第6話「私は教師で、彼は俳優。それでも私は――」
朝。職員室の扉が開いた瞬間、空気が変わった。
それは、週刊『真映』の最新号が全国のコンビニに並んだ日のことだった。
誰もがその一面を見た。
《国民的俳優・一之瀬湊が深夜密会! 相手は“教育関係者”?》
記事には、夜の街灯の下で誰かと唇を交わす写真。
名前も学校名も、相手の顔も“非公表”。
だが、それだけでは抑えきれない憶測が広がっていった。
「…ねぇ、これ……椎名先生じゃない?」
「髪型、後ろ姿、…そっくりだよね」
同僚教員たちの間でひそひそと囁かれる。
遥香は何も言わずに、机に向かって資料を整理し続けた。
——“名前が出てない”から守られていると思っていた。
でも、真綿で首を絞められるように、周囲の目が彼女を追い詰めていく。
* * *
その日の午後、教頭から呼び出された。
「…本件について、保護者からの問い合わせが増えています。
一部の保護者からは“説明責任を求める声”も上がっていまして…。」
「……はい。」
「このまま報道が続くと、職務に支障が出るのではと心配しています。
椎名先生、自ら“進退”をお考えになる時期かもしれません。」
その言葉は、遠回しな退職勧告だった。
遥香は黙って、深く頭を下げた。
* * *
その夜。
湊は、所属事務所の社長・黄金と共に、都内のホテルで記者会見を開いた。
数十社の記者が集まり、フラッシュが飛び交うなか、
湊は、真っ直ぐとした眼差しで言った。
「まず、皆さまをお騒がせしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。」
「記事にあった“女性”についてですが、相手の名前や職業は、私からは明かせません。」
記者からの質問が飛んだ。
「相手は教育関係者という噂がありますが、本当ですか?」
湊はしばらく沈黙したあと——
「その方は、私にとって“人生を変えてくれた大切な人”です。
学生時代から憧れていて、今も心から尊敬しています。」
「私が誰かを愛してはいけない職業に就いているとは思いません。
恋をすることは、人として正直でいることだと、私は信じています。」
会場がざわついた。
社長・黄金がマイクを引き取り、毅然と語った。
「本件について、所属事務所としては湊の発言を尊重します。
また、相手の方の身元特定など過剰な取材があれば、法的措置を検討します。」
その会見は翌朝、各ニュースで報じられた。
だが――相手の名前は一切出なかった。湊は、遥香の“名誉”だけは守り抜いた。
* * *
その翌朝、遥香は早朝の教室でひとり机に向かっていた。
そこに、1人の女子生徒が静かにやってきた。
「先生、……あの記事の人って、先生ですよね?」
遥香は何も言わなかった。
「でも、先生が誰を好きでも、私は先生が先生でいてくれたら、それでいいです。」
……静かに、涙がこぼれた。
* * *
その日の放課後、遥香は職員室で封筒を差し出した。
「……辞職願です。
これ以上、子どもたちにも学校にも負担をかけたくないので。」
教頭は苦い顔でうなずいた。
だが、校長は静かにそれを押し返した。
「……椎名先生。あなたは、教師をやめるために、教師になったんですか?」
「……でも……私がいるだけで、学校が……」
「“先生が誰を愛しているか”で、あなたの授業の価値は変わるとでも?」
「……私は……」
「あなたが生徒に教えてきた“誠実さ”を、あなたが今、裏切ってはいけませんよ。」
遥香は、その言葉に初めて――心の底から、肩の力を抜いた。
* * *
夜。
自宅に戻ると、玄関前に湊が立っていた。
「先生。……いや、遥香さん。」
「……ちょっと、早いでしょ。そんな呼び方」
「でも、俺はもう逃げないって決めたから。」
遥香が小さく笑った。
そして、湊が一歩近づいて、真剣な目で見つめる。
「…俺と、結婚してください。」
「……いいの? 国民的俳優が、教師と?」
「いいんじゃなくて、そうじゃなきゃダメなんだよ。」
遥香は何も言わず、湊の胸にそっと顔を預けた。
そして、その夜――
何度も、熱く、確かに唇を重ね合った。
2人だけの秘密は、
“先生”と“俳優”という枠を越えて、
いま、静かに、愛という真実に変わろうとしていた。