あの夏、地球が終わったのではなくオレが異世界に飛ばされた件
シリーズ化しようか検討中のお話です。
かるーい異世界ものですので是非お読みいただけると嬉しいです。
202X年7月某日、最高気温37℃。
暑すぎるだろ。
オレはビジネスバッグを右手に持ち、ビルの間を歩いていた。
せめて日陰を歩きたい。
日の当たる道の真ん中は避け、ビルに沿うように裏路地を歩いく。
暑くても、仕事は待ってくれない。
「アンドーナツくん」
後ろから呼ばれて振り返る。
「先方様への手土産忘れてるよ」
わざわざ自転車で追いかけてくれたのは、事務の中村さん。
いつもオレの名前を間違える。
「オレはアンドーナツじゃなくて、安藤夏生です。ナツオですよ!」
いつも、ダル絡みをしてくる先輩にため息をつく。
ただでさえ、暑さでやる気が出ないのに。
「しってるー。その嫌そうな顔がいいのよ。もう30なんだしさ、オッサンは熱中症に気をつけないとね」
「そんな中村さんは、オレの2年上だから…オバ」
「それ以上言っちゃダメ!」
手土産を押し付けて戻って行った。
まだ5分しか歩いてないのに、汗だくだよ。
今月、なんか大災害の予言とかあったよな?その兆しなんて皆無じゃん。
日本が滅びる?上等だよ。
滅びるなら、全員一緒なんだからさ、滅びればいい。
そうしたら、暑い中働かなくていいし。
空を見上げて、目を細める。
眩しい。せめて曇りならなあ。
なんかクラクラしてきた。
その時、真横のビルの自動ドアが開いた。
オレの10メートルくらい先にあるドアなので、冷気が少しだけ感じられる。
誰も出てこないのに、何故自動ドアが開いたんだ?
故障しているのか、閉まる気配のない自動ドアから漏れてくる冷たい風の威力が強い。
どんだけ性能のいい冷房なんだ?
全開になった自動ドアの前を通過しようとした時だった。
突然、空気の逆流が起きた。
掃除機なんか比じゃないくらいの吸引力で吸い込まれそうになる。
「ほ……び…!ほろ……よ!」
低い声で何かの呪文が聞こえて来た。
建物内は真っ暗だ。
まるで奈落の底のように見える。
怖すぎる!早く逃げなければ。
踏ん張ってみるが、耐えきれずよろよろと地面が近づいてきた。
立ってられない。
地面に手をついて四つん這いの姿勢になるが、吸引力の前では、なすすべがない。
しかも、謎の言葉がだんだん聞き取れるようになってきた。
「滅び…ほろ…び」
世界じゃなくて、オレだけ滅びを願われているのか?
どうなってるんだよ!夢なら早くさめてくれ!!!
助けを叫ぶ余裕もなく、あっという間に吸い込まれた。
咄嗟に目を閉じると、遊園地のコーヒーカップに乗っているかのような、遠心力が体に加わる。
なんだこれ?
その間にも、「滅び、滅び、滅びの綻び」
聞き取れない部分もあったが、今ははっきりと聞こえる。
低い声で絶え間なく聞こえる声に、体が冷たくなっていく。
ドスンと体が地面にぶつかったが目が開かないし、体が動かない。
日本はなんともなかったけど、オレだけ滅びた?
というか、ゲームの封印ってこんな感じなのかもしれない。
俺、封印されたのかな。
その時、バタバタと駆け寄る足音がして、何か話しかけられたが聞き取れない。
体が鉛のように冷たくて重い上、声も出せない。
意識が朦朧として、何も考えられない。
瞼の奥にどす黒い渦が見え、吸い込まれるように意識をなくした。
目が覚めて、自分が寝かされている事に気がつく。
しかし、よくある病院のベッドではない。
ベッドが大きい。ダブルベッドサイズだ。
部屋を見回すと、高級ホテルのような調度品が見える。
部屋には誰かいるようで、足音が近づいてきた。
「フレイザー侯爵様、目が覚めましたか。安心いたしました。お加減はいかがですか?」
声をかけてくれたのは、初老の外国人だった。
流暢な日本語だ。
「まだ、お話にならず、安静になさってください。無理は良くないですから、もう少しお休みください」
今は起き上がる気力が生まれないので、また目を閉じる。
フレイザーコウシャクってなんだ?
聞かなかったことにしよう。
もう一度眠りにつきたいが、喉が渇いたので水をお願いした。
「ただいまお持ちします」
若い女性の声がして、部屋から出ていく音がした。
うっすらと目を開けて、窓の外を見る。
ここはどこだ?
海外ドラマで見る19世紀の街並みにそっくりだ。
オレの妄想なら、想像力凄すぎだろ。
寝起きのように視界がぼやけているが、アンティーク調の机に、本棚が見える。
リアルな夢だな。
しばらくして部屋に数人が怒られながら入ってくる音がした。
「フレイザー侯爵様、この度は大変申し訳ございませんでした。先ほどの落下の原因を作った者達を呼びました」
さっきから言っているフレイザーコウシャクって、オレの事か?
侯爵。
かなり偉い地位じゃないか。
初老の男性が隣に来て挨拶をした後、扉の側に立つ5人の若者を整列させた。みた感じ、10代後半。
皆、外国人だ。
海外ドラマの学園物みたい。
「お前らが勝手に儀式を行って、地震を起こしたから侯爵様が事故に遭われて気を失われたんだ。そもそも、なんで古代文献の聖女召喚なんて試してみたんだ?」
初老の男性が怒っているが、言っている意味がわからない。
「古代文献には、聖女様は国を豊かにしてくれると書いてあったので」
「美人で博愛主義。しかも、全ての人を魅了するぐらいの美貌だと」
「そんな美人見てみたいと思いまして、文献にある通り、夏至の日の正午に神殿で召喚術を…」
「私は辞めようといいました」
若い男性達が次々と答えるが、声が震えている。
すごい言い訳をしているが、聖女召喚?なんだ、ゲームみたいな話。
「バカもん!古代語もロクに読めんくせに。25年ほど前に、同じことを行った若者たちがいたんだ!お前たちの使った『古代文献現代語訳』を使ってな。どうなったか知っているか?」
初老の男性が厳しい声を出す。
「知りません。そんな奴らがいたんですか?」
ワクワクした声で若者が答える。
「ああ。黒歴史だよ。召喚されたのは白いお面に、謎の動力で動く『チェーンソー』という武器を持った男の殺人鬼で、召喚した若者のうち、一人の体に乗り移った。何故か仮面と武器は異世界から召喚されたが、体は召喚されなかったのだ」
「それでどうなったのでしょうか?」
「殺人鬼はそこにいた若者達を次々と襲った。その日が金曜だったから、『金曜日の殺戮』と言われている。すぐに捕まえて死刑にしたかったが、体は貴族令息のものだ。かなりの時間を有したが、結局死刑になった」
「もしかして、あまりに悲惨だったから、この文献が絶版になり禁書に?」
「そうだ。古代文献現代語訳の『滅び滅び滅びの綻び』という謎の呪文を魔法陣の中で唱えただろ?」
「やりました」
オレが聞いた不気味な呪文だ。
こいつらが唱えていたのか?
これは召喚の呪文だったのか。
って事はオレは召喚されたのか?
「アレは殺人鬼を召喚する言葉だと学者が言ったんだ。誰かの体に入って、殺戮をするとな。その後に制定された法律では、誰かの体に乗り移ったのを見つけたら、身分関係なく死刑になると決まった」
待て待て。
このままでは死刑だ。
異世界から来た事をバレないようにしなければ。
「…だから、儀式をしたのがバレた後は、武装した騎士に囲まれて、意識検査と身体検査があったのか…」
一人の若者が納得したように言う。
「お前らが作った魔法陣は完璧じゃなかったから、今回は何も召喚されなかったんだろう。もしも、侯爵様の身に何かあったら、追ってお前たちの家に通達を送るが、まずは侯爵様に謝りなさい」
「…はい」
「どんな罰があろうが、お前達がした事は許されない」
全員がベッドの隣に来て、一人だけ一歩前に出ると謝罪の言葉を述べた。
前に出た人物は、相当地位が高いのだろう。
周りの生徒のまとめ役という事は、生徒会長か?
違うなぁ…きっと侯爵であるオレより地位が高いんだろう。
だが、全員が青ざめている。
オレが怖いのか、罰が怖いのか。
わからないけど、オレが異世界からやってきたとバレたら、今度はオレが危うくなる。
「謝ってくれるのはいい。ただ、私は何も覚えていない」
この告白に、全員が青ざめる。
「何も…とは。侯爵様?それはどういう…」
初老の男性は、息を呑んだ。
「自分の名前も何もかもわからない」
どんな言葉遣いで、どんな振る舞いをするのが正解かわからないから、記憶喪失を装うしか生きる道はない。
こんなところで死にたくはない!
この告白は衝撃的だったらしく、若者達は全員追い出され、長いヒゲの長老みたいな人がやってきた。
その人物は医者のように目の中を覗き込んだり、耳を見たりした後、私に手を翳した。
ヒゲの長老の掌から光が溢れ出て、オレを包み込む。
なんなんだ?
もしかして魔法がある世界なのか?
尚更死にたくない!
死にたくないということだけを一生懸命に考えた。
ヒゲの長老は、
「打ちどころが悪かったようだ。記憶が戻るまでは時間がかかるが、最悪の場合は戻らないかもしれない」
と残念そうに言った。
よかったー。異世界から来た事はバレていない。
でも、この体の持ち主の魂はどこへ行ったのだろうか?
高いところから落ちたせいで、体から魂が弾き飛ばされて、そこにオレが入ったのか?
真相を調べる方法はないだろうな。
「そもそも私は何故ここにいたのでしょうか?」
念の為聞いてみた。
「侯爵様は古代魔道具の研究機関にお勤めなのですが、1000年前の魔道具解体中に、その中に込められた邪気を浴びてしまい意識不明のなか、こちらに運ばれました。そして治療を終え、休息塔でお休みだったのです」
「魔道具…解体…。という事はこちらは、邪気を払う機関ですか?」
「いえ、ここは国教であるスーシェ教の教会です。地震で休息塔から大聖堂の屋根に落ちてしまわれたのです」
「そうですか。もう体調は回復してきました。あとは記憶だけ。家に帰ったら何か思い出すかもしれないので、帰りたいのですが」
日記とか、資料とか、書類とか。
なんでもいいから今はこの世界の手がかりが欲しい。
「本当にお帰りになられるのですか?」
ヒゲの長老がすごく驚いている。
「記憶のない侯爵様に申し上げるのもなんですが、あまりお屋敷にはお帰りになられてなかったので…」
「じゃあ私はどこに住んでいたんでしょうか?」
「古代魔法研究所の宿泊棟で寝泊まりされ、身の回りの品物は届けさせていたと侯爵様の部下から伺っております」
家に帰らず、仕事場暮らし。
しかも使用人を呼びつけていたと。
なんたる事だ…。
もしかして、鬼嫁がいて家に帰りたくなかったのか?
「記憶がないので、自分のことがわからないのですが、私は結婚しているのでしょうか?自分の名前すらわからないので…」
「ここはグリムスエンド国で、貴方様はフィリップ・フレイザー侯爵様。年齢は28歳で、ご結婚はまだでございますが、お嬢様がいらっしゃいます」
「結婚していないのに、娘?」
「亡くなられたアーサー・フレイザー前侯爵様の一人娘、クリスティーナ様です。正確には姪御様なのですが、貴方様がお兄様から爵位を継がれたのでクリスティーナ様は義理の娘ということになります」
つまり、兄の子供を養子にしているんだな。
「その子は何歳なんでしょう?」
「6歳でございます。侯爵様が留守がちなので、一人でお暮らしです。ですから、お喜びになるかと思います」
帰ると決まったのなら着替えなければ。
体を起こして、ベッドから立ち上がった。
なんだ?腕や足が細すぎるだろ。
一歩踏み出し、よろけてベッドの背もたれに掴まる。この体貧弱すぎる。
「侯爵様!立てるのですか?」
「立てますけど、歩くのは大変ですね…」
「脚の感覚は?」
「かんかく?うーん、痺れているようで感覚があまりないですね。高いところから落ちたせいかな」
なんでこんな事を聞くのかな。
「侯爵様は脚が悪く、魔道具生活だったんですよ。それが歩けるようになったとは!両脚はほぼ感覚がなくて、日常生活は魔道具に頼りっきりだったのに」
「魔道具があれば歩けるように?」
「侯爵様は車椅子を使っていらっしゃいました」
ベッドの横に置いてあるキャスター付きの椅子みたいなのが車椅子なのか。
っていうかアレは魔道具なのか?どう見てもただの椅子だ。
「邪気をとった時に、脚にも作用したのでしょうか。こんな事は初めてです!」
左足の感覚はあまりないが、転生前の体も怪我で足の感覚はあまりなかったので、これくらい普通だ。右足にいたっては、ほとんどないけどゼロではない。
日本人のオレは体を動かすことが好きだった。
子供の頃は近所の道場で剣道を習い、中学から部活で陸上。趣味でボルダリングをしていたが、高校で趣味も陸上もやめてラグビーをし、大学の2回生で引退。
試合中の怪我で足先が痺れて感覚が無くなったのが原因だ。
手術とリハビリで多少は回復したけど、現役引退は免れなかった。
その後は、これといったスポーツはしていない。
職場では運動に縁遠いと思われているが、そういうわけではない。
「今から、歩く努力をしますよ。それより私の服は?」
「お召し物でしたら、あちらのハンガーにかかっているものでございます。今、フレイザー侯爵様付きの使用人がいらっしゃいますからお待ちください」
ヒゲの長老みたいな人は、使用人を呼びに部屋を出たので、なんとか歩いて服を手に取ると、そこに鏡があった。
映っていたのは、青白い顔をして頬がこけた銀髪の神経質そうな顔の男性だ。
これがオレの顔…。
ただ単に、歩く努力をしなかったのか、それとも体力が無さすぎたのか。
とりあえず、この軟弱な体をなんとかして鍛えるしか、方法はないのかもしれない。
洋服を手に取った時、ノックの音が聞こえ、綺麗な栗色の髪色の男性が入ってきた。
「フィリップ様!歩けるようになったのですか?ご自身の足で歩いている姿を最後に拝見したのは20年前でございます」
「貴方は?」
「私は貴方様の侍従のポール・リードでございます」
ポールは喜びながら、着替えを手伝ってくれた。
貴族の世界では自分で着替えないらしい。
ベッドから少し歩くので、汗が滲み限界だったからありがたい。
家までは馬車で20分くらいだと言われ、馬車に乗った。
気がつくと夕方で、馬車の窓からは灯りのついた街並みが見える。
月は昇るまえで、かと言って太陽の明るさがやや残るくらいの空なので、まだ星も見えない。
オレンジ色と藍色の中間って綺麗だよなぁ。
その時、オレが落ちた塔が見えた。
かなり高い。
あそこから落ちて生きているのは奇跡じゃないかな。
気になるのは、塔の真下が大聖堂で、塔から落ちたオレは地面に落下したわけではなく、屋根に落ちたということだ。
落下した屋根の真下では、魔法陣を描き儀式をしていた。
その儀式の最中に、魔法陣のど真ん中にあたる場所に落ちた可能性が高いんじゃないのか。
おおよそ、あの怪しげな儀式で召喚されたのだろう。呪文を聞いたのだから間違いないと思う。
検証のしようはないが、この体の持ち主は体力がない状態で邪気を浴び、さらに塔から落ちて亡くなったのかもしれない。
その肉体にオレが入った。
きっと、元の世界には戻れないだろうな。
この世界は魔法があって、服装も景色も19世紀みたいだ。
映画かドラマのセットに入り込んだみたいで、現実の景色だとは思えない。
「ポール、君は私の侍従だって言ったけど、知っての通り今は記憶がないから、私のことや家の事を教えて欲しい。それから君の事も」
「かしこまりました」
ポールの話によると、生まれつき脚が悪くずっと魔道具に頼る生活をているらしい。
使える魔道具は魔力量によって違い、かなりの種類の魔道具を使っていたから魔力量は多いらしい。
仕事は、古代魔道研究機関には王立学園大学部を飛級で卒業し、18歳から勤めていること。
本来なら、侯爵家を継ぐはずではなかったが、兄が亡くなり跡を継ぐことになったのが2年前。
もともと侯爵邸にはほとんど顔を出さなかったから、6歳になる姪のポーリーンに会ったのは、洗礼式以来だった事を聞いた。
「フィリップ様、本当に記憶がないんですね…。記憶を無くすと人ってこんなに変わるものでしょうか?」
体はフィリップだけど、中身は安藤夏生だから、変わるよ。
とはいえない。死にたくないから。
「わからないけど、なんで?」
「フィリップ様は、無口であまり笑わない方です。10年侍従をしている私が笑顔を拝見したのは1度きり。会話も必要最低限しかされず…つまり…」
「いつも不機嫌だったと?」
「申し上げにくいのですがその通りです」
この体の持ち主であるフィリップは人と交流せず、いつも不機嫌で神経質だったという事だろう。
「今までの事は忘れてほしい。何もわからないんだから、君たちに頼るしかない生活なんだから」
「はい。そのように努めます」
「気にせずに本当の事を教えて欲しい」
今は、ずっと支えてくれているポールに頼るしかない。
「では、事実のお話をします。侯爵邸の使用人達は、たまにしか戻られないフィリップ様から、高頻度でお叱りを受けておりまして、皆、怯えてのお迎えになると思います」
「そっか。仕方ないよね」
ポールは先祖代々フレイザー侯爵家に勤めるリード家の次男で、長男の名前はジョン。
ジョンはもともとアーサー・フレイザー前侯爵の侍従だったが、アーサーが亡くなった後は、フィリップから領地経営を任されて、そっちに常駐しているそうだ。
つまり、全部人任せにして魔道具研究しかしなかったという事だな。
かなり問題ありだな。
「フィリップ様、そろそろ着きます」
ポールに言われて外を見ると、公園の中のような手入れされた芝生に綺麗に刈り込まれた生垣が見えた。
その奥には、ザ貴族のお屋敷っていう外観の3階建ての建物がある。
大学くらいの大きさがある豪華な建物の入り口には、すでにたくさんの使用人達が整列しており、お出迎えをしてくれているようだ。
「あれ何、やりすぎじゃない?」
「言いにくい話ですが、前回フィリップ様がお帰りになった際に、お出迎えがないと苦言を呈されたためです」
馬車を降り、邸宅内に入り、予想通りの豪華さに言葉を失う。
どうすればいいかよくわからない。
という事は無駄な事を言わない方がいい。
自室だと案内された部屋に入り、やっと一人きりになれた事に安堵する。
フィリップというこの体の持ち主は、かなり面倒な性格だったらしい。
侍従であるポールの話から推測するに、体が弱い事と、誰かに言われたわけでもないだろうに性格も見た目も頭もいい兄と勝手に比較して劣等感を抱き、どんどん拗れていったタイプのようだ。
めんどくさい。
この世界で生きていかないといけないなら、もう少し過ごしやすくしようとおもうけど、差し当たってこの世界のことを知らないといけない。
とりあえずは、食事は部屋で済ませ、マナーや基礎的な事はポールに教わる事にした。
職場は、邪気を受けた時点で休職が確定していらから最大半年くらいは休んでも問題ないらしい。
半年あればなんとかなるかな?
魔法に対しての基礎知識がないから不安だ。
自室に案内され、病み上がりだからとスープを食べ、この日は気疲れのせいなのかすぐに眠りについた。
翌日、目を覚ますが真っ暗だ。
「しかし暗い部屋だな」
夜中なのかと誤解するくらい暗い。
どうしたものかと考えていると、燭台を持ったポールが部屋に入ってきた。
廊下は明るいから、この部屋が暗いだけのようだ。
窓には分厚いカーテンがかかっており、陽の光は全くささない。
ポールに聞くと、フィリップが暗い部屋を好んでいた事がわかった。
明るくして欲しいとお願いすると、目張りするようにきっちり閉め切っていたカーテンを全部外してくれたのだ。
部屋の広さと豪華さに驚く。
クラシカルな高級ホテルのスイートルームに案内されたようで落ち着かない。
ポールいわく、子供の頃からの自室のようで、当主用の部屋には寄り付かないそうだ。
朝食を食べ終わった直後、かなりビクついた様子の執事がやってきた。
「ご体調が悪い中、申し訳ございません。一年前からお手紙を送っておりますクリスティーナ様の教育の件でございます」
執事が言うには、通常5歳から読み書きや魔法などを家庭教師から習うのが貴族の通例だが、爵位に見合った教育を受けさせるには、いい家庭教師をつけないといけない。
当然だが、いい家庭教師は報酬も高く、クリスティーナ用の予算では雇えないのと、人事権はフィリップにあるので執事には決定権がない。
だから、予算と採用面接をお願いしているが、フィリップは1年間無視し続けたそうだ。
なんて嫌なヤツなんだろう。
ポールにも確認したが、その通りだったようだ。
何度促しても、子供は嫌いの一点張り。
視界に入らないようにしないと、修道院に追いやると使用人達に脅しをかけていたようだ。
だから姿を見かけないのか。
前世?の安藤夏生には姉がいて、甥っ子がいた。
子供の相手をするのは大変だから積極的に関わっていたわけじゃないけど、嫌いなわけでもない。
オレは仕事中に突然消えてしまってこの世界にいるから、家族は心配しているだろう。
現代日本において神隠しなんてあり得ないからね。
家族や友達の事を思い出して、寂しい気持ちになったが、後戻りの方法がわからないのだから、ここでフィリップとして生活するしかない。
「クリスティーナをここに呼んで欲しい」
オレの言葉を聞いて、執事もポールも驚いたが、実際に本人を見てみるしかない。
10分後、オレと同じ銀髪でアクアマリンのような薄い瞳の少女がやってきた。
顔は陰気臭くはなく、美少女だ。
「お久しぶりです。伯父様」
少女がカーテシーをしてくれたが、見たことがないから正解がわからない。
「クリスティーナ、普段は何をして過ごしているの?」
「普段ですか?一人で本を読んだり、みんなの仕事を眺めたりしています」
「クリスティーナは家庭教師が欲しい?」
「もっもちろんです」
オドオドしながら答えている。
多分、オレが怖いんだろう。ガリガリで頬がこけて、顔色が悪いんだから、オバケみたいに見えるのかもしれない。
クリスティーナが部屋から出ていった後、執事を呼んで家庭教師の募集を出すように指示する。
「記憶を無くすと、人ってここまで変わるものなんですか?別人ってレベルじゃない変化ですよ。明るい部屋にいますし、クリスティーナ様に笑いかけてましたし、私と会話をしています」
側にいるポールとすら会話をしなかったんだ。
どうやって過ごしていたんだ?
「さあ?以前のことは何も覚えてないから」
「ここまで何もかも違うと、清々しいくらいですね。でも、ここだけの話に留めておきます。これでは他家に付け込む隙を与える事になりますから」
「昨日関わった人達には知られてしまったけど?」
「神殿に今から手紙を出しておきます。記憶は戻った。一時的に混乱しただけだと」
ポールは本当に優秀だ。
「じゃあ、順番に常識的な事を説明していきます」
まず教わったのは、侯爵として生きていくための貴族社会についてだ。
貴族社会は足の引っ張り合い、騙し合いなので、人を易々と信じてはいけない。
そのため、夜会などの社交の場でない限りは笑わないのが常識らしい。
「ふーん。愛想笑いもダメなもんか?」
営業をしていたオレはいつも愛想笑いをしていた。
笑うなと言われると難しい。
「ダメですね。笑顔を見せるのは気を許した相手だけです。誰にでも笑いかける人は、騙しやすいと思って相手は舐めてかかってきます」
プレゼンする側は笑うが、される側は笑わないみたいなもんかな。
売り込むほうは、相手の表情で会話の流れを掴もうとするけど、相手が無表情なら会話をリードできないからか。
「フィリップ様は今まで社交を嫌がっていました。残念ながら貴族社会ではご友人はいらっしゃらないこともありまして、夜会などには参加されていませんでした。ですが、これを機に参加して交流を持っていただきたいです」
フィリップは、娯楽であるオペラやバレエや音楽などは好まず、貴族の仕事である領地経営は一切やらず。
他の貴族達とは会話が噛み合わなかったらしい。
当然ながら社交の場には呼ばれなかったようだ。
それでは、情報交換ができない。
下手をすれば、わざと没落させられる可能性だってあるとポールは言う。
確かに、法律や世の中の変化に対応できなければ会社は潰れていくからな。
1時間経過したところで、体がかなり疲れているのを感じる。
ポールも休憩しようと言ってくれた。
「病み上がりだからかすぐに疲れるな」
ベッドに寝かせてもらい、思わず弱音を吐く。
「いつもの事じゃないですか」
ポールは薬湯を入れてくれた。
「こんなに体力がないのか…」
この体の軟弱さに呆れる。
知識もさることながら、同時にリハビリもしないといけない。
きっと歩けるはずなのに、何故歩く事を諦めたんだろう。
答えは車椅子にあった。
これは階段の上り下りもできるし、高いところの物も取れる。
自らの足で歩かなくても不便はなかったようだ。
オレは自分で歩く方がいい。
だから、食事の改善と、リハビリにも取り組む事にした。
食事は、基本的には脂身の少ない物で、味も薄め。スイーツは抜き。
この世界では、複雑な味が好まれるらしく、シンプルな味付けは生活レベルが低い人向けらしいので、かなり抵抗された。
フィリップは、食が細い上に、かなりの偏食だったらしい。手の込んだ高級食材しか食べなかったようだ。
特にスイーツはタルトが好物で、屋敷から届けさせていたそうだ。
それでも、なんとか食事改善に、歩く練習、上半身の筋トレを続けて一ヶ月。
歩ける可能性が高かったが体力が無いだけだと予想した通り、健康になると少しずつ歩けるようになった。
しかし、右足の感覚が無いのは変わらないし、左足も少ししか感覚がない。
だから、安全のために、杖は使う事にした。
食事のおかげで、見た目は少し健康的になった。
魔法やマナーについては、身についていた。体が覚えていたのだ。
ただし、思考はオレなので魔法の基礎知識は覚えないといけない。研究はまだ無理だ。
領地経営は、教わればなんとかなりそうだ。簿記2級持っていたから、全くゼロからじゃない。
甥っ子に構う感覚で、クリスティーナとも会話できるようになった。
なんとなく侯爵家としての体裁が保てるようになってきて、ポールも執事も毎日喜んでいる。
差し当たっての問題は、クリスティーナの家庭教師だ。
初回面接は執事とポールにお願いしているが、ポールの言葉を借りると、来るのは財産目当ての行き遅れか数々の貴族からクビにされた問題ありしか来ないと嘆いていた。
「色々なツテでお願いしてみたんですけどね。普通は5歳からつける家庭教師をつけていない時点で、何かあるのかと、いい人材には警戒されて」
「そうか。私の評判自体も悪いからな。社交もしていないし」
「フィリップ様は大きく変わりましたけど、確かに評判が…。それも相まって、応募が無いみたいだと人伝に聞いたので、貴族新聞に広告を出した結果、財産目当てばかり来るようになりまして」
「もうお手上げって事か?」
「最終手段として、メイドなどを斡旋してもらう就職斡旋所に求人を出しました。でも、期待はできないですね」
この世界の学校は12歳からで、それまでは家庭教師をつけるのが普通らしい。
家庭教師に習うのは、マナー・基礎魔法・魔法理論・歴史・外国語・地理・物語(日本でいう国語に相当する部分)・計算らしい。
フィリップはフレイザー侯爵家をどうするつもりだったのか、姪っ子の将来をどう思っていたのか。
謎だよな。
****
サマンサ・ペトラスは、暗い顔をして求人票を眺めていた。
もう時間がない。
ちゃんとしたところに就職するなら、紹介状がないといけない。
ただし、発行から半年以内のものを出すのが通例だが、サマンサの持っている紹介状は、発行から7ヶ月経過している。
しかも、発行したのは在籍していた聖モントライ学園。
卒業証書に毛の生えた程度のものなだから、ハッキリ言ってなんの意味もない書類だ。
「またアンタ、落ちたのね。どうしても貴族のお屋敷に就職したいなら、誰かの口利きじゃないと無理よ」
受付の太ったおばさんが、抑揚のない声で言う。
「それでも、受けれるところってありませんか?」
必死な私を見て、呆れているが、一枚の紙を出した。
「アンタに紹介できる最後の仕事だよ。ちゃんとした紹介状がなきゃ、これ以上は無理だね。受かる確率はゼロに近いけど、これしかないから」
出された紙は家庭教師の求人票だった。
内容は、フレイザー侯爵家の6歳の娘の家庭教師、住み込み可。
お給料は、家庭教師だからメイドより高い。
高位貴族のお屋敷でメイドの仕事は職業斡旋所に公募が出てくることは多いけど、家庭教師って普通は出てこない。
口コミで雇うのがほとんどだから、何か裏があるとか…。
疑いたくはなるけど、受けるしかない。
「面接日は、今日ですか?」
求人票には面接の時間しか書いていない。
「毎日、10時からやるみたいだよ。いい人が見つかったら終わりだから、どうしても受かりたいなら今日行くしかないね」
「沢山の人がこの求人票を受け取ったんですか?」
「そうだよ。それから、酔狂な侯爵家は、1ヶ月も前に貴族新聞に求人を出したらしいから、沢山の応募があるんじゃないのかね」
もう後がない。
生き延びたければコレにかけるしかない。
今の私の立場は危うい。
私は、隣国のサンザルナイト王国で生まれた。
サンザルナイト王国は、世界有数の魔法石の鉱山と金山を抱える鉱物資源国で、数年前までは平和で豊かな国だった。
父は、現在の国王の12番目の子供。
つまり12番目の王子だ。
母は、陶磁器メーカーを営むペトラス伯爵家の娘で、私は現国王の68番目の孫、王位継承権90番目として生まれた。
王族である父は第二夫人まで持つことができるので、母は第二夫人だったが、ペトラス伯爵家では王族に見染められた事を大層喜んだそうだ。
王位継承権から遠い父と、普通の貴族の母から生まれた私は、王位継承権は一切関係がないので、のびのびと教育を受けた。
私が8歳の頃、「将来、この国の女王様になるかもしれないから」と冗談めかして父が言い、「完璧な女王教育が受けられたら、ペットにポニーを買ってやろう」という言葉に乗せられて王族としての教育が始まった。
当時は、こんなに沢山の王族がいるのだから絶対に王位継承権は回ってこないし、高位継承者として過ごすこともないとわかっていた。
でも、父の始めた女王教育が予想外に面白かったので続けていた。
その父は、私が15歳の頃に流行病で亡くなり、18歳の時に母も同じ病で亡くした。
それでも、母方の祖父母は私に優しかった。
私が20歳になった頃、転機が訪れたのだ。
父の兄である皇太子が亡くなり、王位継承権争いが勃発した。
皇太子の子供3人(つまり私の従兄弟)と、元第二王子、第三王子の5人が後継者争いを始めた。
ここで不運だったのは私の外見だ。
サンザルナイト王国の王族にしか現れないという紫色の瞳と、空色の髪の毛を持って生まれた。
現在、後継者争いの中で度々語られるのは、外見。
王族である証明の紫の瞳と空色の髪の毛を持つものの正当性を語られるのだ。
困った事に、国王の子供や孫は、全員で100人以上いるのに、この外見を持って生まれたのは、わずか9人。
私はそのうちの1人。
空色の髪を持つのは全体の4割、紫の瞳を持つのは5割。
でも両方持つのは9人しかいないが、王位継承権から遠すぎるので運がいい事に知っている人はごく少数の親戚と宰相様だけだ。
その宰相様から、「髪色と瞳の色が知られたら王位継承権争いに巻き込まれて、政治の駒に使われるか、最悪命を落とす」と言われた。
事実、継承権52番目のライリーヌ王女は無理矢理に他国に嫁がされ、継承権38番のジョシュア王子は幽閉されている。
宰相様からその話を聞かされたペトラス伯爵家の現当主である叔父は心配して、苦肉の策として国交のない隣国のグリムスエンド国に、行商人であるゴッサム商会に紛れて入国させてくれた。
国交のない国を選んだのは、そう簡単に連れ戻されないため。
苗字を変えないのは、ペトラス伯爵が王族から「政治の駒である私を追い出した」と難癖をつけられて、爵位剥奪に遭わないようにするため。
伯父様が、「サマンサは仕事を見つけて出て行った」と胸を張って言えるようにわざと名前を変えない。
同じ理由で、勤務先は貴族の屋敷以外に考えられないのだ。
だから、なんとしてもここに就職しなければ。
就職斡旋所のガラス張りのドアに映る自分を見て、身なりを整える。
カツラがズレていないか、地毛が見えないか念入りに確認してから、もらった求人票の住所に向かった。
カツラを被っているのには理由がある。
サルザナイト王国の王族にしか生まれない空色の髪は、カラーリングができない。
どの地域にも一番多い栗色やダークブラウンに染めようとしても、金髪に脱色しようとしても無理なのだ。
そのためダークブラウンのカツラをかぶり、風でカツラがズレないように帽子を被る。
瞳の色も誤魔化すため、栗色のコンタクトだ。
今度こそ、職を得なければ。
そう思って節約のため、歩いて面接に向かう。
場所は、貴族街にあるフレイザー侯爵家か。
毎日、宿屋に宿泊しているサマンサはスーツケースを肌身離さず持っている。
面倒だけど盗難防止のため。
大荷物だから歩くと予定時刻をオーバーしそうね。
遅刻しないために、早歩きの魔法を使わなきゃ。
*****
フィリップの体に入っている安藤夏生は、1ヶ月半が経過しても、まだ自分が転生した事に慣れていなかった。
転生先は、彫りの深いはっきりした顔立ちで、日本人のようなつるんとした顔の人はいない。
外国人って、美男美女しかいないよな。
使用人の男性を見ると、イケメンすぎて緊張するし、メイドを見ても美人すぎて緊張する。
だが、鏡を見ても緊張しない。
1ヶ月半前はガリガリで目元はくぼみ顔色が悪かったが、少しだけふっくらした今の顔を鏡で見ても美男だと思った事はないのだ。
神経質そうで、陰気な顔だよな。
笑うと、右の口角だけ上がって、皮肉を言っているみたいな顔になる。
この顔、笑わない方がマシなんだろう。
それに比べて侍従であるポールは、人当たりがよく、考え事をしていても、様になるし、笑うとそのイケメンっぷりに見惚れてしまう。
最近の楽しみは、姪のクリスティーナと、ポールが会話をしているところを眺める事だ。
外国の映画のワンシーンみたいで、本当に絵になる。
フィリップは姪っ子と交流を持たなかったそうだが、俺は唯一の家族だからなるべく関わるようにしている。
今日は10時のお茶の時間に、クリスティーナを呼ぶ。
「叔父様、毎日わたしの家庭教師の面接が行われているのでしょ?」
「そうだよ。第一面接を終えたら、私が面接をするが、まだ第一面接を通過した者はいないんだ」
「今から始まるのよね?」
クリスティーナはポールの方を見た。
「さようでございます。貴族専門の家庭教師の方々に該当者はおりませんでしたので、家庭教師の方は魔法を使えなくても良いという募集要項に変更してあります。勉強を教えてくださる方をまずは見つけましょう」
貴族が特権を持っているのは、高度な魔法が使えるかららしい。
家庭教師は普通、魔法の基礎を教えられる人を選ぶらしいが、今はそうは言っていられない。
ポールの言葉にクリスティーナは頷き、南側の壁をウキウキしながら眺めた。
私達がお茶をしている部屋は、小さな部屋だが、南側の壁は魔法によって隣の部屋が見える作りになっている。
しかも、こちらの音は聞こえないが、隣の部屋の音は聞こえる。
よく刑事ドラマで見る、取調室横の部屋に小さな部屋があり、刑事が容疑者を監視できる作りになっているのと同じだ。
隣の部屋は、10時から始まる家庭教師の面接を受けに来た人が、ざっと30人くらいいるのだ。
私たちが見ている事を知らないし、まだ面接が始まっていないので、普通に過ごしている。
壁に掛かった絵画を眺める者、念入りに化粧直しをする者。
隣の部屋の様子をクリスティーナは興味深そうに眺めている。
「クリスティーナは気になる人はいる?」
「あの人は肌が出過ぎ、あの人は化粧濃すぎ。絶対に財産狙いよ」
「確かに肌の露出が多いのはダメだな。クリスティーナの教育に良くない」
「誰も見ていないと思って、奥の左から2番目の人は胸に手を入れたわ。詰め物の位置を直してる!」
「レディはそんな事、口走らない」
注意すると、かわいい顔で頬をぷぅっと膨らませる。
「叔父様は私に厳しすぎですわ」
チラッとこっちを見る。
「そんな事はないよ。レディとしての教育は大切だ」
オレの様子を伺っていたようで、笑顔を見せる。
「わかっていますわ。今の叔父様のままでいてくださいね。以前の叔父様に戻らないでね」
この笑顔に弱い。
うーん、オレってチョロいな。
「クリスティーナ様に接する方には、身なりや仕草や言葉遣い全てにおいて侯爵家に相応しい方でないといけません。でも、今回もいないかもしれませんね」
ポールの言葉を聞いて、改めて隣の部屋を見る。
「半分は、家庭教師の面接に来たんじゃないな。普通の身なりの応募者は半分以下か…」
濃い化粧に、派手なドレスの女性が多い。
オレの言葉を聞いたポールは渋い顔をする。
「いい方がいらっしゃればと、ついでに婚約者探しもしたかったのですが…まともな方はいらっしゃいませんね」
ポールとクリスティーナは同時にため息をついた。
「叔父様は私のお父様なのだし、結婚相手の方はお母様になるんですものね。派手な家庭教師も嫌ですけど、派手なお母様はもっと嫌ですわ」
この言葉で派手な外見の応募者は、面接をせずに落選を通知する。
「外見が大切だって聞いたから、着飾ってきたのに」
と怒る者が多数いて驚く。
誰がそんな事言ったんだろう。
「侯爵様に会うのが目的なんです。合わせていただけないかしら?」
「この方がお会いできるのなら、私がお会いできないなんて不公平ですわよ!」
「この日のためにドレスを新調しましたのに」
執事が派手な女性達に囲まれている。
申し訳ないが、ここは対処してもらおう。
「いったい誰よ?侯爵は車椅子の陰気な人で、貴族女性から相手にされていないから、本職の女性が好みだって、言った人!」
胸がこぼれ落ちそうなほど露出の高いドレスの女性が叫ぶ。
「黙りなさい、娼婦!なんで下品なのかしら。侯爵様は血筋を大切にされるんですのよ。まあ、モテないのは確かですけど、血筋がしっかりした経験豊富で美しい女性が好みと噂ですのよ」
エステ通いが趣味と顔に書いてある中年の美魔女が、大きな胸を見せつけるように言った。
いや、どっちも好みじゃないんだけどな。
「なんで、派手な女性ばかりなんだ?」
「始めから、そのような格好の女性ばかりなんですよ。フィリップ様狙いなんですね」
ポールは茶化すように言う。
「なんで?婚約者を探しているなんて言ってないのに」
「それは、研究に明け暮れて、社交をしないからですよ。だから取り入りやすいと思われているんでしょう」
「私を甘く見過ぎだよ」
侯爵家なのに舐められたもんだな。
「厳しく行きましょう?叔父様がいいと思っても、私のお母様になる方なんだから厳しく審査しますわ」
クリスティーナは執事に詰め寄る女性達の様子を眺めながら、呆れたようにお茶を飲む。
高みの見物をしていると、ノックの音がして、メイドが一人入ってきた。
「旦那様、至急のお手紙が届いております」
トレーに乗せられた封筒を受け取る。
すごく手触りのいい封筒には、蜜蝋での封がされていた。
「これは、マッキーオン公爵家のものですね。嫌な予感がします」
ポールが難しい顔をして封筒を見るので、すぐに開封してみた。
驚いた事に、中に入っていたのは招待状だった。
手紙もついている。
「開催場所変更のお知らせ…どういうことだ?」
手紙の内容は、子供好きな第二王妃殿下のお誕生日のサプライズパーティーの場所が、王家所有の温室から、音楽ホールに変わったという内容だ。
急な変更なのは、温室の換気システムの不具合が原因であると、参加者に謝罪する内容となっている。
「温室に行く場合の入り口は王城の南口だが、音楽ホールは離宮になるから案内状を出してきたんですね」
「これは、記憶をなくす前の私が出席を希望したんだろうか?」
封筒の表裏を何度も見る。
「いえ、かなりの確率で出していないと思います。マッキーオン公爵様のイベントでは『欠席の方はお手紙をください』となっておりまして、無反応なら必然的に出席を表明した事になるんです」
「出欠を取るのではなく、欠席だけ取ると。確かに後々、面倒ごとになりそうだね」
「念の為、開催日を確認させてください」
ポールが手に取って驚く。
「フィリップ様、大変です。開催日は本日で18時からとなっております」
「そもそもの話だが、マッキーオン公爵からの招待状はいつ受け取ったんだ?」
「わかりません。フィリップ様宛のお手紙は、私が預かり、その後お渡ししておりますが、マッキーオン公爵様からのものは、ここ半年間受け取っておりません」
ポールが知らないと言っているのだから、知らないんだろう。
急遽欠席すればいいか。
「叔父様、この封筒にもう一枚お手紙が入っていますわ」
クリスティーナの指摘で、封筒の中を見ると、パーティーのプログラムが入っていた。
「これって、サプライズパーティーといいながら、発表会だな」
甥っ子が幼稚園から持って帰ってくるお遊戯会のプログラムにそっくりだ。
子供が順番に何かしらを披露するのだろう。
サプライズなだけあって、何をするのかは書かれていなかった。
プログラムにはダンス部門と、音楽部門の2部構成で、出演者の名前が書かれているだけだったが、クリスティーナの名前が書かれている!
これはまずい。
本人の目の前でこれを言うと不安にさせてしまう。
「クリスティーナ、ちょっとここで待っていてくれ」
それだけを言うと、ポールに目配せをしてこの部屋から出た。
「王妃殿下のサプライズパーティーに、何故、クリスティーナの名前があるんだ?」
「わかりません。欠席の返事を出さなかったからでしょうか…。でも、音楽部門に名前が載っているということは、ダンスをするのか音楽をするのか選んだということですよね?」
ポールの指摘の通り、誰かが返事を出したのだろう。
でも、今は誰の仕業なのかを調べる暇はない。
「当日に欠席をしたら、流石にまずいよな」
「王妃様へのサプライズパーティーですからまずいですよ。急遽、病欠にしますか?」
その時だった。
「あの、今のお話を聞いてしまったのですが」
突然、声をかけられてびっくりして顔を上げる。
唐突すぎて頭が混乱し、部屋から出てすぐに話し始めたので、ここが廊下だということを忘れていた。
声の方を見ると、一人の家庭教師候補者が立っていた。
「王妃様のためのパーティーなんですよね?どんな無理をしてでも出席するべきです」
化粧っけのない顔からは、強い信念が感じ取れる。
「どういうことだ?今から家庭教師をつけようとしているところなのに、まだ何も学んでいないクリスティーナに出席しろと?」
普通に話したつもりなのに、強い口調になってしまったからか、女性は少し怯んだが、表情は変わらない。
「申し上げた通りです。出席しないと、後々まで響きます」
何故断言できるのだろうか?
家庭教師候補は面接が終わり次第、帰されている。
今しがた面接を終えた女性は、不採用を言い渡されて帰るところなのだろう。
執事が面接してみて、落選だと思った女性なのだから話を聞く必要はないのだろうが、どうしても気になった。
「君は、絶対に出たほうがいいと思っているわけだね。ではその理由を聞かせてもらおうか」
「わかりました」
女性はふぅっと息を吐いた。
****
フレイザー侯爵家の家庭教師の面接に来たサマンサ・ペトラスは、今、目の前の男性二人に説明を求められている。
出過ぎた忠告であることはわかっているが、ここで聞かなかったフリをするときっと後悔すると思ったのだ。
「何故、後々まで影響が出ると思うのだ?」
杖をついた痩せ細った男性が鋭い目でこちらを見るが、怯んではいけない。
「先ほど聞こえたお話では、第二王妃様のパーティーの演目の出演者一覧に、出演希望を出していないにも関わらず、お嬢様のお名前があったのですよね?しかも、開催日は本日。それは意図的に仕組まれたものでしょう」
「意図的に?」
「誰かが、侯爵家の家名を貶めるため、お嬢様の評判を地に落とすために仕組んだ事でしょう」
「無断欠席ならそうかもしれないが、何故欠席の通知を出してはダメなのだ?」
「他の出演者の家格は同格なはずです。つまりは、お嬢様を孤立させる意図と、王家から疎まれるように仕向ける意図を感じます。ここでつまずけば、挽回は難しいでしょう」
王位継承から程遠い私でも経験があることだ。
皇太子殿下さえ存命であれば平和に暮らしていたであろう私ですら、子供の頃に経験がある類の意地悪だ。
ここで対処出来ないと、子爵令嬢にすらバカにされてしまうかもしれない。
「では、どうすればいいのだ。君には考えがあるのだろう?」
杖をついた男性は、私と話している途中で栗色の男性の方を向いた。
「部屋へ」
それだけを言われた栗色の髪の男性は、ここから一番近い部屋のドアを開けた。
室内を見ると、業者用の応接室なんだろう。
代理業者との商談用に作られたらしく、応接セットとはちがう、事務的な椅子や机がある。(かなり高級品だけど)
杖をついた男性は、椅子に座ると私を招き入れた。
栗色の髪の男性は、面接用のファイルを持って話しかけてきた。
「君、名前は?」
「サマンサ・ペトラスです」
面接予定表で私の名前を探している。
「ペトラス嬢は家庭教師の経験も、教育者の経験もないんだね。推薦状は、聖モントライ学園のものか。この学園は、世界的に有名で、高位貴族や有名人の中にはこの学園卒業の人が一定数いるが、一方で訳あり子女も通うんだよね」
栗色の髪の男性は笑顔でこちらを見たが、内心ではどう思っているのかしら。
「学力やマナーは問題ないのは想像がつくけど、君は訳あり子女の部類かな?」
「はい。両親が他界して、叔父夫婦に育てられました。高い教育を受けさせてはもらいましたが、これ以上迷惑はかけられませんので」
ここで嘘を言ってはバレるので、家庭教師をしたり理由の半分を言う。
「なるほどわかった。本題に入ろう。君の解決策を聞こうか。場合によっては、本日限りの臨時採用をする。一日だけだが、メイドの1ヶ月分の給料を出そう」
杖をついた男性の言葉を聞いて息を呑んだ。
これで少しは生き延びれる。
「お嬢様の出演は音楽部門と聞きました。音楽部門の出演者は多分、皆何かしらの楽器を演奏するでしょうが、お嬢様には練習する時間がありません。ですから歌で勝負します」
「歌?それはあまりにも庶民的ではないのか?それは評判を貶める事にならないのか?」
「魔道具で演奏して、それに合わせて歌い、簡単な踊りを踊るのです。つまりはいいとこ取りです。ですが、今から色々と揃えるにはかなりのお金がかかるかも…」
「それは大丈夫だ。君に任せよう」
そのあと、事の経緯を説明してくれた。
そして、杖をついた男性は部屋から出ていった。
「あの方が、フレイザー侯爵家当主フィリップ様だ。私は、ポール。君は臨時採用された。では、早速クリスティーナ様のところに行こう」
次に案内された部屋は、豪華なサロンで視界に入るもの全てが最高級品だと手に取らなくてもわかる豪華なサロンだった。
そこに、銀髪でアクアマリンのような瞳をした美少女が待っていた。
隣には杖を持った侯爵様がいる。
改めて二人を見ると、やはり似ている。
侯爵様は痩せてはいるが顔には生気があり、優しい目でクリスティーナ様を見ていた。
面接の待機所での噂話では、陰気な顔をした白髪の車椅子に乗ったガリガリの男性だと言われていた。
目は落ち窪み、背は丸まっていて、まるで80代の男性に見えるが本当は30歳にもなっていない、女性には全く相手にされない冷血侯爵だと噂している人もいた。
はたまた、女にモテないし相手にされない暗闇が好きなドラキュラみたいな人だから、ベッドで骨抜きにできれば侯爵家の資産は使い放題だと、妖艶な女性達が話しているのも聞いた。
そのどれも違う。
明るい部屋で並んでいる二人を見ると、噂というものはあてにならないとつくづく思うだろう。
侯爵様は痩せてはいるが、生き生きとした普通の男性だ。
クリスティーナ様も噂とは違う。
侯爵は義理の娘を大切にしていない。
白髪でガサツな野生児のような子供の面倒をみないといけない。厳しい躾にはムチも必要と話している受験者もいた。
実際のクリスティーナ様を見ても、ムチが必要だと思うだろうか?
絶対にないわ。
このお二人の噂話は意図的に悪い話を流されているのだろう。
そして、今回の評判を落とすための悪意ある招待状。
絶対に、クリスティーナ様に悪い評判をつけないようにしよう。
自分と重ね合わせて見てしまうのは良くないけど、不幸にはなってほしくない。
「はじめまして、クリスティーナ様。私は、サマンサ・ペトラス。臨時の家庭教師でございます」
私ができる1番綺麗なカーテシーをしてみせる。
「たった数時間ですが、私の知識を貴女様に伝授いたします」
クリスティーナ様のために、自分の持てる力を全て発揮しよう。
どうせ臨時だもの、後のことなんて考えないわ。
今から散財必至の計画を説明する。
「その前に、ここからの計画は本当に信用できる人しか関わらせません。これは、クリスティーナ様とフレイザー侯爵家の家名を失墜させるための意図的な計画性を感じます。きっと内通者がいるはずです」
この突拍子もない話を信じてくれるか不安だったが、侯爵様もクリスティーナ様も信じてくれた。
「では、ポールを含めた4名だけで計画を進めよう。当然だが、君の臨時採用も誰にも言わない」
「では、サマンサ嬢が私達と過ごす言い訳を考えないと疑われますね」
ポールさんは言い訳を考えようとしているようだ。
「じゃあ、ポールの学生時代の友人の妹というのはどうだろうか?」
侯爵様の提案にポールさんは渋い顔をする。
「それでは、フィリップ様とクリスティーナ様が同席する理由が見つかりません」
確かにそうだわ。
「じゃあ、ポールの古い知り合いで、現在は婚約者という事にしてはどうか?私の侍従の婚約者だ。丁寧に扱うのが普通だろ?」
侯爵様の提案に、私もポールさんも驚いて顔を見合わせる。
ポールさんの顔には困惑の色が見てとれたが、すぐに普通に戻った。
「お二人の為です。今回は臨時の婚約者という事にしておきましょう」
ポールさんはこちらを向いてにっこりと微笑む。
「臨時の婚約者様、よろしくお願いいたします」
握手を求められたので、手を握り返す。
「侯爵様、私とサマンサ嬢は了承しました。意図しない婚約なので、二人に臨時ボーナスをお願いしますね」
綺麗な顔をして抜かりないわ。
ちょっと笑いそうになるけど、どうにかして堪えた。
「じゃあ場所を変えよう」
侯爵様が立ち上がった。
杖をつきながら、ゆっくりと歩くのをクリスティーナ様が補助している。
「ここだと、いまからやろうとしていることがダダ漏れだ。別館は独立した建物だから、誰もいない。すぐに移動しよう。二人の新居の相談という事にして移動だ。二人は仲睦まじくしてくれ」
家庭教師の面接に来たのだから、先ほどからたくさんの人に見られている。
「ちょっとだけ待ってもらえますか?」
スーツケースから、大きなつばの帽子と、同色のストール、ヒールの高い靴を出した。
「これで、面接に来たとは思いませんわよね?」
「確かに。全く別人だね。家庭教師というより、どこかのご令嬢に見えるよ」
侯爵様は感心してくれている。
王族としての教育も受けているのだから、自分の醸し出す雰囲気も変えれるのだ。
「では、婚約者様、お手を」
整った顔に、高い身長のポールさんと腕を組み、仲良しの演技をしながら移動する。
演技だと分かっていてもドキドキするわ。
舞い上がる自分と、冷静でいなければと思っている自分がいる。
見つめ合って微笑むとか、演技じゃなくても見惚れてしまって声が上擦ってしまう。
これは演技だと言い聞かせて、別館に入った。
「サマンサ嬢、必要以上に触れてしまい申し訳ありませんでした」
ポールさんは紳士的に謝ってくれた。
きっとこの人、女性にモテるんだろうな。
って、今はそんな事考えている場合じゃない。
「本日18時までに間に合わせるために同時進行で準備します。まずドレスは、珍しいデザインにしましょう。その方が粗探しをされにくいので。ですから、行商人のゴッサム商会を私の名前でここに呼んでください」
ゴッサム商会の商人達はこの街のどこに何が売っているのか知っているし、当然珍しい品物もいっぱいある。
そもそも、私をこの国に入国させてくれたので、人となりも知っており、ぼったくられる心配もない。
ポールさんは、私に魔法の封筒を渡してきた。
封筒の色がオレンジだ。
これは臨時便で、声を送ることができる。
確かに、これならすぐに開封してもらえるわね。
音声便を使って送った後、3人を見た。
「次に、歌う歌ですが、クリスティーナ様は、どのような歌をご存知ですか?」
教育らしい教育を受けていないから6歳まで家庭教師をつけていないのだろう。
何にも知らなければ、最悪、高価な魔道具に頼らないといけないかも知れず、その時は不正を見破られないかヒヤヒヤしないといけなくなる。
「メイド達が歌う歌なら、よく聞いていますわ。皆、お洗濯や掃除をしながら歌ってくれるんです」きっと、執事や女中頭にメイドの方が怒られるのだろう。
高貴な方に庶民の歌を教えるのは良くない事だもの。
「どのような歌か、ここで歌ってもらえませんか?どちらにしろ、発表して頂くので、恥ずかしがらずにお願いします」
数曲の歌の中に、有名な舞台の劇中歌があった。あとはそれぞれの地方に伝わる歌だ。
「今の歌の中に、第二王妃殿下のご生誕地など、ゆかりのある歌はありますか?」
この質問にポールさんが「調べます」と言ってくれた。
その時、別館にメイドがやってきた。
「ただいま、ウエディングプランナーの方がいらっしゃいました」
若いメイドは別館からの去り際、すごい視線を私に向けてからいなくなった。
きっとあの子、ポールさんの事が好きなんだわ。
「お久しぶりです。そろそろ他国に移動する時期だろうけど、力を貸して欲しいんです」
ゴッサム商会の皆さんは、私の正体を知っているので、今からやりたい事を説明すると、全て理解してくれた。
「クリスティーナ様、やらないといけない事がいっぱいありますがよろしいですか?私達は、貴女様が困らないようにサポートいたします」
「私がバカにされるのも嫌だけど、叔父様が誤解されるのも嫌なの」
「わかりました。全力を尽くします」
くっと顎を上げて、強い目で私達を見る姿は、強くもあり美しくもある。
僅か6歳でまだ教育も受けていないのに、この聡明さ。
私にはあんな時期はなかったわ。
ここら歌の練習をしながら、採寸をしたり、お茶の飲み方など最低限の仕草を教える。
「サマンサ嬢、ドレスはどんなデザインにする?」
「10歳未満の子女のドレスは膝丈フリフリ、白のタイツが多いけど、あれはいいとは思わないの」
「この国はそのドレスが多いわね」
「でも、世界の主流はハイティーンのドレスみたいに、足首丈じゃない?それにしましょう。背中にはワイヤーを入れて、背筋を伸ばさなくても、まっすぐになるようにして欲しいわ」
既存のハイティーンのロングドレスのスカートと上半身部分を切り離す。
その間に、サイズの合ったスリップタイプのドレスをクリスティーナ様に着てもらい、上半身部分はパーツごとに分解したものを、スリップドレスに貼り付けていく。
「そんな大胆な事をするんですか?」
ポールさんが恐る恐る聞いてきた。
「応急処置です。数時間さえ持てばいいので、縫い合わせません。ベースになるドレスに貼り付けて、それっぽく見せるだけですよ。あとは魔法で処理をしたら綺麗に仕上がるわね」
ゴッサム商会のおかみさんが手際よくドレスを貼り付けながら答える。
「靴擦れができて、歩けなくなっては困りますから、今の靴をデコレーションしますね」
マニキュアを靴全体に塗って、そこにスパンコールを貼り付けた。
スリップ状のドレスに直接布を貼り付けているので、ドレスを破かないと脱げないが、今日一日なんとかなればいいので、大胆に進められていく。
その間に、沢山のハンドベルを渦巻状に並べていく。曲は、第二王妃殿下の出生地域で歌われている子守唄にした。
これは、偶然、クリスティーナ嬢に歌って聴かせていたメイドがいるのだ。
これなら歌えるし、間違えないという事で選ばれたのだ。
「渦の外から順番に鳴らしていくと、メロディーになるから」
普通は、音階分だけのハンドベルを並べて音楽を演奏するのが普通だけど、覚える暇はないから、一曲分のハンドベルを並べて音楽を奏でてもらう。
大量のハンドベルを使うので、お金があるフレイザー侯爵家だからこそできる事だ。
「侯爵様、このハンドベル全部買い取ってもらうよ?」
おかみさんは買取の確約をとったせいで大喜びだ。
「ドレス代に、服飾加工代。それからハンドベルと。今日売れるのは全て高級品だから、二週間分の売り上げが上がるよ。毎度あり」
おかみさんは小さな声で嬉しそうに耳打ちしてくれた。
次は、お祝いの言葉だ。
幸いにもクリスティーナ嬢は文字が読める。
その為、たくさんあるハンドベルの持ち手の頂点に一文字ずつ書いて、内側から読むと、お祝いのメッセージになるように文字を配置した。
もちろん、証拠が残らないように、ハンドベルを触ると文字が消える仕組みだ。
髪を結いアクセサリーをつけて、時計を見ると午後5時だった。
間に合ったわ!
「侯爵様、一つ助言がございます。グリムスエンド国では、デビュタント前のレディには侍女または、家庭教師が付き添っておりますので、サマンサ嬢に侍女のフリをしてもらってはいかがでしょうか?」
ゴッサム商会のおかみさんが突拍子もない事を言った。
「確かにそうだな。うん、サマンサ嬢も着飾ってパーティーに同席するように」
フレイザー侯爵の指示で、10分で支度する。
「サマンサ嬢のドレスも買取ですよ?」
おかみさんの言葉に、侯爵はわかったと気のない返事をした。
別室でおかみさんが着替えを手伝ってくれる。
「まだ就職が決まってないんだろ?これで、家庭教師を勝ち取りなよ?そうしたら、あんたは心配事から解放されるからね。それに、もう少し私たちに儲けさせてくれると嬉しいね。あのお嬢さんのドレス、これから必要なんだろう?」
さすがおかみさん、私のことも商売の事も考えていて抜かりない。
家庭教師という職業は、メイドと違い家族の一員として扱われるので、体裁が保てる職業だ。
家庭教師の職を得たい。
面接の時の事を思い出してみる。たった数時間前なのに、もっと前のように感じる。
面接内容は形式的なもので、今まで受けてきた男爵家や子爵家の家庭教師の面接と内容は同じだった。
どこの学校を卒業したのか、有名な教育者や家庭教師に教えを乞うたか。
それで何がわかるのだろうか。
何もわかりっこないわ。
サンザルナイト王国生まれの私が、ここグリムスエンド国で家庭教師の職を得ようとすることがそもそも無理難題だったのかもしれないと不採用を受け入れて、これからの事を考えていたはずなのに。
今は、ドレスを着て、第二王妃殿下の誕生日イベントに行こうとしている。
おかみさんはカツラである事を知っているので、地毛が隠れるように上手に結ってくれた。
「サマンサさん、素敵!」
クリスティーナ嬢が褒めてくれた。
「何処からどうみても、爵位持ちのレディですね」
ポールさんは感心している。
そんなポールさんもハンドベルを移動させたりしないといけないので同行してくれる。だから、私と対になった侍従服に着替えていた。
侯爵様とクリスティーナ様の馬車を追いかけるようにして、ポールさんと会場に向かう。
ここまで準備しながら考えていた。
誰が、フレイザー侯爵家の評判を落とそうとしているのか。
果たして、こんな大切なイベントの出欠確認を普通に手紙として出すだろうか?
使者が持ってくるのが普通だし、受取人を指定してくるのが当たり前だと思う。
招待状を受け取るとしたら、執事かメイド頭だろう。
それとも、マッキーオン公爵が黒幕なのかな?
それとなくポールさんに聞くと、同じように疑問に感じているようだ。
「フレイザー侯爵家の評判を失墜させたところで、残念ながらフィリップ様の評判は元々悪いので意味がない事なんですけどね」
行けばきっとわかるだろう。
当事者ではないのに、緊張から無言になってしまった。
****
サマンサという訳あり女性を臨時で採用したが、大正解だった。
最初は自分の決定を少し疑った。
前世?であるオレ(安藤夏生)の上司は『やらない失敗より、やる失敗を選べ』と言っていた。
今回はそれを実践したのだ。
きっと間違ってはいない。
そう信じよう。
そう思って流れに任せてみた結果がこれだ。
馬車の向かい側に座っているクリスティーナを見る。
糊で貼り合わせたドレスを着ているとは思えない。
魔法で仕上げをしたとはいえ、完成度が高すぎる。
突然届いた身に覚えのない招待状を欠席するつもりだったのに、たった数時間で準備をして、今向かっている。
すごい行動力のある女性だが、訳ありっぽいのがすごく気になる。
離宮の入り口で馬車を降りる。
「フレイザー侯爵家フィリップ様、クリスティーナ様、ようこそいらっしゃいました」
王宮の職員が出迎えてくれた。
「叔父様、よろけないように私が腰を支えますわ。素敵な叔父様をみんなに見て欲しいから、なるべく杖は封印ですわ」
小さな声でクリスティーナが囁き、オレに寄り添ってくれた。
ポールが予備を持っているだろうから、今日は杖を持たずに歩き出す。
まずは、第二王妃殿下にお誕生日のお祝いを伝え、サマンサ嬢が、急遽用意してくれた誕生日プレゼントを贈った。
急遽ゴッサム商会から買ったもので、中身はオレも知らない。
あげることに意味があるから大丈夫だろう。
その後、案内されたボックス席に入り、他の招待客を見る。
後ろではサマンサ嬢とポールが控えてくれている。
これで安心だ。
異世界から来たオレは、誰が誰だかわからないし、マナーもちょっとやばい。
幸いな事に、オレに対しては形式的な挨拶しかする人がいない。
よかった。
ボロが出ずに済む。
しばらくすると第二王妃殿下が壇上に立ち、歌の演目が始まり、あっという間にクリスティーナの番になった。
教えた通り、祝辞を述べた後、ハンドベルを演奏しながら第二王妃殿下の出身地の子守唄を歌った。
数時間で完成させたとは思えない演目と、誰とも被らないドレスが高評価に終わった。
子供同士の歓談タイムが始まった。
どの子も、家庭教師や侍女や侍従を伴ってホールで歓談している。
クリスティーナは中心的存在になったようで、サマンサ嬢はその様子を見て嬉しそうにしていた。
サマンサ嬢は、ご令嬢やご令息に付き添う大人と会話して情報交換をしている。
オレは、自分のブースからは動かず、他の貴族が挨拶に訪れても断った。
外国人の顔の違いがあまりわからないから、この世界に完全に溶け込むまでは出会う人は絞りたい。
幸いにも、フィリップは社交には出てこないという事を皆んなが知っているから、トラブルにはならなかった。
今回、自分の足で歩いているところや、クリスティーナと仲良しである事をたくさんの人が目撃しているから、評判は変わっていくだろう。
帰りの馬車の中での事だ。
「叔父様は、噂と違って素敵だって言われてましたわ。あと、サマンサさんの事を聞かれたので、家庭教師だって伝えましたの。全てサマンサさんのおかげで、私は一目置かれる存在になりましたのよ」
周りのご令嬢達から、ドレスや髪型を褒められたのが嬉しかったらしい。
何度見ても、糊で貼り合わせたドレスだとは思えない。
頭の柔らかい、すごい女性だ。
フレイザー侯爵家についた時、サマンサ嬢が神妙な顔をしてこちらに来た。
報酬の話だろうか?と思ったが、違った。
「申し訳ありませんが、このお屋敷に勤める方々を集めて頂けませんか?」
まるで何処かの名探偵のような事を依頼してくる。
「あっああ。わかった」
挙動不審な返事をしてしまったが、そのセリフに焦ってしまったのだ。
「お召し物はそのままで、サロンにいらしてくださいませ」
優雅な仕草には似合わない、深い影の映る瞳を直視できない。
「わかった。すぐに行こう」
「いえ、侯爵様とクリスティーナお嬢様は最後に入ってきてくださいませ。なるべく優雅に、そして何があっても無表情でお願いします」
意図がわからないが、全員をホールに集めさせた。
言われた通り、クリスティーナと二人、最後に入り、正面雛壇に置かれた豪奢なソファーに座る。
しかし、内心はドキドキしている。
サマンサ嬢の指示で、ポールは私たちの後ろに控えているが、何をするつもりなのだろうか。
「皆様、お集まり頂きましてありがとうございます。私の事は、誰でもないと思っていただいて結構」
使用人達は無表情にサマンサ嬢を見ている。
優雅に立ち、大きな声で話す姿は、神々しく見えて、眩しい。
本当に庶民なのか?
訳ありと言っていたから、何処かの高位貴族の隠し子なのかもしれない。
「私は、雇い主に忠誠を誓わない使用人が許せないのです。何故、フレイザー侯爵家を貶めようとするのでしょうか。侯爵様とクリスティーナお嬢様の悪い噂を流して、まともな家庭教師が来ないように仕向けたり、今日の招待状も意図的に隠されていました」
まともな家庭教師の応募がなかった理由がここでわかり、驚いたが、顔に出ないよう表情筋をこわばらせる。
「今、目の前にいらっしゃるお二人を見ても、同じことができますか?ポールさん」
もしや、黒幕はポール??
「このようなお姿でなくとも、フレイザー侯爵家のために忠誠を誓いましたから、最善を尽くします」
無表情に答えるポールはなんだか怖い。
「では、それを証明して見せてください。焼印を押しますか?」
「もちろんです。私と同じ心持ちのものは名乗り出てください」
なんて事言うんだ!
頭おかしいのか?
チラリとクリスティーナを見ると、無表情で身動き一つしない。
肝が据わっている。
「私は、クリスティーナ様のお父様であるアーサー様に拾われなかったら、きっと路頭に迷っていたでしょう。当主が変わっても同様です」
御者が名乗り出た。
「私もです」
メイドや、料理人など5人が名乗り出てきた。
「皆様はポールさんと一緒に、隣のお部屋で待機してください」
ゾロゾロと部屋を出ていく様子を、全員が眺めている。
もしかして、本当に焼印を押すと思っているのだろうか?
そんな非人道的な事、するはずがないのに、信用されてないのかなぁ。
「次に、皆様の右腕を上にあげてください。私が指差す方は、正面出口から退出してください」
ここで、サマンサ嬢が指さしたのは3人。
「次に、そのまま右腕の袖をめくって肘を出してください。腕はあげたままです」
ここで4人が指名された。
サマンサ嬢が選んだ人は、普段からクリスティーナを大切にしてくれていた人で、クリスティーナは、お礼にビーズのブレスレットをプレゼントしていたらしい。
それをちゃんとつけてくれている人を見つけて指名したのだ。
「全員、許可されていないアクセサリーをつけていましたね」
まるで違反をしたような物言いだ。
「話は変わりまして、侯爵様は休職されるまでほぼ庁舎で過ごされていたそうですね。公爵様のお着替えには、すごく特徴があったそうです。ここ1ヶ月、侯爵様のお着替えの準備を担当していた方々はどなたでしょうか?」
6名が気まずそうに手を挙げる。
通常、貴族の寝室着や着替えは強くプレスして、シワを飛ばすそうだが、フィリップはプレスされた着替えを好まなかった。
肌に触れるものだけ洗いざらいの上、柔軟剤を使っていて肌触りを良くし、目に見えるものだけは強目にプレスしするという細かい好みを把握してからいたのは、全員ではなかったらしい。
ここ1ヶ月は、いつも好み通りの着替えを用意してくれていたので、この人達を探し出したようだ。
「この中で、襟のプレスを必ずかけていた人は手をそのままに」
全員が手を下ろした。
通常なら、主人の襟はきっちりプレスする。
しかし、主人に忠実ならプレスしないのが正解だ。
「通常を守りませんでしたね。では、正面出口から退出してください」
下を向いて退出していくすがたが悲しそうだ。
「次は備品の話です。普通は、魔道具のライトは白色にしますが、3階の離れの電気は色が違います。こちらを購入した、または、購入を指示した方は?」
3人が手をあげたので、退出を促す。
どんどん人が減っていく。
この後も、たいした事ない事を聞き、退出を促していく。
そして、最後に残ったのは10人だった。
執事に副料理長、メイドの主任などが含まれているのは驚きだ。
「最後まで残った方には素敵なプレゼントがあるので期待してください」
サマンサ嬢はにっこり笑い、お茶の準備を始めた。
ワゴンに乗せた10種類の茶葉から適当にお茶を選び、ポットの横に置く。
「皆様、ここでティータイムです」
複数のティーポットにそれぞれ違う茶葉を入れてお湯を注ぎ、私たちを含めた全員分のお茶を準備してくれた。
ここで、3人がサマンサ嬢の手伝いをしてくれたが、サマンサ嬢がオレとクリスティーナにお茶を渡そうとすると、全員がやんわりと止めた。
それから、未使用のティーポットにお茶を入れて、私とクリスティーナに持ってきてくれるのだ。
しかも、私には砂糖は3つ、クリスティーナには2つと、温度にもこだわったものを協力して準備してくれている。
サマンサはお茶を飲み終えると、3人を指名した。
「お茶の手順は大事ですわ」
自分が邪魔されたとでも言っているようにも見える態度で、3人を出口に誘導する。
「残ったのは7人ですね。これで確定です」
ここでクリスティーナを部屋の隅から退出させた。
その間にサマンサ嬢は豪華な装飾が施された封筒を手渡している。
そして、銀製のスパークリングワインのグラスを並べて注ぎ、全員に配った。
「それでは、フレイザー侯爵家から一言お願いいたします」
オレは立ち上がると、グラスを掲げた。
「執事に、メイド副頭、が含まれた7人は選ばれし者だ」
全員が嬉しそうだ。
「全員、今日この場を持って退職とする。ここにいる全員が、フレイザー家にとって不利になる噂を流したり、妨害をした。私や、クリスティーナを虐待しているという嘘を流した者。招待状などをいつも意図的に隠していた者。いい人材の採用を妨害していた者、様々だ」
皆の動きが止まる。
「退職金はその封筒に入っている。出るだけ有難いと思って欲しい。その代わり、紹介状は書かない。全員の前途を祝おう」
オレはグラスを高らかと掲げてから、スパークリングワインを飲んだ。
「侯爵様、この女に騙されています!何故、私たちが公爵家を貶めようとするのですか?」
「そうですよ。見たことのないこの女は誰ですか」
メイド副頭は、サマンサ嬢に詰め寄る。
「アンタ、ベッドで骨抜きにしたのかい?夜中にこっそり忍び込んだんだね。見たことないオンナだし、着飾っても下品だもの」
「見たことない女に操られるなんて、体だけじゃなく心もおかしくなったんじゃないですか?記憶も戻ってないんですよね?」
次々とサマンサ嬢に文句を言うのを止めようとすると、いつのまにかポールが会場にいてサマンサ城を守るように立ちはだかった。
「下品な事はやめていただきたい。私の婚約者だ」
ポールが立ちはだかるが、騎士の一人であるライドンが思いっきり襲いかかったので、庇い切れずにライドンが投げた銀のグラスがサマンサ嬢の顔に当たる。
思わず息を呑んだ。
女性の顔に傷をつけたのだ。
しかし、解雇を告げられている全員はそんな事、気にしている様子もない。
サマンサ嬢は下を向いたまま顔を上げないので、ポールは心配しながらも、ライドンを拘束した。
「大丈夫か?」
サマンサ嬢を安全な場所に移動させて、顔を見ようとすると、目元を押さえていることに気がついた。
それについてはオレだけじゃなく何人もが気がついたようだ。
「もしやお前は悪魔の化身で、燃えるように赤い眼じゃないのか?見せろ!」
数人が、大きな声で罵る。
「気にしなくていい」
庇おうとするが、サマンサ嬢は顔を上げた。
「私は悪魔の化身ではありませんわ」
眼を隠している手をずらそうとした時、正面出入り口が開いて、雇用継続を約束された侍従やメイドが入ってきて、7人を押さえつけてこの屋敷から追い出してしまった。
眼を押さえたまま、サマンサ嬢は声を出さずに泣いている。
「お世話になりました」
そのまま逃げようとするサマンサ嬢をみんなは優しく慰める。
「あいつらの言うことなんて気にしないで」
誰が何を言っても首を横に振るだけだ。
床に涙の粒が落ちる。
「サマンサさん!お願いここにいて欲しいの」
クリスティーナがお願いをするが、やはり首を横に振る。
「今、この場から退出しないと、皆様に迷惑がかかるので」
鳴き声のサマンサ嬢をみんなで宥める。
「何があっても、私たちはあなたを尊重するわ」
「フレイザー侯爵家のためにここまで頑張ってくれたんだもの」
「クリスティーナ様のために、初めて会ってここまで頑張ってくれる人なんていないわ」
全員の優しさで、逃げ出そうとしていたサマンサ嬢の動きが止まった。
「私の秘密を知っても、味方だって言える人はいらっしゃらないと思いますわ」
顔を上げて、ゆっくりと手を退かす。
今まで茶色だったサマンサ嬢の瞳が、片目だけアメジストのようにキラキラと光っていた。
「私は、グリムスエンド国と国交を断絶しているサルザナイト国の血が流れているんです。この国でこの瞳の色だと知られると、国外追放だと聞きました」
笑顔を使っているが、無理に笑っているようでポロポロと涙が溢れている。
その様子を見て不謹慎だが、美しいと感じてしまった。
「その瞳の色はサルザナイト国の王族に見られる色ですね。確かに、隣国で後継者争いが勃発した時、我が国まで兵を率いた王族が攻めてきて、戦争になったし、逃げてきた略奪を繰り返して村を滅ぼしたし、酷い思いをしたよ」
「あの時、隣国の王族の血を引く人は強制送還って法律ができたけど…ね?」
この場にいる人たちが、目配せして笑顔になった。
「私たちは何も見ていないわ。あら!確か、ポールさんサングラスあったわよね?」
「そうそう。あーこの部屋眩しいわ」
「ね?サマンサさん。サングラス欲しいわよね?」
「ほらほら、早く出しなさいよ」
一人がポールにサングラスを出させて、サマンサ嬢の顔にサングラスをかけさせる。
「部屋が眩しすぎて、イマイチ色がわからないのよね」
「私の瞳の色…」
小さな声でサマンサ嬢がいうが、みんな無視している。
「さあ、今日はクリスティーナ様の社交が成功したお祝いですよ」
「サマンサさんもたくさん飲まなきゃ」
楽しそうにみんなが笑っている。
「ポールさん、こんな可愛い婚約者をホールまでエスコートして差し上げなきゃ」
一人がポールとサマンサ嬢を の手を繋がせた。
「サマンサさんほどクリスティーナ様の家庭教師に相応しい人はいないわ」
皆が口々にサマンサ嬢を褒めて、オレに今すぐに契約を交わすよう迫った。
クリスティーナは、「契約してくれなかったから、私はもう叔父様の杖代わりになんかなりませんからね!」と謎の脅しをかけてくる始末だ。
みんなに囲まれて、サマンサ嬢と家庭教師の契約を結ぶと歓声が上がった。
これから、フレイザー侯爵家はいい方向に向かうだろう。