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エレガントな紳士、荒廃世界を改革する〜有能すぎて天界を追放されたので、天使たちが嫉妬に狂うほどの楽園を築いて、優雅に紅茶を嗜むことにした〜  作者: 古月
天界編

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第12話 消えた葡萄酒

 ルシエルと出会う前、ケルビーの時間は止まっているようなものだった。



 彼と出会う前に何をしていたのかさえ、ほとんど思い出せないのだ。滅亡前の人類の記録を取っていたが、あの時の自分には何か人格があったのだろうか。ふと断片的な記憶を思い出すことはあるものの、なんの感慨も湧いてこない。


 さすがに人類が滅亡した時には大パニックになったけれど。メタトロンが神の(めい)により、すぐに新人類創造プロジェクトを立ち上げてくれたから問題なかった。それからは膨大な書類に向き合う作業が延々と続き……結局のところ、滅亡前とやることは変わらない。


 ひたすらに変わり映えしない日々。



 絵に描いた船のように動かぬ

 絵に描いたような海原に浮かんだまま――



 これはルシエルの好きだと言っていた詩だ。コールリッジという詩人による有名な一節らしい。まさにこの詩は、絵に描いたような天界で、天使たちの止まった時間感覚を表現しているように思える。



 水だ、水だ、見渡す限りの

 だが一滴たりとも飲めはせぬ



 そう、海のように時間はたっぷりあるのに、心の渇きは癒やせない。


 だがルシエルは充実感を与えてくれた。生きているという実感を。この100年間の出来事は全てとは言えないが、ほとんど覚えている。それも驚きや、可笑しみといった感情と共に思い出せる。彼と過ごした日々はどれも意味のある時間だ。


 それにケルビーは強くなった。ルシエルが科学的なトレーニング理論で、運動を習慣化する方法を教えてくれたからだ。彼の凄いところは、相手のモチベーションを決して損なわないことだろう。しかもウリ教官を説得して訓練方法まで改修してしまった。おかげで過酷で辛いと思っていた修行が嘘のように楽しかったし、実際に強くなったと思う。今なら地獄も怖くない。



(何かお礼ができたら良いのだけれど……)



 いつももらってばかりだからお礼がしたい。


 そんなことを考えながら、ケルビーは報告書を届けるためにメタトロンの執務室へ向かう。




「報告ご苦労」


 いつものようにメタトロンは淡々と言う。ルシエルがどんなに凄いか、今日はいつも以上に熱弁したというのに、メタトロンは顔色一つ変えない。


「ところで……ルシエルに褒美をやろうと思ってな」


 それを聞いてケルビーはパアッと顔を輝かせる。やっぱり報告を聞いて、メタトロンにもルシエルの魅力が伝わったのだと思った。


「ええ、ぜひそうしましょう!」

「ここに葡萄酒がある。これをルシエルの自室に持っていって、振る舞ってやるといい」

「お酒……ですか。禁則品ですが、本当によろしいのでしょうか?」

「本来なら特別な日にしか飲めないものだが……実験体としてよく頑張っているからな。セラフィナの同意も得ている」


 それなら問題ないだろう。ケルビーは葡萄酒の瓶を受け取って(うなず)いた。


「ありがとうございます、メタトロン様!」




 それからケルビーはスキップしながらルシエルの自室に向かう。彼の喜ぶ顔を想像しながら。そう言えばワインが好きだと言っていたから、きっと気に入るだろう。


 わくわくしながらルシエルの部屋の扉をノックする。


「ケルビーです。お話してもよろしいでしょうか?」

「ああ、運動で汗を掻いたので軽くシャワー浴びますね。すぐ終わるので」


 数分待つと髪を濡らしたルシエルが出てくる。顔の上半分を白いマスクで(おお)っているので、あの美しい瞳は見えないけれど、もしあの目で見つめられたら何だか落ち着かなくなってしまうだろう。


 するとルシエルがケルビーの持っている葡萄酒を指差す。


「おや、それは……?」

「差し入れの葡萄酒です。メタトロン様からの贈り物ですよ」

「ふうん……ひとまず中へどうぞ」


 あれ? もっと喜ぶと思っていたのに。


 ルシエルはちらりと廊下の両側に視線を走らせると、やや性急にケルビーを中に招き入れる。そして扉を閉めるとすぐさま鍵を掛けた。いつもの洗練された動作とは違って、必要最低限の動きだけという感じで、どこか冷たく思える。


 だけど鍵を掛けて振り返った時には、あの優雅な微笑みを浮かべて手を差し出してくる。


「瓶をこちらへ。自分で入れますから」

「いえいえ! 日頃の感謝を込めてお酌させてください」


 そう言いながらテーブルに葡萄酒の瓶を置いて、コルクにワインオープナーのスクリューを差し込もうとする。だが、ルシエルはさっとコルクの上を手のひらで(おお)ってしまう。


「えーっと……すみません。実を言うと今日はそういう気分ではなくて。また今度にしませんか」

「え? 何か悩み事ですか? 私でよければ力になりたいです。監視役としてではなく、友人として」


 その言葉に、ルシエルは一瞬、マスクの奥で目を伏せたように見えた。


「ご心配なく。ただ、一人で過ごしたい時があるというだけです」

「あ……」


 誰にでもそういう時はある。それはわかっている。それなのに、ケルビーは拒絶されたように感じてしまう。わがままだとわかっているけれど、気の置けない友人のように思ってほしかった。


 でも、それを押し付けるのはよくないことだ。


「そ、それなら今日はやめておきましょう。また今度、日を改めて……」

「ああ、葡萄酒はこちらで預かっておきますね。それと、ワインオープナーも」



 その時、扉を叩く音がした。



「抜き打ちチェックだ! 禁則品を持ち込んでいないか確認させてもらう」


 それを聞いてもケルビーは動じなかった。


「大丈夫ですよ。メタトロン様とセラフィナ様の許可を得てますから」

「……失礼」

「あっ」


 だしぬけに、ルシエルは強引に酒瓶とワインオープナーを取り上げる。と、同時に、それを落とした。


 その瞬間、空中を落下していく酒瓶とワインオープナーが光に包まれ、一瞬強烈に輝いた後、白い閃光とともに消失する。かすかに空気が震え、透明な熱波が広がる。光が消えた後、足元にはごく薄い、(かすみ)のような気化物質が漂っているが、それもすぐに空気中に拡散していく。床には何も残っていない。


 ケルビーは目を丸くする。今のは『ルクス』? あんな威力見たこともない。そもそも彼は詠唱していたっけ? すでに魔法を制御できるの? そうだとしたら、どうして黙っていたの? 魔法は禁止されていたのに。


 様々な疑問が頭の中を駆け巡る。それについて何か言う間もなく、続けて扉が蹴破られ、2人の武装天使が入ってくる。彼らは無遠慮に部屋の中を漁り、テーブルの上のコップを指差した。


「これは何だ?」

「水を飲もうと思いましてね。その前にあなた方が来たもので」


 またもやケルビーは愕然とする。こんなにも涼しい顔で嘘を吐くなんて。


「ふむ……問題なさそうだな」


 そう言うと武装天使たちは後頭部を掻きながら、急に気さくな口調になった。


「失礼しました、ルシエルさん。これが仕事なもので」

「ええ、わかっていますよ。ご苦労さまです」


 ルシエルは優雅に微笑みながら、武装天使たちを送り出す。


 やがて静寂が訪れると、ケルビーはようやく口を開いた。


「どうして……なんで……」


 言いたいことは山ほどあるのにうまく言葉が出てこない。


「もし葡萄酒がそのままだったら、どうなっていた思います?」


 静かに(うなが)すような調子でルシエルが尋ねてくる。


「それは……問題ないと言ったはずです。メタトロン様とセラフィナ様が許可を出しているのですから」

「セラフィナ様から許可を得たというのは……彼女から直接聞いたのですか?」

「いいえ。メタトロン様がそう仰っておりました」

「なら確かめてみると良いですよ。おそらく嘘でしょうから」

「えっ?」

「はっきり言って、メタトロン様は私を(うと)ましく思っている。昨日の評議会が決定打になったのでしょうね」

「なんの……話ですか?」

「もし葡萄酒が見つかっていたら、私は禁則品を所持していた罪で地獄送りになっていたでしょう」


 それでもまだケルビーは状況を呑み込めなかった。許可を得ているから平気だと言っているのに。それにメタトロンが彼を敵視している? 確かに厳しい態度には見えたけれど、(おとし)れるような真似をするとは信じられない。


「そ、それより魔法を使ったことはどうなんですか? 禁じられているのに練習してましたよね? そうでなければあんなに見事な制御はできないはず」

「ああ……それに関しては言い逃れできません。報告したければどうぞ」


 ――どうしてそんなに突き放すような口調で言うの?


 もし魔法を使っていたことを報告すれば、どうなってしまうのだろう? 地獄送りになる? でも今や、ルシエルは新人類創造プロジェクトの(かなめ)だ。自分が追い出されるはずはないと確信しているのか?


 それとも……追い出されてもかまわないと思っているのか。


「何を考えているんですか、ルシエルさん! あなたのことを信じていたのに」


 だがルシエルは何も言わずに、曖昧(あいまい)に微笑むだけだった。


 気がつくと、ケルビーは部屋を飛び出していた。




 自分の部屋に戻るとベッドの上に突っ伏す。頭がぐちゃぐちゃに混乱している。ルシエルのことがわからない。



 しばらく放心していると、彼女はふと思った。


(報告……報告しなければ。彼が魔法を使っていたことを)


 一方で、こうも考えてしまう。魔法を使っていたから何だというのか?


 制御できているのだから、これを機により高度な魔法を教えればいいのに。そしたらルシエルはもっと活躍できる。禁止されている状況で使ったのは悪いと思うけれど、それで悪事を働いたわけではないのだから、メタトロンも許してくれるはずだ。


 さらにケルビーはルシエルの言葉を思い出す。セラフィナから葡萄酒を贈る許可を得たという話。それを確かめてみれば、メタトロンが嘘を吐いていたことがわかると。


(そんなのありえないとは思うけれど……)


 どちらを信じるべきか。数千年も仕えてきたメタトロンと、たった100年間しか一緒にいなかったルシエル。でも、その100年間は、数千年に負けないくらい濃密だった。


 いやでも……ルシエルは息をするかのように嘘を吐く男だ。それを目の当たりにしたばかりだというのに。


 でも、それでも……


 そもそも、嘘吐きはメタトロンかもしれないのだ。どちらがよりたちの悪い嘘吐きか確かめる。まずは一度、ルシエルのことを信じて、セラフィナに尋ねてみるべきだ。


 そうと決めたら、ケルビーはベッドを飛び起きてセラフィナの執務室に向かった。

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