第21話 蛮族と握手する
「ルシエルさんの監視役は私だけですよ」
そう言いながら、ケルビーは私の新しい見張り役・ナイフマンと賢いモヒカンに槍を向ける。
名前は聞いてないのでそう呼ばせてもらおう。あちらも私のことを天界のお坊ちゃんと呼んでくることだし。
「な、なんだあ? やんのかコラ」
「調子に乗らないでください。私は悪魔には容赦しませんよ」
「まあまあ。仲良くやりましょう」
ケルビーの苛立つ気持ちはよくわかるが、私は悠然と構えて先に歩き出す。
モヒカン達は集落の外れにある空いている物件まで案内してくれるという。
「ちなみに……インプの現れる時間帯と場所はわかりますか?」
歩きながら私は賢いモヒカンの方に尋ねる。白いオオカミの獣人・フィンには聞けなかった質問だ。
あの疑り深いオオカミくんは話せば話すほど私の印象が悪くなるので、別の人間から聞き出す必要があった。
「ヒヒッ、奴らは突然やってくる。今日は夜が明ける前に来た」
「大体、1日に1回くらいだけどな。この辺りによく出るが、時間も場所もバラバラだ」
少し考えてから、私はさらに質問する。
「例えば瘴気の近くに現れる、などの傾向もありませんか?」
「けいこう? 難しい言葉つかっていい気になってんじゃねえぞ!」
「瘴気とゲートに何らかの繋がりがあると思ったのですが……本当にバラバラということですね?」
「最初からそう言ってんだろ。ヒヒッ、俺のほうが頭いいのかもな」
これくらいでは私も苛立ったりしない。
もし地獄のゲートをルシファーがコントロールしているなら、時間帯は夜が多くなるはずだ。それにこんな蛮族の都市を襲い続けたりはしない。
言葉通り、ゲートはランダムに開くのだ。といっても、開きやすい地域とそうでないところはあるらしい。
これは良い知らせだ。ルシファーが地獄のゲートを自由に操れて、他の『指導者』の邪魔をできるとしたらあまりに有利すぎる。だがそれも、信仰力によっては状況が変わるかもしれない。
「では1日中、見張りを立てているのですね。襲撃があったら大きな音で合図が出るのですか?」
「ああ、そこら中にある鉄骨をガンガン叩くのさ。こいつでな」
そう言って、賢いモヒカンは背中にある錆びた鉄パイプをこんこんと叩く。
「我々が来た時には鳴りませんでしたね」
「あん時は不意打ちしたかったからな。フィンがそう言い出したんだ。あいつは賢いヘルハウンドだぜ」
「そう言えばフィン殿だけ違う種族ですが、彼はここに来て長いんですか?」
「いんや、一番の新参者だ。ヒヒッ」
そこでナイフマンが口を挟んだ。
「俺が瀕死のあいつを助けてやったんだ。へへへ」
「……誰にやられたんですか?」
「さあなあ。あいつは無口な奴だからな。とにかく酷い怪我だったぜ。この世界じゃ珍しいことじゃねえ」
「ここはあまり余裕がなさそうですが、よく受け入れましたね」
「だってヘルハウンドだぞ? 格好いいじゃねえか。モフモフで冬はあったけえしよ。で、俺らはあいつを飼ってやることにしたんだ」
どちらかと言うと、飼われているのは彼らのように見えるが。
しかしペットと人間の上下関係が逆転するのはよくあることだ。いつの間にか人間の方がペットに従っているという。私も猫を飼っていたのでよくわかる。
結局、フィンが蛮族たちに可愛がられていることしかわからなかった。瀕死で見つかったというから、きっとその経験があの疑り深い性格に繋がっているのだろう。
「さて、あれがあんたらの家だぜ」
賢いモヒカンが指さした先には、瀕死の建造物があった。
おそらく元は5階建てくらいのオフィスビルだったのだろう。だが今や上層階は跡形もなく崩れ落ち、錆びた鉄骨が折れ曲がって空を突いている。
1階部分だけが、かろうじて建物としての体裁を保っている。外壁のコンクリートは蔦に覆われ、ひび割れた表面からは鉄筋が飛び出している。
窓枠はすべて失われ、黒い穴が不規則に口を開けていた。その穴から吹き抜ける風が、廃墟特有の低い唸り声を立てている。
入口らしき場所には、瓦礫が無造作に積み上げられていた。バリケードのようにも見えるが、単に崩落した破片が溜まっただけかもしれない。
「……なるほど。確かに『空いている』ビルですね」
私は微笑みながら言った。空いているどころか、構造が半分空中に消失している。
「ヒヒッ、気に入ったか?」
この賢いモヒカンは私の皮肉に気付いている。わざとオンボロの物件をあてがって、私たちがタダで修理することを期待しているのだ。
「ふざけているんですか?」
怒ったケルビーがまた槍をかまえる。
そこで私は手で槍を制しながら、賢いモヒカンにニコニコしながら言った。
「とても素晴らしい物件です! 紹介していただきありがとうございます」
「……え? お、おう。壁を塞げばなんとかなると思うぜ。ヒヒッ」
その反応からして、彼があまり良い物件だと思っていないことは明らかだ。
「なあ、ルシエル。お前は優しすぎるぜ」
するとサリーが賢いモヒカンとナイフマンの肩に手を置きながら、静かな口調で言った。
「こういう連中は一度、痛い目を見ないと学習しないだろうよ」
「ヒヒぃ」
「お、俺らに何かあったらフィンが許さねえぞ!」
さすがにサリーのことは怖いらしい。この蛮族たちはわかりやすい脅威には、わかりやすく従順さを示す。
一方、私のことは無数の矢を防いだにも関わらず、まだ弱そうだと思われている。確かにあの後、サリーが槍でビルを破壊していたので、そちらの方が印象に残ってしまったかもしれない。
「サリーさん。彼らを放してあげてください。質問したいことがありましてね」
「むう……」
不満そうに唸りながら、サリーはモヒカン2名を放してあげる。
「さて、私は1ヶ月後にここを立ち去る予定です。つまりこの土地はひと月後にはあなた方のものになる」
「こんなのもらってもなあ。住めるかよ、こんなとこ」
とうとうナイフマンが本音を漏らしたので、賢いモヒカンが慌てて彼を肘で小突いた。
「バカッ、ほんとのこと言うんじゃねえ!」
「もちろん住める状態でお渡しします。それならどういう建物にしたいのか、この土地の正当なる持ち主である皆さんにご意見をうかがいたく」
「ご意見だあ~~?」
「つってもよお。他のビルと同じように修復して、住めるようにしてもらえりゃ何でもいいや」
「屋上も必要だな」
「ふむふむ。屋上が必要なのは、作物を育てるためですね?」
「ヒヒッ。一時期はインプに荒らされて飢え死にしかけたからな。多けりゃ多いほどいい」
私はうんうんと頷きながら言った。
「要は野菜を育てられて、住める家がほしいと。それならどんな形でもいいですよね?」
「まあ、こだわりはないな」
「ちなみにビルの修復はすでに試みましたか?」
「え? ああー……」
「やったけどお~~」
「修復を試みたが、上手く行かなかった。ということですね?」
「うん」
「そういうことでしたら、私にも手の施しようがありません。皆さんの高度な技術をもってしても修復できなかったのですから」
これは皮肉でもなんでもなく、さすがに私にもビルを建設する技術はない。むしろ500年も既存のビルを補修し、使い続けている蛮族たちの技術力は相当なものだと感心している。
「でも住めるようにするって言ったじゃねえか。ヒヒッ」
「はい。そこでご提案ですが……」
そう言いながら、私は手のひらに3Dホログラムを表示してみせた。
ホログラムの原理は光の干渉だ。2つ以上の光波が重なり合うと、波の山と山が重なる部分は明るく、山と谷が重なる部分は暗くなる。この明暗のパターンを空間の各点に作り出せば、立体映像が浮かび上がる。
要するに『ルクス』で複数の光源を生成し、それぞれの波長・位相・振幅を精密に制御するだけだ。映し出しているのは歴史の教科書でおなじみの竪穴式住居である。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
予想以上に驚くので私の方が引いてしまう。が、SF映画か何かで見慣れていなければ、立体映像が空中に浮かぶなど信じられないだろう。
ケルビーも目を輝かせ、興味津々にホログラムを突いている。
「これ、メタトロン様がやっているのを見たことあります!」
ほう、メタトロンもなかなかやるな。こういうモヒカンたちといると、論理が通じる相手と会話できることの幸福を、今さらながら噛み締めている。彼がもう少し柔軟な男だったなら……
いや、まだ堕ちてきたばかりだ。メタトロンを恋しがるには早すぎる。
そこで私は意識を目の前のモヒカンたちに戻した。
「ホログラフィー技術と言います。で、提案というのはこの土地に新しい家を作ることです」
「こんな家、見たことねえや」
そう言われると奇妙だ。先史時代には世界中どこでも一般に採用された家だというのに。
500年前、悪魔転生者たちには前世の記憶がなく、ほぼ原始人だったはずだ。
だが旧世界のビルを補修する方が楽だったし、新宿エリアでは特に屋上菜園の必要性があった。防衛上の利点もある。そういうわけで、竪穴式住居は作られなかったのだろう。
「竪穴式住居といいましてね。単純な構造ですから作るのは簡単ですよ」
「でもよお~~これ、屋上がねえじゃん。どうやって野菜育てんだあ?」
「建物の中で育てます」
「ヒヒッ、やっぱお前、頭悪いな。野菜はお天道さまの光がないと育たないんだぜ」
「もやしとかいわれ大根なら話は別だがなあ!」
彼らはもう光魔法の存在を忘れてしまったのだろうか?
「……光魔法が太陽の代わりになります」
「あ、ああ……わかってたぜ。俺は」
「それに半地下構造ですので、室内の温度が一年中一定に保たれる。夏は涼しく、冬は暖かい。屋上よりもずっと野菜を育てるのに適した環境なんですよ」
しかしその説明をしている時、彼らは露骨に退屈そうな表情をする。正確な説明より、イメージを伝えるべきかもしれない。
それなら少し面白くしてやろう。
そこで私は竪穴式住居の内部のホログラムを別に作成する。
さらにその中に、ナイフマンと賢いモヒカンの特徴を誇張した小さなホログラム人形も作成する。彼らは両腕いっぱいの野菜――小松菜、ラディッシュ、水菜――を抱えている。
今、彼らの屋上で育てている貧相な野菜とは比べ物にならないほど立派だ。
「おお……?」
その二人の近くには、フィンの姿をしたホログラム人形が口をあんぐりと開けて驚いている。周囲には蛮族たちの人形も配置され、目を見開き、指を差している。
「ヒヒッ、おもしれーなこれ」
「こんなふうにみんなを驚かせてみたいでしょう?」
人が欲しがるのは商品ではない――その商品を手にした後の、理想の自分だ。
ホログラムならそれをわかりやすく伝えられる。
「だけど俺たちゃ光魔法を使えねえぜ。魔力はあるけどよ。でも属性が違うし、上手く使えねえんだ」
確か知性が高いほど、より強力な魔法を扱えるとケルビーが言っていた。残酷だが彼らには知性が足りない。
しかし教育次第ではどうにかなるのだろうか?
そうだとしたら、この国を強くするために教育は重要な役割を果たしそうだ。いつか学校について考える時が来るかもしれない。
「それならご心配なく。私が光で照らし続けるので。ここを旅立って、幽鬼先生を説得している間もね」
その言葉に驚いたのはケルビーだ。
「ええ!? そんな魔力あるんですか、ルシエルさん」
「実は天界でも実験しておりまして。1年くらいずっと、とあるシステムを稼働し続けてました」
「さすが知性きゅうひゃく――」
「それは言わない約束です」
恥ずかしいのだ、あのステータスは。
「ヒヒッ。こんな家、インプどもが来たらあっという間に荒らされちまうぜ。どうやって守ればいいんだ?」
「自動で迎撃する防衛システムも作りますよ。この家だけでなく、他の屋上菜園も守れます」
するとナイフマンが、ナイフを舐めながらドヤ顔を浮かべる。
「ほんとにそんなことできるのかあ? 天界のお坊ちゃん。そんなひょろひょろのがたいでよ」
「ハッタリじゃねえだろうな? ヒヒッ」
「ええ、もちろん」
不敵な笑みを浮かべながら、私はその挑戦に受けて立つ。
「とりあえず、あのビルを片付けます。かまいませんよね?」
「できるもんならなあ~~」
では……と、ひとこと添えてから、私はボロボロのビルの方に向かって『ルクス』と唱える。無詠唱でもいけるが、演出のためにあえて口に出した。
たちまち大きな光の球体が現れ、ビルの基部を包み込む。
「うわっ、まぶしっ!」
モヒカンたちは眩しさに目を覆っている。仕方ない。眩しくないように偏光サングラスの魔法をかけてあげよう。彼らの目の前に薄い光の膜を作り、特定の波長だけを遮断する。ケルビーとサリーにも同じようにしてあげた。
「もう見えると思いますよ」
「お、おう……」
そう言うとモヒカンたちは恐る恐る手を下ろし、目を見開いた。
「どうなってんだこりゃあ」
それから段階的に、私は魔力の出力を上げていく。急激な加熱は周囲への影響が大きすぎる。ゆっくりと、しかし確実に。
すぐに光球の内部でコンクリートと鉄骨が赤熱し始める。構造材が融点に達し、建物の下層部が構造を失う。
ゴロゴロゴロ……
上層階が音を立てて崩落し、次々と光球の中へ呑み込まれていく。光球の奥で、ぼんやりと赤く輝く溶融金属の影が渦巻いているのが見える。
周囲の空気が陽炎のように揺らいでいる。
さらに出力を上げる。
溶融した物質が沸点に達し、気化し始める。
白い煙のような金属蒸気が立ち上り、光球の内部が霧で満たされていく。
もう内部は見えない。
私は光球を徐々に収縮させながら、残留した物質を完全に分解する。
エネルギーを収束させ、最後の固形物を気化させる。
光が消えた瞬間、高温の気体が一気に拡散し――
ボンッという音とともに透明な熱波が四方に広がる。
空気中に薄い霞が漂うが、すぐに風に吹かれて拡散していく。
そしてビルがあった場所には、もう何も残っていない。完全な更地だ。
さて。
「ご覧のとおりです」
わざとモヒカンたちの耳元でささやくと、2人ともびっくりして転びそうになる。私は彼らの腕をつかんで支えてあげた。
「おっと、危ないですよ」
「あ、ああ……」
「それで、新しい家を建てる計画についてどう思います?」
強い光にあてられたせいか、2人はなんだか放心している。初めてカメラのフラッシュを浴びた原始人のように。
「いいと思う」
それを聞いて、私は彼らの方へ優雅に手を差し出す。
「ありがとうございます! 一緒に素敵な家にしましょう」
しばらく待っていると、ナイフマンと賢いモヒカンは手を握り返してくれる。その握手は力強く、私を恐れている様子はない。ただ私のことを信頼してくれている。
まず私は質問をして彼らの望みを聞いた。それはとりもなおさず、相手を尊重しているというメッセージになる。先にそれをしたから、私が力を誇示するだけのごろつきではないと、彼らはわかっているはずだ。
まあ、ちょっとだけビビらせたのはご愛嬌ということで。




