第2話 「先生を好きになるなんて、思わなかった」
それでは――
教師と生徒のあいだに芽生えてしまった、けして口にできない想い。
ほんの少しだけ近づいてしまった“心の距離”を描く物語。
「椎名先生って、どうして先生になったんですか?」
秋の午後。
教室の窓の外には紅葉がゆらめいていた。
放課後、提出物の確認に残った一之瀬湊が、ふいに問いかけてきた。
遥香は教卓の上で手を止めた。
「え? どうして、そんなこと聞くの?」
「……なんとなく。国語、すごく好きそうだから」
遥香は少しだけ照れて笑った。
「実は昔、文学部に進んで、“研究者になりたい”って思ってたのよ。
でもね、ある先生に言われたの。“あなたは教えることに向いてる”って。
それで教育の道に進んで、気づいたら……ここにいた」
湊は頷いたあと、小さくつぶやくように言った。
「……じゃあ、今、後悔してませんか?」
「え?」
「“先生”になったこと。
“教師”って立場じゃなかったら、別の人生があったのかなって、思うことないですか?」
遥香は、その問いにすぐには答えられなかった。
(もし、教師じゃなかったら……私はこの子に、こんなふうに心を動かされることもなかった?)
そんな“もしも”を考えてしまった自分が、怖かった。
「……私は、今の自分が好きよ。
でも……たまに、違う人生を想像することは、あるかもね」
湊は、少しだけ目を伏せた。
「……俺、先生のこと、好きです。
でも、それを言っちゃいけないのも分かってます」
「……一之瀬くん」
「だから、言わないです。
卒業まで、ちゃんと“生徒”として過ごします」
遥香は苦笑したように、小さく頷いた。
「そうね。私は“先生”だから」
(だけど――今この瞬間、
“女”としての自分が、確かに揺れた)
* * *
その夜、自宅で湊の提出した短歌を読みながら、遥香の指先が止まった。
君が読む 古文の声の その向こう
心の奥で 咲く名もなき花
(……まさか、これも……)
言葉はあくまで“創作”として提出されたもの。
でも、遥香の心に、それはまるで告白のように響いてしまった。
「……私、教師として、ちゃんとしなきゃ」
そう口に出したはずなのに、胸の奥に灯った熱だけは、消えそうになかった。
過去編 第3話「卒業式前夜、封じた想い」
湊の“最後の手紙”と、遥香の“最後のブレーキ”。
すれ違いがすれ違いのまま残された、切なくてまっすぐな青春の終章――続けますか?