第5話「先生の恋と名誉、どちらを守りますか?」
「椎名遥香先生、ですよね?」
電話越しに聞こえてきた記者・野間崎の声は、乾いた冷たさを帯びていた。
「突然のご連絡失礼します。私、週刊『真映』の記者・野間崎と申します。
国民的俳優・一之瀬湊さんの“恋人”について取材しております。…昨晩、先生のご自宅に彼が訪ねていましたよね?」
遥香は凍りついたまま、声が出なかった。
「……先生、無言は“肯定”と捉えられますよ。あなたの勤務先、確認済みです。
あの校舎、特徴的ですからね。学校名と、教師である証拠。撮れれば、翌週には一面ですよ。」
「……脅しですか?」
ようやく絞り出した声に、野間崎は笑った。
「いえいえ。事実確認です。取材っていうのは、そういうもんでしょ?
でも……ひとつだけ“条件”を飲んでくれれば、掲載は見送りますよ。」
「……条件?」
「この恋、諦めてください。
“湊くんの足を引っ張らない”という選択が、先生の誠実な教育者としての最後のプライドじゃないですか?」
電話が切れたあと、遥香はしばらく立ち尽くしていた。
胸が、締めつけられる。
(教師としての名誉と、湊との恋。……どっちを選べば……)
* * *
その夜。遥香は湊に連絡を入れた。
《今夜は会えない。明日、時間ある?話したいことがある》
* * *
翌日、遥香と湊は人気の少ない図書館近くの公園で会った。
「……先生?」
湊はすぐに異変に気づいた。
「昨日、記者から連絡が来た。私の名前も学校名も、もう知られてる。
条件を飲めば報道しないと言われた。“湊のために別れてくれ”って。」
湊の目が鋭くなる。
「ふざけんな……!」
「でも、これは現実よ。湊、あなたは俳優で、私は教師。
一緒にいることが正解だとは、きっと誰にも思ってもらえない。」
「じゃあ、何?俺に黙って、別れようとしてたの?」
「……私が耐えれば、あなたの未来は守られると思った。
教師としての名誉も、学校も、子どもたちも守りたかった。」
「そんなの、俺が望んでる未来じゃない……!」
湊の拳が震えた。
「俺の未来に、先生がいないなんて、意味がないんだよ。」
遥香は、目を伏せて——涙をこらえながら言った。
「湊、もし今も私のことを好きだと言ってくれるなら……
今夜、もう一度、あなたの事務所に話をしてほしい。“守るべき相手がいる”って。」
湊は目を見開いて頷いた。
「わかった。俺、必ず説得する。」
* * *
その日の深夜。
湊は、社長・黄金のもとを訪ねた。
社長の隣にはマネージャーも同席していた。
「…先生と別れるくらいなら、芸能界を辞めてもいいです。」
「……は?」
沈黙が走る。マネージャーが焦る。
「湊、お前なに言って——」
「俺は先生に救われた。人生も、今の自分も、全部あの人がいたから。
彼女が笑ってくれなかったら、何の意味もないんです。」
黄金は、しばらく黙ったあと、ふっと笑った。
「ははっ……言うようになったな。“守る覚悟”があるなら、俺もその女教師、守ってやる。
記事は止められなくても、対処はできる。マスコミ対応は俺に任せろ。
だがその代わり——絶対にスキャンダルを超える“本物の仕事”を持ってこい。俳優として結果を残せ。」
「……ありがとうございます。」
湊は頭を下げた。
* * *
その頃——
職員室では、瀬戸美優の退所が正式に発表されていた。
彼女はある俳優と交際し、極秘に婚約していたことが発覚し、引退を選んだ。
美優は遥香に会いに来た。
「……これで邪魔者はいなくなったわよ。あとは、あなた次第。」
美優は少しだけ笑って去っていった。
* * *
そして、最後に——
新たな共演者、新倉千蓉が現れる。
湊と千蓉が映画の撮影をしている現場。
撮影終わりに千蓉が、笑みを浮かべて湊に近づく。
「……ねえ、湊くん。実は私、あなたにずっと憧れてた。
もし彼女と別れることがあったら——次は、私の番、だよね?」
湊は、静かに首を振った。
「千蓉さん。俺、もう誰かと比べて恋をするつもりはありません。
ずっと前から、たった一人しか見てません。」
その視線の先には、報道にも負けず、教壇に立ち続ける——“あの人”の姿があった。