第18話 首都の名は。
「取引が終わったら、お前達はどこへ行く?」
二足歩行の白いオオカミ、フィンがどすの利いた声で尋ねてくる。
「どこへ行くも何も、我々は天界から堕ちてきたばかりでしてね。ひとまず日本で一番、人の多い都市に行きたいのですが」
「日本……? ああ、この大陸のことか」
どちらかというと、日本は列島だと思う。
「つまりお前達は首都に行くわけだ。『四十五万都』へ」
私の知る限り、日本の首都はそんな地方の観光地みたいな名前ではない。
「『百鬼夜行連合』は堕天使たちも積極的に雇っているからな。お前達なら、幽鬼先生に気に入られるだろう」
どこかの暴走族のチーム名か? その幽鬼先生とやらが荒廃した日本をいいことに、ふざけたネーミングセンスを発揮しているのだろうか。
「その『四十五万都』はどこにあるんですか?」
「ここからずっと西の方に、20日ほど歩けば着く」
ふむ、西に20日ほどなら近畿地方の辺りだろう。
「その町に何か特徴はあります? 大きな湖があるとか」
「ああ、琵琶湖のことか? でもあそこは滋賀県と呼ばれていて、首都はその南西にある」
滋賀県、琵琶湖!
その南西ということはつまり、『四十五万都』とは京都の辺りを指す地名だ。
しかし妙だ。なぜ滋賀県と琵琶湖だけ正しい名前が残っているのだろうか。
幽鬼先生が悪魔転生者だとすると、彼には前世の記憶があるのか……?
首都の命名には悪ノリを発揮したが、他の町や湖の名前を考えるのは面倒だったので、滋賀県や琵琶湖と名付けたのだろう。都市開発系のシミュレーションゲームで最初の町には凝った名前を付けるが、3個目くらいから適当になる、あれに似ている。さもありなん、といったところだ。
そう仮定すると、幽鬼先生に旧世界の記憶が残っているのはなぜなのか?
前提として、フィンやモヒカンたちには人間だった頃の記憶がない。まっとうな日本人なら、京都の辺りに『四十五万都』なんて名付けられたら怒り出すだろう。歴史的アイデンティティを侮辱されたとして、全国的に暴動が起きてもおかしくない。
それを平然と受け入れているということは、大多数の悪魔転生者――罪人よりそう呼んだほうがわかりやすい――には前世の記憶がないと考えられる。
だが、幽鬼先生には現代知識がある。そして私にも。我々に共通点があるとすれば――
『指導者』だ。
もしかすると『指導者』には、生前の記憶が残っているのかも知れない。おそらく幽鬼先生は現代知識を駆使して成り上がったのだろう。それだけでなく、何か強力な魔法スキルも持っていそうだ。
となると、他の『指導者』もそうなのか。それぞれが世界中に散らばって、信仰力の獲得のためにコミュニティを発展させているのなら、いつかぶつかり合う日が来るだろう。
もし幽鬼先生が人格者ならば、私も合流して共に手を取りあうのもやぶさかではない。最悪のシナリオとして、ルシファーも『指導者』の1人だと考えているので、協力して地獄の王による世界征服を阻止せねばならない。
ああ、だけど幽鬼先生か……自分のことを先生と自称するやつは大体、ろくでもないのだが。
まあ、そんなことより今は目の前のことに対処しよう。
相変わらず、白いオオカミの獣人・フィンは私達の周りを少しずつ回っている。アハ体験かなというくらい、本当にゆっくりと移動している。こちらをじっと観察して、どんな小さな動きも見逃すまいとしているようだ。
「お前達は、幽鬼先生の手下になるんだな?」
「そうと決めたわけではありませんが。どうやらそれが気に入らないようですね」
「……俺たちは蛮族と呼ばれ、この不毛の地に追いやられた」
そのひと言だけで、実に多くのことを察することができる。
「にも関わらず、近くの都市から定期的に徴税人がやって来て、なけなしの食料を奪っていく。嫌がらせみたいにな」
それについて話すだけでムカついてくるのか、フィンは歯茎をむき出しにして唸る。
「それだけじゃない。旧世界のよくわからん遺物の収集を義務付けられ、規定の量に達しなければ暴力を振るわれる」
なるほど。幽鬼先生は都会に残った遺物をちゃんと回収しているらしい。ひょっとすると、首都『四十五万都』には銃もあるかもしれないな。
さらにフィンは言葉を続ける。
「徴税人を殺せば、都市から軍隊が派遣されてくるから従うしかない。その上、この付近には地獄のゲートが開いている。ほぼ毎日のように、そこから数十体のインプどもが出てきて屋上の野菜をめちゃくちゃにしていく」
インプというのは、確か悪魔の中では最弱だったはずだ。ゴブリンほど有名ではないが、顔付きは似ていて、さらに翼が生えているような外見だ。そのインプたちはおそらく『ヘルボーン』だろう。
「俺たちがそのインプどもの相手をしなければ、都市は懲罰としてさらに負担を課してくる」
要するに、ていのいい防波堤だ。『百鬼夜行連合』とかいう幽鬼先生の支配下に入らぬ者は、蛮族と呼ばれる。彼らを根絶やしにすることもできるが、どうせなら最大限、利用した方がいい。反乱できないくらいにぎりぎりまで弱らせ、インプの侵攻を食い止められるくらいには生かしておく。
都市は圧倒的な軍事力を持っている。最悪、蛮族が全滅してもインプの侵攻が少し面倒になるだけ。反乱が起きても鎮圧できる。致命的なリスクはない。
国の運営という観点で見れば、確かに合理的だ。少しの食料を奪える上にインプ対策を外注でき、新宿の遺物も回収できる。それにおそらく用済みになれば殲滅させられる。
そう、非常に合理的だが――
私は気に入らなかった。道徳的ではないからだ。
なんとも非合理的な答えだと思われるかな?
でも意外に思われるだろうが、私は道徳には合理的な根拠があると信じている。ひとことで言えば、道徳は全ての人の暮らしを平均的に良くするものだ。理論的には全員が人を助けること、傷つけないことに同意すれば、全員が得をする。
もちろん、みんながみんな道徳的になれるとは思ってない。ただ私がいいたいのは、道徳的であろうとする合理的な理由は存在するということだ。
私は微笑みながら、白いアイマスクを外してフィンをまっすぐに見つめる。その瞬間、フィンは毛を逆立てて後退りしてしまった。顔の見えない人間を信用することは難しいから、誠実さを示そうとしただけなのに。
「事情はよくわかりました。こんなやり方は容認すべきではありません」
「……」
「幽鬼先生は堕天使たちも積極的に雇っているそうですね。それならば、一度は話し合う機会を得られるはずです。私が彼のもとへ行って進言し、この状況を変えてみせましょう」
「……お前が?」
こちらは不意打ちで放たれた無数の矢をことごとく焼き払ってみせたのだ。それくらい大きなことを言ってもいいだろう。
まずは近隣都市と話し合うべきかもしれないが、そんなちまちましたことをしている暇はない。直接、トップのところに行って話を付けたほうが楽だ。
それに6ヶ月で信仰力を1000人分、集めないといけないので早めに首都へ行かねばならない。
さらに言えば、幽鬼先生が非人道的な人間だと決まったわけではない。単に手が行き届いてないだけ、という可能性もある。
なんといっても幽鬼先生だって元々は現代の日本人だったんだから。滋賀県・琵琶湖を知る者同士、話し合いの余地は十分あるだろう。
「ええ、ですからこうやって、お互いの間合いをはかりながら睨み合うのはやめましょう」
そう言ってから、私はケルビーに声をかけた。
「ケルビーさん、白パンを彼に」
「わかりました」
頑なに白パンを守っていたケルビーも、フィンの話を聞いて思うところがあったのだろう。
まるで酒場で他の客に一杯おごるような気軽さで、ケルビーは白パンをフィンに向かって放り投げる。フィンはそれをパシリと受け止めると、白パンをじっと見つめ、それから私達に視線を戻す。
「……いいだろう。取引は成立だ。ひとまずはな」




