第19話 なぜ人はモヒカンになるのか
「どんな野菜を育てているか見せてくれませんか」
すでに27個の白パンを渡した後だ。
フィンはリュックサックごと白パンを持って行くと、モヒカンたちのいるビルの中に入っていく。やろうと思えば彼らは取引を踏み倒すこともできる。
だがフィンはモヒカンたちを説得してくれたのか、我々をビルの中に招き入れてくれた。
一見、ビルの入口は瓦礫のバリケードで上から下まで塞がれているように見える。インプの侵入を防ぐためだろう。
フィンがひときわ大きなコンクリート片を持ち上げて、わずかに横へずらすと、腰をかがめれば通れそうな抜け穴が現れる。瓦礫の内部に空洞があり、そこからビルの中に入れるようだった。
どうやら瓦礫のトンネルは、金属製の瓦礫を溶接して組み合わせているようだ。都市から金属同士を接合する技術は伝わっているとみえる。でたらめに組み立てられているように見えて、思ったよりも頑丈なのだろう。そう信じたいだけだが。
「……オレは入れんな」
その入口は明らかにサリーのサイズには作られていない。フィンが彼の天使の翼を指さした。
「お前の翼は飾りか? 飛んで屋上に行けばいい」
「ああ、そうしよう」
するとケルビーは不安定な瓦礫のトンネルを覗き込んで言った。
「私も飛んでいくことにします」
となると、この地震が起きたら下敷きになりそうな瓦礫のトンネルを通るのは私だけになる。天使の翼が羨ましい。なぜ『聖別者』には翼がないのだろうか?
そう思っていると、フィンが私の全身を上から下まで眺めて怪訝そうに目を細める。
「お前は天使ではないのか。金の輪っかも翼もないが、光魔法を使える。……お前は何者だ?」
「元人間です。あなた方と同じ」
「人間か……ヘルボーンどもがそう呼んでくるが、いまいちピンとこない。旧世界の絵を見ると、牙も角もなかったようだが」
それにふさふさの毛も。フィンが四つん這いになると本物のオオカミに見える。
そうして瓦礫の穴を潜り抜けていくフィンの後ろに私も続く。白い尻尾がゆらゆらと揺れて私の鼻をくすぐるので、ちょっと幸せな気分になった。動物が好きなものでね。
無事に瓦礫の下をくぐって中を見渡す。床には無数のヒビが入り、壁という壁には亀裂が走っている。
天井からは鉄筋が剥き出しになって垂れ下がり、コンクリート片がぽろぽろと落ちてきそうだ。床は木の板や金属フレームで補強されているとはいえ、床が抜けそうでヒヤヒヤする。
「ビビってんのかあ~~~? 天界のお坊ちゃんよお~~」
「すげえ姿勢いいじゃねえか、この野郎!」
「やべえ……立っているだけでも気品を感じるぜ」
「おめえがビビってんじゃねえか」
モヒカンたちはうんこ座り――こほん、失礼、いわゆるヤンキー座りをしながら私を遠巻きに見ている。みんな1本か2本の太い角を生やしており、牙が目立つ者もいる。
たぶん、悪魔転生して鬼になったのだろう。肌はそれほど赤くはないけれど。
よく見るとツギハギだらけの麻の着物を縄で無造作に腰に括りつけている。縄は麻縄や、布を裂いて撚ったものだろう。中には革のベルトのようなものを使っている者もいる。
袖はわざわざ引き裂いたのか、みんなギザギザだ。おそらくファッションだから、「着物、破れてますよ」などと指摘してはいけない。
ほとんどの鬼たちの右腕の肘前には、二本線の刺青が入っている。大多数はその刺青で、別デザインの刺青が入っている者もいる。
その時、思い浮かんだのは江戸時代の入墨刑だった。あれは犯罪者に入れるものだが、ひと目で蛮族だとわかるように目印としているのだろう。
察するに、二本線の刺青は元から新宿エリアにいた蛮族で、ところどころ違うデザインの刺青の鬼は、近隣都市で犯罪者として追放された者だろうか。
そして一番気になるのはモヒカンだ。モヒカン。なぜ人はモヒカンになるのだろうか?
いやいや、冗談ではなく本当に不思議だ。通常、髪型には社会的メッセージが込められている。ヤンキーの奇抜な髪型は反社会的アイデンティティの表現として、既存の社会規範に対する反発を髪型で示している。
それからグループ内での地位や個性の主張、そして何より注目を集めたいという承認欲求の現れ。
でもこの荒廃した世界ではもっと実用的な理由がありそうだ。髪の面積が少なければ貴重な水を無駄にしなくていいし、戦闘においてはニワトリの鶏冠みたいに相手を威嚇できる。
あるいはそんな深いことは考えておらず、500年前に世紀末系の格闘漫画でも見て、モヒカンを至高のスタイルと崇めたのかもしれない。
どう見てもモヒカンは雑魚敵として描かれていたはずなのに、悪魔転生者には前世の記憶がないので勇敢な戦士に見えたのだろう。そう言えば「旧世界の絵」と彼らは時々言うが、それは漫画のことに違いない。
そんなことを考察していると、女の鬼たちが口を開いた。
「あんたら、失礼な態度はやめときな」
「白パンくれたんだから礼を言うんだよ」
「ありがとね、イケてるお兄さん。後でいいことしてあげるよ」
女の場合はモヒカンではなく、髪のサイド部分を刈り上げて一つ結びにしたりしている。
「ちっ、ああいうのがモテるのか……!」
「俺らも背筋をピンと伸ばせばいいのか?」
こういう話題にはなんと返したらいいかわからないので、私は困ったように微笑みながら言った。
「いえいえ、白パンを持ってきたのは私の友人、ケルビーさんですからお礼は彼女に言ってください」
私が声を発した瞬間、若い女の鬼たちは互いに手を合わせたりして色めき立った。
「ねえ、あの人ヤバくない?」
「天使なんか論外だって思ってたけど」
「ちょっと細っこいのがねー。筋肉がないと」
「でもあたしらの弓矢をぜーんぶ焼いちまった奴だよ」
ひそひそ声が聞こえてくるが、私は聞こえないふりをする。信用を得るために今は白いアイマスクを外しているとはいえ、外見だけで注目されるのはやや居心地が悪い。
「にしても自分を殺そうとした相手によくそんな優しくできるね。あんた、強いんだろ?」
「まあ……強くなろうとはしていますよ。強くなければ優しくできませんからね」
「強いなら優しくする必要ないだろ。あたし達から何もかも奪うこともできるのに」
「これはある男の受け売りですが……」
これから言うセリフは少し照れくさかったので、私は体をわずかに横に向けてこう言った。
「『強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない』――私も信条としていましてね」
「ふうん……見かけによらずタフなセリフを吐くじゃないか。痺れたよ」
そりゃそうだ。ハードボイルドの祭壇に祀られている探偵、フィリップ・マーロウのセリフなんだから。
私もまた卑しき街を行く、卑しき男のようにありたいものだ。もっとも、自分のことは怠惰で汚れなき生き物だと思っているけれど。今のセリフは私が言うにはやはり格好良すぎるな。
内心で照れている私に向かって、フィンが苛立った様子で声をかけてくる。
「いつまでペラペラ喋ってる? 野菜の種を受け取ったら、さっさと出ていけ」
「あー……できれば1ヶ月ほど滞在したいのですがね。野菜を育ててから出発したいもので」
その瞬間、モヒカンたちが弾かれたように笑い声を上げた。
「ハッ! どこで育てるつもりだ? 屋上は俺たちの土地だぜ」
「もやしなら室内で育てられるけどな」
「ばっきゃろう! もやしだけはぜってえ渡さねえ。かいわれ大根もな」
……もやしとかいわれ大根に対する執着は何なのだ? どちらも暗所栽培向きの野菜で、農地の少ないこの場所では重宝されているのだろうか。
それにしても奇妙なことがある。彼らの言い草だと、まるで屋上以外では栽培できないかのようだ。
確かにインプの侵攻はあるだろう。だが500年もの時を経て、この元大都会は自然に飲み込まれつつある。実際、外には木々が生い茂り、蔦が建物を這い回っている。土壌も形成されているはずだ。
それなのになぜ、地上で栽培しようとしないのか?
何か他に理由があるのか——
まあいい。大体、誰が外で育てると言った? 私には日光など不要だ。光魔法があるのだから。
モヒカンたちには笑わせたままにしておいて、私はフィンに続いて屋上へ向かう。
階段は崩落していたが、蛮族たちは廃材を組んで急な木製スロープを設置していた。手すりもなく、踏み板も心もとない。フィンは四つ足になってすいすい上っていくが、私は板の表面に手を添えながら慎重に進んでいく。
ようやく屋上に行くと一息ついた。このガタガタの建物に慣れるにはしばらくかかりそうだ。
「おお、立派な菜園ですね」
さっきのこともあって、「思ったよりも」という副詞句を付けてやるつもりだったが、本当に立派だったので感心してしまう。
土器のプランターが整然と並べられ、濃い緑色の、形の良い葉っぱが風に揺れている。よく見ると葉の縁がところどころ茶色く変色しているのは気になるが。
パッと目に付くのはラディッシュだろうか。かの有名な二十日大根だ。土を押し上げるようにぷっくりと盛り上がった、直径1.5から2センチほどの赤い球体。
「あれはもう収穫できそうですね」
「言われなくてもわかってるよ!」
女の鬼がそう言いながらラディッシュを引っこ抜く。丸々とした赤い姿が出てくると期待していたのに――形は歪んでいて思ったよりも膨らみが足りない。栄養分が不足しているせいだ。
私も家庭菜園で似たような失敗をしたことがあるが、見た目は悪くても味は問題なかった。
でもそれが普通の見た目だと思っているのか、女の鬼は特に表情を変えず、竹で編んだ収穫カゴに痩せたラディッシュを入れていく。
そこで私はフィンの方を振り返って言った。
「ここで育てている野菜をすべて教えて下さい」
「小松菜・チンゲンサイ・ラディッシュ・水菜・ネギだ」
ふむ、野菜の正式名称は伝わっているのか。幽鬼先生が農業を発展させるために名称を統一させたのだろう。
「どのように育てているのですか?」
「なんでそんなことを聞く?」
「こういう環境で育てるのは初めてですので、勉強させていただこうかと」
「……教える義理はない」
しかし私は勝手にビルの屋上の縁まで歩いていき、少し離れた場所で山盛りの土をかき混ぜている鬼たちを指さした。
「あそこで土を作っているのですね? あれは腐葉土でしょうか? 尿や骨粉も混ぜている?」
「……野菜の種は渡すが、土は渡さんぞ」
尿を混ぜる、という話に突っ込まないということは、堆肥作りの知識もあるらしい。蛮族が知っているということは、都市の方では常識だ。これも幽鬼先生から伝わったのだろう。
だとしたら彼はなかなか良い仕事をしている。今のところ彼の印象は、京都に壊滅的なネーミング被害を喰らわせた男というところだが、『指導者』としてやるべきことはやっている。
ところで現代では有名なSNSに壊滅的なネーミング被害を喰らわせた男もいるが、案の定、無能のそしりを受けていた。
確かにあれは改悪だったが、他の事業では目覚ましい成果を上げているから、無能というのは誤りだ。有能さ、というのは一面だけを見て判断できるものではない。
だから幽鬼先生にも、今はまだそれほど悪感情は持っていない。
この世の理不尽のほとんどは誰かの無知か怠慢である――とは言うものの、至らない点は誰にでもある。
とはいえ、白状すると——私の方にも課題は残っている。天界では理論ばかりで実践の機会がなかった。どれだけ頭で理解していても、実際にできるかは別問題だ。
1ヶ月かけて野菜作りに挑むのは、実証実験という名の修行でもある。それに光魔法を使った農業研究は、私が以前からやりたかったことの1つだ。
まあ、他にも狙いはあるけれど。
さて、土の話に戻ろう。堆肥を1から作るとそれだけで1ヶ月はかかるから、出来合いのものを手に入れる必要がある。そこで私はこう言った。
「では取引をしましょう。インプ退治を請け負います。私がここにいる間、屋上の野菜には指一本、触れさせません。その代わり、あの堆肥を使用する権利をいただきたい」




