第13話 ケルビーの選択
「はい、ルシエルさんの部屋からは『何も』見つかりませんでした」
抜き打ちチェックをした武装天使の報告を聞いて、メタトロンは違和感を覚える。
(何も……? それは妙だ)
葡萄酒が見つからなければおかしい。ケルビーが届けに行って数分後。まさにそのタイミングを見計らって、武装天使を送り込んだのだから。
いったいどういうことなのか。ケルビーとルシエルは部屋の中にいた。葡萄酒と共に。なのに武装天使たちが扉を開けると、酒瓶は魔法のように消えていた。
まさか光魔法を使ったのだろうか? ルシエルの知性なら物体を消滅させるくらいの威力は出るだろう。こっそり魔法の練習をしていたのかもしれない。
それならばケルビーが見ているはずだ。メタトロンは武装天使たちに向かって言った。
「ケルビーを連れてきてくれ」
やがてケルビーはふらついた足取りで入ってきた。
眠いのだろうか。
「折悪しく抜き打ちチェックに当たってしまったが」
自分で言いながら気分が悪くなるほど白々しいと思う。
だが、メタトロンは落ち着いた口調で続ける。
「奇妙な話を聞いてな。ルシエルの部屋から何も見つからなかったと。葡萄酒を届けたのではなかったのかね?」
「ひ……ひっく」
ケルビーは奇妙な声を出す。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
泣いて謝るばかりでは何もわからない。
「飲んで、しまいました……」
「……何だと?」
その瞬間、ケルビーは堰を切ったように早口で喋りだす。
「ずっとずっとずっとお酒を我慢してきたんです。それで、つい飲みたくなって。あの後すぐに自分の部屋でがぶ飲みしちゃいました」
「がぶ飲み……」
まったくケルビーらしくない。彼女は真実を喋っているのだろうか? ルシエルを庇うために嘘を吐いているのか?
しかし、たった100年しか一緒にいなかった男と、天使長を天秤にかけてルシエルを選ぶなんて考えられない。それよりもケルビーは本当に酒が好きで、つい魔が差して飲んでしまったという方が信じられる気がする。
ひとつ解せないのは、ルシエルと一緒に飲むという選択をしなかったことだ。
「そんなに飲みたいなら、一緒に飲めばよかったではないか」
「えっと……ルシエルさんはいらないと言うので、それなら自分のものにしちゃおうと。一度、メタトロン様に報告してから飲むべきなのに……申し訳ありましぇん!」
やや呂律が回ってないのは酒を飲んだせいか。
しばし、メタトロンは思案する。ケルビーの話が嘘か真実か、どちらとも言えない。
「では酒瓶は君の部屋にあるのかね」
もし酒瓶が残っているならケルビーの言うことは真実になる。ルシエルは光魔法を使って酒瓶を消滅させたわけではない。
「抜き打ちチェックが怖かったので、もう始末しちゃいました」
なるほど、確かめようはないわけだ。でも、ケルビーが裏切っていようといまいと、そんなことはどうでもいいことだ。どちらにせよ禁則品でルシエルを体よく追い出すという、この作戦は失敗だ。
「残念だ。君は真面目な天使だと思っていたのだが……」
「大変申し訳ありません、メタトロン様」
メタトロンはため息を吐き、重苦しい声で言った。
「この時点をもって、君を監視役から外すことにする」
そう告げると、ケルビーは目を見開いた。
「あれは元々、ルシエルに贈った酒だ。君に飲んでよいと許可したものではない」
「はい……」
「話は以上だ。出ていきたまえ」
彼女の後ろ姿を見つめながら、メタトロンは自分の心がどす黒くなっていくのを感じる。こんなことをしていたら、神様はお怒りになるかも知れない。そしてこれからやることは決定的に悪意に満ちたものになるだろう。
でも、もはやお怒りになっていようとかまわない。怒鳴り声でも何でもいいから、声を聞かせてほしかった。
神の声が、もうずっと聞こえないのだ。
★★★
あれから、私は眠らずに待っていた。ケルビーの選択を。
いつまで経っても武装天使たちはやって来ない。そこで私は部屋を出て、彼女と話そうと隣の部屋をノックした。が、返事がない。今、メタトロンに報告しているところなのだろうか。
そのまま部屋の外で待つことにする。扉にもたれかかり、ケルビーが戻ってくるのを待つ。
「……ルシエルさん」
声のした方を見ると、目を真っ赤に腫らしたケルビーが立っていた。
「えへへ。監視役、外されちゃいました」
それで私は理解した。彼女は魔法を無断で使っていたことをメタトロンに報告しなかった。庇ってくれたのだ。
「立ち話も何ですから……部屋にどうぞ」
そして私達は、向かい合って席につく。
「……どう報告したんですか?」
「私がお酒を飲んで、瓶を始末したと」
「なぜそんなことを? 下手したら地獄行きでしたよ」
「新人類創造プロジェクトには、ルシエルさんが必要だからです」
初めてケルビーに出会った時、彼女には「真面目」や「従順」という言葉がふさわしいと思えた。
だが、それは間違いだ。単に規則や上司に従う真面目な部下ではない。自らの信念を持ち、あくまでもプロジェクトを守るために行動する。そして目的のためならば、躊躇なく自分を切り捨てる覚悟を持っている。
それを考えると、彼女の拠り所となるプロジェクト……その虚構を暴くことは、ますます心苦しく思えてくるのだった。
「しかし……私は嘘吐きです」
と、私は正直に言った。
「プロトタイプには、ふさわしくないかもしれませんね」
「重要なのは、なぜ嘘を吐くのか、その理由を考えることだと思います。ルシエルさんは身を守るため……ですよね?」
「ええ、メタトロン様からね」
「セラフィナ様は葡萄酒を贈る許可を出してません。もし見つかっていたら、メタトロン様はたぶん……自分も許可など出してないと言って、ルシエルさんを陥れていたでしょう。そうでなければ、あんな嘘は吐きませんから」
そこでケルビーは言葉を切り、首を傾げる。
「だけど、どうしてメタトロン様はそんなことをするのでしょう?」
「それは……」
ちょっと間をあけて、私は首を振りながらこう答えた。
「さあ、わかりませんね。とにかく、私を危険な存在だと思っているのでしょう」
「嘘ですね」
「えっ?」
「何となく、ルシエルさんは何か知っている気がします」
「あはは」
その笑い声は心からのものだった。私が声を立てて笑うのは本当に久しぶりだ。
「むう、何がおかしいんですか」
「感心したからですよ。でも、知らないほうがいいこともある。というより、単なる仮説に過ぎませんからね」
「教えてください。じゃないと今日は眠れません。寝不足になったらルシエルさんのせいですからね」
「かまいませんよ。寝不足なんて可愛いもんです」
やや沈黙があった。私は話すつもりはないと意思表示をするために、扉の方を見ている。だがケルビーは引き下がる気はなさそうだ。
「……私のため、ですか?」
「どういうことです?」
「わかりませんけど……ルシエルさんは別に地獄行きになってもいいと思ってますよね。私がメタトロン様に告げ口してもかまわないって。それならどうして葡萄酒を消滅させたんです?」
どうせ咎められることになるなら、葡萄酒をそのままにしてもよかったと言いたいのだろう。わざわざ光魔法を使って、こちらの脅威度を上げる必要もない。
「まあ、あんなお粗末なやり方で嵌められるのはちょっと癪ですからね」
軽く肩をすくめながら、冗談っぽく答える。しかしケルビーは鋭く目を細めて言った。
「あるいは、私が巻き込まれないようにしたかった」
「何を仰っているのか、よくわかりませんね」
「だって、あのまま葡萄酒が見つかってメタトロン様がすっとぼけたら、私はちゃんと許可をもらったって喚きますよ。それはもう、喚き散らかします!」
「ああ……想像できますね」
「そんなことになったら、メタトロン様は……ああ、こんなこと考えるのも恐ろしい。だけどもしかしたら、私もグルだったと言いかねません」
そう言うとケルビーは少し目を潤ませた。
「だから、葡萄酒を消滅させたんですよね。光魔法を使ってでも。私が巻き込まれないように」
「君がそう信じたいのならば」
「もうっ。と、とにかく! メタトロン様が嘘を吐いた理由について、ルシエルさんは私や……いや、ひょっとすると天界全体のために黙っているのではないですか?」
また沈黙。私はどうしようか考えあぐねている。ケルビーに嫌われたってかまわない。ただ、彼女を傷つけたくないのだ。
でも彼女は子供ではない。見た目は10代の女の子に見えるけれど。何なら私の10倍は長生きしている、お姉さんだ。彼女ならきっと受け止めてくれる。
「私はどんな真実も受け入れます。教えて下さい、メタトロン様には何か秘密があるんですね?」
「……あくまで仮説ですよ。確定事項ではありません」
ようやく私が口を開けると、ケルビーは固唾を呑む。私は白いアイマスクを取って、彼女の目をまっすぐ見つめる。大事な話をする時には、ちゃんと目を見て話すべきだ。
どういうわけか、ケルビーは頬を染めてもじもじし始める。
「な、なんで急に目隠しを取ったんですか」
「大事な話をするからですよ。真面目に聞いてください」
「はい!」
私はふうと息を吐きながら、真剣な口調で続ける。
「よんでもよんでも返事をしないものって、何だと思います?」
「へっ?」
真面目な話をすると言ったのに、なぞなぞを出されてケルビーは素っ頓狂な声を上げる。
「このなぞなぞを出された時、メタトロン様の顔は青ざめていた。答えは何だと思ったのか?」
「えっと、『本』じゃないんですかね。答えは」
その時、私は身を乗り出しながら言った。
「いいえ、違います」
「答えは『神』です」




