第10話 武装天使との訓練③
自分でも信じられない……この私が、『悪魔の頭部を素手で引きちぎった』サリーを倒すなんて。
興奮冷めやらぬ中、周囲では怒号のような歓声が続いている。
「すごいな、あんた!」
「まだ生まれたばかりなのにねー」
「これが人間の力かあ」
「おつかれー!」
「ルシエルさん、すごいです!!」
そこで私は立ち上がろうとしているサリーに手を差し伸べた。彼は一瞬、躊躇いつつも私の手を握って立ち上がる。それにしても彼の手のひらは私の倍以上はある。一撃でも喰らったら、ひとたまりもなかっただろう。
振り返ってみると、完全自律回避システム『イージス』にはまだまだ改良点がある。今はまだ、単純な回避パターンしかない。それに複数の敵に囲まれたら処理が追いつかない。さらに電界では導電性のある物質にしか反応しない。
おっと、反省は後だ。私は微笑みながら、サリーの手をぎゅっと握った。
「お手合わせいただきありがとうございます」
「……ああ」
するとサリーは力強く手を握り返してきた。仮面のせいで表情は読み取れないが、潔い男だということはわかる。
それから私は教官の方を振り返った。
「私は常に自分が間違っているかもしれない、と思うようにしておりましてね」
「……何が言いたい?」
「この模擬戦には勝ちましたが、実際の地獄では通用しないかもしれません。というわけで、改めて槍の持ち方からご教授いただきたい」
「なん、だと……?」
というのも、私がサリーと戦ったのは『イージス』を試したかったからだ。教官を見返したいわけではなく。そんなことは些末なことだ。
勝ったからといって自分に自信を持っていたら、そこで学びが止まってしまう。人間というのは、少しくらい自信を失っていた方が新しい知識を受け入れやすくなるものだ。
それに他の武装天使たちと交流を深めるなら、一緒に槍の練習をした方が効率がいい。
「試合は見させてもらった」
その時、訓練棟の入口の方から声が響いた。振り向くとメタトロンの姿が。いつものように眉間にシワを寄せている。
間違いなく彼にとっては面白くない状況のはずだ。もう何を言うのか大体、察しはついている。
「やはり、お前の訓練は取りやめとする。人間は思い上がる生き物だ。実験体の暴力性が高まっては困る」
もはや理由がこじつけの域に達しているぞ、メタトロンくん。
でもこれではっきりした。やはり彼は新人類創造プロジェクトに乗り気ではない。『聖別者』に遺憾なく能力を発揮してもらうより、いい加減に過ごして欲しいと思っている。本来はそういう性格ではなかっただろうに、過保護な親みたいに干渉してくるさまには、どこか必死さすら感じる。
それはそれとして、私は彼の言葉には従わねばならない。まあ、どうしても訓練に参加したいわけではなかったが。武装天使たちとの交流については、別のアプローチを取ればいい。
それで私はあっさりこう言った。
「かしこまり――」
「待ってくれ、メタトロン様」
これは――驚き!
声を上げたのはサリーだった。
「オレは、こいつともう一度戦いたい」
「……言っただろう。人間は力を持てば暴走する。それで滅んだのだからな」
「オレ、馬鹿だからわかんねえけどよ……ルシエルは思い上がったりしない。手合わせしたからわかる」
その言葉にメタトロンはぐるりと目を回した。
「ウリ教官、君の指導はどうなっているのかね?」
厳格な口調で問いかけられたウリ教官は、慌てて敬礼する。
「も、申し訳ありません。ただ……」
なんだろう? 教官の声が震えている。
「私は……旧人類に失望しておりました。我々が地獄で魂の消滅作業をするはめになったのは、旧人類が滅亡したからです。それで、また同じ失敗を繰り返すのではと……ルシエルに厳しく当たってしまいました」
「……だから何なのだ?」
「ルシエルは……勝ってもなお、私に教えを乞おうとしました。信じられないほど謙虚な人間です。彼なら……信じてもよいかと」
こんなふうになるとは全く予想もしていなかった。
それはメタトロンも同様だ。腕を組んで考え込んでいる。
そんな彼に向かって教官が提案をする。
「ルシエルには書類整理のタスクもありますから……毎日とは言いません。例えば週に数回だけでも。適切に武を扱える人間は、新人類には必要な存在だと思われます」
正直なところ、私は内心驚いている。あの意地悪な教官が私のためにここまで言うとは。旧人類の滅亡は、天使たちにとってよほど衝撃的な出来事だったのだろう。それも当然か。メタトロンもそれで人が変わったというし。
もっとも、メタトロンの場合はもう少し複雑な事情がありそうだ。すでに私はおおよその見当をつけているが……これは胸の中にしまっておこう。今は、まだ。
兎にも角にも、せっかくサリーと教官がかばってくれたのだ。こちらもその想いに応えるとしよう。
「私もぜひ訓練に参加したいですね、メタトロン様」
そう言うと、メタトロンは重い沈黙を返す。
「……週に数回は多すぎる」
やがて、メタトロンは言った。
「2週間に1回なら許可しよう。ただし、模擬戦は半年に1回のみだ。引き続き、魔法の使用も認めない」
「かしこまりました」
むすりとしながら、メタトロンは踵を返して去っていく。
その後ろ姿を見つめながら、私はちょうどよい期間だと思っていた。なぜなら同僚との良好な関係を維持したいなら、最低でも15日に1回はコミュニケーションを取ることが推奨されているのだから。2週間に1回で大変けっこう。
「さて、と」
おもむろにケルビーが腕立て伏せの続きを始める。それを見た教官が慌てて言った。
「お前はもういいんだぞ、ケルビー。さっきも言ったとおり、私は八つ当たりしていただけなんだ」
そう言って私にも頭を下げる。
「さっきは悪かったな、ルシエル。謝っても許されないことだが」
もし相手と仲直りしたいと思うなら、まず大切なのはすぐに許してやることだ。
「気になさらないでください」
と言って、まずは受け入れる姿勢を示す。ここで長々と相手を責めたり、条件をつけたりするとせっかくの仲直りのチャンスを逃してしまう。
そしてここからが重要なことだが、ただ許すだけで終わらせてはいけない。許した後に、なぜこういうことが起きたのか、問題の原因を話し合う機会を作ることが大切だ。
「教官はそれだけ人類に期待していたということでしょう。そうですね……今度、一緒に食事でもしながら旧人類の失敗原因でも話し合いませんか。きっと楽しい時間を過ごせますよ」
我ながら打算的だと思うが、教官と仲良くしておいて損はあるまい。合理的な思考で行動する方が、結果的に相手にとって心地よい対応ができるものだ。
私が聖人君子のように微笑みかけると、教官はふと仮面を外して素顔をあらわにする。眉毛の太い、凛々しい顔付きの女だ。男だと思っていたので私は少しびっくりする。
「なんというエレガントな男……うむ、そうだな。今度一緒に話し合おう」
その間にもケルビーはせっせと腕立て伏せをしている。腕がぷるぷるして限界に達したのか、また床にのっぺりと倒れ伏してしまう。
「お疲れ様です、ケルビーさん。お水、持ってきますね」
「え~……いいですよー。私、まだ10回しか腕立てしてないですし」
「私は最初、1回から始めましたよ。1日ごとに1回ずつ増やしていけば、2000日後には2000回です」
「そりゃ理論的にはそうかもしれませんけど」
そこで私も冷たい飲み物が欲しくなったので、いったん水を取りに行ってから、戻ってきてケルビーに手渡した。
「で、どうして体を鍛えることにしたんですか?」
「えへへ。何ででしょう……ルシエルさんがサリーさんに勝ったのを見て、いつか遠くに行ってしまうような気がして」
「遠くって、どこですか?」
「んー、例えば荒廃した地球とか」
そう言うとケルビーはささやき声になった。
「ほらっ、データベースを作るために色々な素材が必要って言ってたでしょう? そのために地球に行くかもって」
そう言えばケルビーには、旧人類データのデジタル化計画について話していたのだった。人類滅亡から400年以上、経過しているため電子機器は完全に劣化・腐食しているだろう。1から作ると言っても必要な素材は膨大になり、それらを加工するには気の遠くなるような設備を求められる。
で、ここからは自分の胸のうちに秘めているのだが、光魔法で膨大なデータを処理するシステムを構築できるのではないかと。地球へ行くのはその研究をするためと、それを口実に光魔法の使用許可を得るためだ。
しかし荒廃した地球は未知の世界。調査班が詳細を話したがらないと言うし、放射能の影響で見たこともない危険な生物が誕生しているかもしれない。ケルビーは私がそんな危険地帯に行けるはずはないと思っていただろう。今日の模擬戦を見るまでは。
「君もそれについてくるのですか?」
「だって監視役ですからね。そのためにはもっと鍛えないと!」
いやはや、彼女の真面目さには恐れ入る。監視役だからといってそこまでやるものだろうか。もしかすると天使というのは、自分の役割に固執するものなのかもしれない。
逆に言えば、役割を失うと、自分の存在意義もなくなるというくらい思い詰める。例えば堕天使ルシファーもそうだった。最初に生まれた人類――アダムとイヴが作られた時に、かつての天使長は神の右腕という役割を失った。人間にその立場を奪われそうになったので、禁断の木の実を食べさせて堕落させることにしたのだ。
そして天使長メタトロンも。今度は人類誕生ではなく、人類滅亡によってその役割を失いかけている。




