートルも跳躍してみせる。
凄まじい突風。巨大イノシシの突進が空を切る。勢い余って行き過ぎるが、地面スレスレまで横に倒れながら大きくカーブしている。そして再びこちらへ突進してきた。
「頭は硬い。前足の付け根を狙え」
しかしレーザーの充填までもう少し。フィンに言われた通り、前足の付け根に狙いを定める。頭が下がって鼻に隠れているが構わない。この出力なら貫通する。巨大イノシシの迫力のある顔面がもうすぐそばまで迫る。
一人だったら大慌てしているところだが――
フィンなら避けられると信じている。フィンの方も、私が仕留めると信じてくれている。おかげで私は落ち着いてエネルギー充填を完了した。
そして目と鼻の先に迫っている巨大イノシシに向かって、レーザー砲を放つ。
轟音と共に、空気が引き裂かれた。
収束した光の奔流が一直線に突き進み、巨大イノシシの前足の付け根を貫く。
照射点で組織が瞬時に蒸発し、レーザーの通り道に沿って爆発的な水蒸気の膨張が起こる。組織内部の水分が一瞬で気化し、体積が千倍以上に膨れ上がる。
皮膚、筋肉、内臓、骨――あらゆる組織が内側から引き裂かれ、炭化し、気化していく。
イノシシの体内を光が暴れ狂う。数千度の熱量が生み出す衝撃波が、獣の巨体を内側から破裂させていく。
ドォォォンッ!
巨大イノシシは――ゆっくりと、まるでスローモーションのように崩れ落ちた。体の中心に風穴が開き、焼け焦げた肉から白い煙が立ち昇っている。瘴気のような黒い霧が体から抜けていき、獣はもう二度と動くことはない。
「お、恐ろしい奴だな」
思わず口をついたという調子で、フィンは感嘆の声を漏らす。
「いえ、我々の協力の賜物です」
フィンの背中から下りながら――モフモフとおさらばするのは名残惜しいが――私は優雅に微笑む。
「『魔核』ごと消し飛ばしてしまったか……幸い、光魔法だから瘴気も体から抜けてくれたな。それなら食べられる」
「………………魔核とは?」
私が聞き返すと、フィンは何やらためらう素振りを見せた。
「何でもない」
いや、気になりすぎる!
魔核……ファンタジーに出てきそうな用語だ。巨大イノシシは魔物のたぐいだったとして、その原動力となる核のことか?
どうやら瘴気とも関係があるらしい。サリーの話によれば、瘴気は植物や動物の生命力を奪う。だが、あの巨大イノシシは瘴気をまとっているように見えた。つまり魔物は瘴気に適応している、と考えられないだろうか。
そして魔核は瘴気を浄化する特別な器官。いや、単に浄化するだけではない。それをエネルギーに変換している可能性がある。そうでなければ、あんな巨大生物が生きていけるはずがない。
だとすればその魔核で瘴気除去装置を作れるのではないか。しかも瘴気を取り除きつつ、それをエネルギーとして抽出できそうだ。
しかし幽鬼先生だけが瘴気を除去できるなんて妙だ。魔物から採取できるなら誰でも除去できるような気もするが……
今のところ考察できるのはここまでだ。
なぜフィンは教えてくれないのだろう? まだ完全に信用したわけではないということか。
そう思っていたら、彼が踵を返して去ろうとするので私は慌てて引き止める。
「待ってください。山分けするのでは?」
「……俺が邪魔をしなければ、お前は一人で倒せていただろう。そいつはお前のものだ」
「でも実際はあなたも……いえ、君も一緒に働いたでしょう?」
ちなみに私は、仲良くなった相手の二人称が『君』になる。
「働いたらそれに見合う分の対価を支払う。当然のことです。それに大きすぎて食べきれませんので、蛮族たちにも分けてあげてください」
その時、フィンの中で何かがフラッシュバックしたようだ。
昔の記憶――それも裏切られた時のことを思い出しているのだろうか。そのかつての仲間と私の誠実な対応の差に、しみじみと感動を覚えたのかもしれない。しばらく放心した後に、柔らかい表情で言う。
「……そう、だな」




